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<ミャンマーで今、何が?> Vol.108
2014.08.20

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■ダンマゼディ大梵鐘の引揚げ

 ・01:ヤンゴンの下町で話題沸騰

 ・02:ヤンゴンの新商売

 ・03:世界最大の梵鐘

 ・04:ヘソで茶を沸かす

 ・05:ミャンマーの助っ人ナッツ神

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01:ヤンゴンの下町で話題沸騰

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久しぶりに朝から晴天。気分よくパソコンを立ち上げたところで、大音響とともに街中がロックした。ヤンゴン名物の停電→発電機始動の図式である。それではと日刊英字紙を入手して路上喫茶に腰を降ろす。だが、周りがいつになく騒がしい。路上に備え付けた静音式発電機(中国製静音式はウルサイという意味である)のせいではなく、お客同士が口角沫を飛ばしてさえずるウワサのせいだ。

店主が耳打ちしてくれる。「ダンマゼディ大梵鐘の引揚げ」が今、街一番のウワサだという。言葉はほとんど通じない。だが、英語・中国語・ビルマ語・手話の混成で会話は成立する。そして見学するにはどの位置が最適かとか、親切にもタクシー代金まで値切ってくれる。急ぎ自宅に戻り、カメラと小遣いを用意すると、タクシーがスタンバイしている。マハ・バンドゥーラ大橋を渡り、右折して突き当たったヤンゴン唯一のボーリング場裏手がヤンゴンで今最もホットな新名所だ。

ウワサに違わず、朝っぱらから多数の野次馬がバゴー川に面した岸辺に押寄せている。何人かの顔見知りがスペースを空けてくれる。左手がバゴー川の上流でタンリンに渡る鉄橋を遠くに臨み、その渡り切った辺りに話題のスターシティの高層住居群が見える。その右手がタンリン深海港のはずだが、本日は着岸している船舶は見えない。

タンリンの街を対岸に見据えて、右手の沖合いが大鐘の沈没位置のようだ。現在探索チームが確認作業を行っている。この河口域は広大で肉眼では見分けがつきにくい。チーク材の丸太や川砂を満載した大型艀が忙しく行き交う。持参した双眼鏡できらきら光る海上を探す。横に長いオレンジ色は川底の泥濘を浚渫するパイプを浮かせる役目をしているようだ。ここはベンガル湾の端にあるマルタバンの河口域(英国海図ではエレファント・ポイント)からヤンゴン川を約30km遡ったモンキー・ポイント沖合いに当たり、ここからさらに30km遡るとアジア・ワールドのコンテナ基地がある。高潮だと海水が押寄せ、引き潮だと川の真水が行き交う、いわゆるブラキッシュ・ウォーター(汽水)地帯で、日本では珍しいマングローブが川岸にびっしりと茂っている。



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02:ヤンゴンの新商売

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それにしても、何人の野次馬が川岸に集まっているのだろう。千人には足らずとも数百人はいる。駄菓子屋、アイスクリーム屋、蒸したトウモロコシ売り、飲料水売り、怪しげな玩具売りまでが駅弁スタイルよろしく、混雑の中で売りまくっている。見物人には子供連れも多く、商売繁盛だ。指に挟んだ札束の厚さで分かる。中でも、飛ぶように売れているのが、「ダンマゼディ大梵鐘」の小冊子である。梵鐘を図解し、その由来を4ページほどにまとめたものだ。と言っても、自分たちで作成したものではなく、サンリンというお坊さんの解説記事を無断コピーしたもののようだ。すべてビルマ語記載で定価は一部200チャット。白黒のコピー代金が50チャット以下として一部につき150チャットの粗利益だ。瞬く間にさばけていく。ミャンマー社会でも情報が金になるということだ。

驚いたことに奥の空きスペースに大型パラソルを設え、その下にプラスティックの椅子テーブルをセットし、焼き飯・焼きそば程度の簡単な食事ができるようになっている。気分はカンヌのシーサイド・リゾートだ。野次馬を見込んでの新商売である。

その圧巻はなんといっても引揚げ現場の周遊フェリーだ。作業船近くまで行って戻ってくる往復20分足らずの周遊である。一人1000チャットで10人乗り、乗り降り・集客に10分要したとして、約30分の航海で1万チャットの収入。ひっきりなしに10人乗りの漁船が発着している。ヤンゴンから対岸のダラーまで通常100チャットだから、約10倍の荒稼ぎとなる。このボートは屋根がなく、雨天晴天にかかわらず、乗客は自前の傘が必要だ。シンガポールで働いていたという地元青年が、オレンジ色のライフジャケットを備えたあの漁船だとまさかの時に安心だと忠告してくれた。



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03:世界最大の梵鐘

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ハンタワディに王朝を構えたモン族のダンマゼディ王は銅と錫(青銅)、それに金・銀も加え、総重量294トンの大梵鐘を鋳造し、1484年2月5日にシュエダゴン・パゴダに寄進した。当時、王室の占い師はこの梵鐘は不吉な星に支配され、音を出す運命にないとして鋳造延期を申し入れたと伝説は語る。

1583年、ベネチアの宝石商ガスペロ・バルビはシュエダゴンを訪れ「大鐘の直径は歩幅7歩、胴回りは両手を伸ばして3人分、梵鐘表面には上部から底辺までびっしりと、意味不明なるもパーリ語とビルマ語らしき文字で刻まれている」と、その日記に記している。これは豊臣秀吉が大阪城を築城した年に当たり、マルコ・ポーロとコロンブスを生み出したイタリアは伝統的に冒険野郎を世の中に送り出している。

ウィキペディアの大鐘比較リストでは、西暦732年建立の東大寺の大鐘が43トン、イギリスのビッグベンが13.5トンで、「ダンマゼディ大梵鐘」は297トンと桁外れに巨大で、この梵鐘は今でも世界最大の記録を保持しているとのことである。



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04:ヘソで茶を沸かす

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ミャンマーの今を知るために、歴史の世界を覗いてみよう。

ヨーロッパの冒険野郎たちは帆船でアフリカ南端を廻り、インド洋を越えて、頻繁にビルマ南部(Lower)に出没していた。16世紀はじめのころである。金銀財宝・香辛料が目的であるのは間違いなかろう。アラカン王(現ラカイン州)の傭兵(いわゆる外人部隊)だったポルトガルの冒険野郎ブリト(Filipe de Brito e Nicote)は1599年アラカン軍を率いてシリアム(現タンリン)とペグー(現バゴー)を略奪した。この大航海時代、ビルマ南部のシリアムはヨーロッパの船乗りにとっては最も重要な港のひとつであった。直ちに、アラカン王はブリトをシリアムの知事に任命した。1600年、ブリトはバゴー川を越えダゴン(現ヤンゴン)およびその周辺にまで勢力を伸ばした。そして1603年、ブリトは素性を現し、ポルトガル・インド総督の名の下にアラカン王国からの独立を宣言した。おさらいすると、江戸幕府初代将軍、徳川家康の時代である。

そして1608年、ブリトはシングッタラの丘に燦然と輝くシュエダゴン・パゴダから、この大梵鐘を引きずりおろし、転がり落とすと、パズンダン・クリーク(入り江)に用意した特製筏に運び込んだ。ここからバゴー川河口まで巨象に牽引させたという。そして特製筏は川を渡りブリトの旗艦がある対岸のシリアムへ向かった。お気づきだと思うが、ブリトの企みは青銅を溶かし、軍艦の大砲に鋳造し直すことにあった。白昼堂々たる盗賊行為である。ちなみに、ビルマでは、盗みを五戒のひとつに数え、西洋人のこの破廉恥行為を、アンビリーバブルとして今でも軽蔑している。それを知らない、そして歴史を知らない、欧米の政治家、ビジネスマンどもがミャンマーの人権問題がとか、著作権がどうのこうのと講釈たれるものだから、テインセイン大統領は、表面は苦虫を噛み潰したような渋面を作り、内心ではヘソで茶を沸かしているのが本当のところである。これはビルマの小学生も知っている。

実は、この盗まれた大鐘の代わりに小型のベルが1779年に鋳造され、元の場所に安置された。ところが、1820年代にイギリス人がまたしてもこの小型のベルを盗み、同様の運命をたどり川底に沈んだが、こちらは回収され、現在はシュエダゴン・パゴダに安置されている。ポルトガル人にせよ、イギリス人にせよ、傍若無人で品格なき噴飯モノの盗賊行為である。このイギリス人など恥の上塗りである。この歴史的事実はどのような言い訳しても書き替えることはできない。ミャンマーの小学生に訊ねれば、盗みはいけないと教えてくれる。



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05:ミャンマーの助っ人ナッツ神

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歴史は一先ず、「ミャンマーで今、何が?」に移ろう。場所はヤンゴン川とバゴー側が合流する英国海軍の海図にあるモンキー・ポイント沖合いの川底である。

これまでも国内外の多くの人がこの大鐘を回収しようと挑戦したがすべて失敗に帰すか、未達成のままである。

プロの深海ダイバーであるアメリカ人、ジェームス・ブラントは、1995年12月から2年間、この水域で水中音波探知機の映像を頼りに116回潜水した。そしてドキュメンタリーのビデオを撮影している。作業を難しくしているのは、同水域で3隻の沈没船が横たわり、川はほとんど泥水で視界が極度に悪いことである。この大梵鐘は7.6mの沈殿泥に埋まっているものと思われる。大鐘はオランダ東インド会社のKomine号とKoning David号の間にあり、その辺りにはブリトのガレオン船(大型帆走軍艦)の砕片が多数あるとしている。それにも拘らず、拳骨で鐘を叩いたら金属音がしたともっともらしく語っている。ところが、10回潜った辺りで、大梵鐘の探索は呪われていると聞かされた。ミャンマー独特のナッツ神がこの大鐘を護っているとのことだ。この大鐘探索に関与した潜水夫は呪われた死に方をしているという。ミャンマー海軍のダイバーも何人かが沈没船の中に閉じ込められ恐怖に慄き死んだとされる。その結果、海外のサルベージ会社にこの作業は任されるようになったとしている。

2000年には、ミャンマー政府はイギリスの海洋科学者マイク・ハッチャーに引揚げを依頼した。ハッチャーは日本・オーストラリア・アメリカの会社と提携しているが、同氏は7つの沈潜引揚げの計画を抱えており、この大梵鐘の本格的な引揚げには着手していない模様だ。しかし、同氏はインドネシア水域で、2000年6月、大量の陶器を積み込んだ沈潜船の引揚げに成功し、その回収規模は過去最大といわれている。

最近の情報では、オーストラリア人の映画製作者ダミエント・レイが特別の資料を手元に所有していると語る。彼は以前、ビルマで行方不明となったオーストラリア人のチャールズ・キングフォード・スミス卿の愛機“レディー・サザンクロス号”を捜索したことがある。そのときに、この大鐘の埋没している地点を確信しビルマ政府に提供した。したがって、発見できるかどうかは彼らの運にかかっていると語る。

そして今、ミャンマーの現職国会議員で、ゼイカバー財閥のボスであるDr.キンシュエがダンマゼディ王と同じ火曜日生まれのモン州住職に祈念して、確信を得て、資金を調達し、金に糸目をつけずに、何としてもミャンマー人の手で引揚げ、シュエダゴン・パゴダの元の場所に奉納したいと語っている。

ポッパ山で有名なナッツ神の信仰はここミャンマーでは根強く、その呪いが解けない限り、大梵鐘の引揚げは難しいと語り、ある地元民はある満月の夜に、その一部が水面に表れたのを目撃したとの情報もまことしやかに語られている。

川辺に集まる人たちを野次馬とからかったが、ミャンマーの人たちの目は真剣そのものである。日本でいえば、新しき古墳群の発掘にあつまるロマン溢れる人たちであろう。
今回のメルマガは第108回目に当たる。煩悩即菩提。






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