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<ミャンマーで今、何が?> Vol.103
2014.07.18

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■マンダレーで戒厳令その2

 ・01:仏教徒とイスラム教徒の抗争の歴史は根が深い

 ・02:ムスレムがビルマに到達した歴史

 ・03:外人部隊から行政機関の長まで

 ・04:米国の横暴さが世界の秩序を乱している

 ・05:ソリューションのやり方を学ばせてもらいたい

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01:仏教徒とイスラム教徒の抗争の歴史は根が深い

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ミャンマーでは仏教徒が絶対多数を占め、それに対するイスラム教徒は絶対少数とされてきた。だが、ムスレム人口は着実に増加し、イスラム教寺院のモスクの数も目だって増えている。その中途半端ではない増加率が仏教徒に恐怖感を抱かせ、マンダレーでの暴動に発展したものと思われる。

だが、このような抗争は最近の出来事だけでなく、歴史的にかなり深刻な問題として、繰り返されており、ミャンマー政府としても抜本的な解決策を見出せないまま、今日まで放置してきたというのが現状である。

その複雑な歴史を振り返ってみたい。



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02:ムスレムがビルマに到達した歴史

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最初にイスラム教徒がビルマに足を踏み入れたのはラカイン州の沿岸部で、そこから北部後背地のマウンドーへと移住していった。が、その時期は確定できない。

しかし、初期のイスラム教徒は、アノウラッタ王がビルマ最初のバガン王朝を打ち立てる西暦1055年以前の9世紀には中部のイラワジ川デルタ地区、南部のタニンタリ州沿岸地区、北西部のラカイン州に定住し、現地の少数民族と結婚し、その数は次第に増えていった。このことはアラブ、ペルシャ、ヨーロッパ、中国の旅行者たちによって記録されている。

ビルマに到達したムスレムは、アラビアンナイトの物語の主人公のように種々雑多で、商人、開拓者、軍人、戦争捕虜、難民、奴隷、難破船の犠牲者なども含まれていたが、王族の顧問、行政高官、港湾官吏、市長、薬草専門家などの高位の職を得たものもいた。

西暦860年にペルシャのムスレムがビルマ北部の雲南省国境近くに到来したとの記録が残されている。

ビルマのイスラム教徒はしばしば“パティ”、そして中国人のムスレムは“パンテイ”と呼ばれ、パテインの地名も、その語源はペルシャのパールシーに由来するといわれている。南部のパテインではムスレム人口が仏教徒のそれを上回り、13世紀には3人のインドのムスレムが王として当地を統治したといわれる。

アラブの商人はマルタバン、マーグイにも到着し、メイク群島の中西部に定住した。時代は新しくなるが、マハ・バンドゥーラがインドのアッサムを攻略したときに、約40,000人の戦争捕虜をビルマに持ち帰り、その大半はムスレムだったとの記録もある。

英国のビルマ統治時代、インドのムスレムがベンガル地方から、中国のイスラム教徒が雲南省から、大量にビルマに流れ込んできた。しかし、1941年のインド・ビルマ移民協定によって、移民は激減し、1948年1月4日のビルマ独立で、移民の流入は公式にストップした。

ビルマの独立後、多くのムスレムは前の地位を回復し、政界・実業界で重きをなしていった。しかし、ビルマ政府は祖先が1823年以前にビルマに住み着いたことを証明できない限り、ロヒンジャーをビルマ市民として認定することを公式に否定している。

現在のミャンマーのムスレム人口はアラブ人、ペルシャ人、トルコ人、ムーア人、インド人ムスレム、インド人種族長、パキスタン人、ベンガル人、中国人ムスレム、マレー人などの子孫たちである。次第にラカイン、シャン、カレン、モンなど多くのビルマの少数民族と婚姻し、地元に定着したものたちである。



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03:外人部隊から行政機関の長まで

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ビルマの国境地帯は昼間でもうっそうとした深いジャングルに覆われ人を寄せ付けない様相を呈している。そこは自然が作り出した天然の国境で、ベンガル虎などが彷徨し、人跡未踏の地となっている。あえてチャレンジするなら、十分な訓練を受けた巨象の大軍団が必要とされた。アラカン山脈を背後に持つラカイン(アラカン)王国などもそうであった。その当時の王国にとって臨戦態勢こそが常態で、豊かな王国ほど優秀な将兵が続々と集まってきた。そして勇猛な将軍を高給で迎えた。この呼びかけに応じたのが、いわゆる外人部隊の傭兵たちであった。

彼らは陸からもやってきたが、ビルマ独特の自然の要塞に妨げられて簡単にはアクセスできなかった。最も容易な方法が海からのアプローチである。ベンガル湾のラカイン州、そしてマルタバン湾のイラワジ・デルタ、モン州、南部のタニンタリの海岸に押し寄せた。
そのほとんどが優秀な航海技術を持つアラブ人、パーシー、ペルシャ人、インド人たちで、そのほとんどがイスラム教徒であった。家畜の屠殺方法に長け、残忍な殺戮にも長けた略奪のプロでもあった。だが、ビルマ王国の国王たちはこれらプロ集団を傭兵として雇用した。そして、領域内の一定区画への居住を許可し、イスラム教寺院であるモスクの建設も許可し、彼らの宗教行事に理解を示した。

その当時の学問知識からして、イスラム教徒のもたらしたものは、ビルマ国内の教育水準をはるかに上回り、天体観測、陸上地図、航海地図、操船技術、科学的分析、医学、戦闘能力、兵隊訓練、作戦企画力まで卓越したものを身につけていた。

国王たちは能力のあるこれら人物を重用し、次第に重要なポストに採用していった。最初は軍備の面で、そして王宮を警護する近衛兵たちをムスレムで固めた。それだけではない、ムスレムの宦官たちは王宮の奥座敷にまで出入りするようになった。そして、ムスレムたちは政治の世界でも暗躍するようになり、次第に国の行政機関である大臣のポストまで任されるようになった。そして王族の子弟たちの教育までムスレムが担当する。それだけ、当時のムスレムには卓越したものがあったといってよいだろう。

アユタヤ王国の山田長政を髣髴させるが、軍備の面では、特に近衛兵団については、イスラム教徒が100%ビルマ軍団に取って代わった。それだけ国王から信用されたということになる。商業の民であるイスラム教徒は交渉術にも長けており、国王の信頼を勝ち得るのにそれほど時間を必要としなかった。そして行政機関の長の仕事まで任せられるようになっていった。いまどきのデズニーランドをはるかに凌ぐ胸踊るワンダーランドがここにはある。

日本人のワンパターン思考ではなかなか把握できないが、ミャンマー人の家庭を訪問する機会があれば、じっくりとその家族の一人ひとりを観察してほしい。自分は100%ビルマ人と口では言っても、その瞳の奥に怪しく揺れる炎は過去にインプットされたDNAを正直に物語ってくれる。あるいは家族のひとりは極端に背が高かったり、低かったり、鼻梁でもそうだ。そして虹彩の中にそれを見出すときもある。本人が知らない、もっともっと昔に混血された痕跡を発見することがある。これは仏教徒だとかイスラム教徒だとか、チッポケな範疇の話ではない。ましてや、日本の成金が銭で作らせた系図どころではない、人生の壮大なロマンにつながる話が彼らの目の輝きから読み取れる。



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04:米国の横暴さが世界の秩序を乱している

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世界は大航海時代によって15-16世紀に幕開けされたと勘違いする向きもあるが、そのはるか以前からアラビアの船乗りやインドの船乗りたちは星を観測し、風を感じながら、東洋の海域を自由に行き来していた。さらにはアラビアの船乗りたちを巧みに操り、金塊よりも高価な東洋のスパイスを独占していたシェバの女王は紀元前10世紀のチャーミングな女性であった。そのような物語に満ち溢れた歴史をまったく無視して、宗教問題としてイスラム教徒に無謀な戦いを挑んだのが米国のジョージ・W・ブッシュ大統領である。そして今、世界のスーパー・パワー国であるアメリカは全世界のイスラム教徒を敵に廻してしてしまった。

ここマンダレーの宗教対立も今、同じ危機に瀕している。世界のマスコミはG・W・ブッシュ大統領的枠組みで問題を顕在化させようとしている。



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05:ソリューションのやり方を学ばせてもらいたい

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ミャンマー国内での仏教徒とイスラム教徒の対立を見ていると、問題は宗教なのではなく、人口問題であり、共存共栄の地域社会の問題で、貧富間の格差、ひいては食料の問題ではないのかと、思えてくる。

特に最近はマスコミが緩和され、ミャンマーでは報道の自由、言論の自由が、かなりのレベルまで保障されるようになった。だが、今回のマンダレーの暴動のように、政府のキャパシティに解決能力がなく、特に海外からのプロの助けを借りようとする。だが、米国をはじめとして、誰一人としてその解決策を見出していない。そしてミャンマーでの当事者間では、憎しみが蔓延している。これはアメリカが輸出した地球規模の大弊害で、アメリカに大きな責任がある。それら先進国にソリューションを任せ、ミャンマー政府はそのすべてを白日の下にさらけ出し、情報の透明化に徹するのもひとつの方法だろう。ミャンマーは過渡期であり、問題解決の学習段階にあるのだから。

ラカイン問題同様に、寄付金だけで解決できる問題ではない。歴史のひだひだにまで食い込んだ始末の悪い病巣だ。賢人といわれる人たちの作業をじっくりと学習させていただきたい。


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