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<ミャンマーで今、何が?> Vol.110
2014.09.03

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■映画「ガンジー」

 ・01:イギリス映画「ガンジー」

 ・02:バックグラウンド・ミュージック

 ・03:物語のスタート

 ・04:そして舞台は暗転

 ・05:インドに凱旋将軍

 ・06:エピソードはたっぷり

 ・07:オスカー受賞のアッテンボロ監督90歳で死去

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01:イギリス映画「ガンジー」

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話をがらりと変え、今回は映画の世界にお誘いしたい。
ミャンマーを知る取って置きは、何といっても映画「ガンジー」ではないだろうか?
もちろん手軽にミャンマーの表層面を知りたければ、「ビルマの竪琴」でも「ザ・レディ」でも構わない。

だが、「ガンジー」にはビルマの歴史が凝縮され、当時南ア・インド・ビルマに君臨していた白人種である英国人の有色人種に対する残酷な扱いがものの見事に活写されている。1982年製作の英国映画で、アカデミー賞11部門でノミネートされ、なんとその内の8部門(最優秀作品、監督、脚本・編集・男優・美術など)をかっさらった実力派の映画である。俳優でもあったイギリスのリチャード・アッテンボロが製作・監督を務め、この一作で彼を世界の巨匠にまつりあげた作品といえるだろう。



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02:バックグラウンド・ミュージック

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良い映画は音楽もすばらしい。つい先日、といっても2012年12月11日、米国カリフォルニア州サンディエゴで92歳で亡くなったインドの国宝ラビ・シャンカールがオープニングのタイトルバックで物悲しいインドの歴史をすすり泣くようにシタールの旋律で演奏している。沈みゆく西日をバックに洗濯物を岩に打ち付けるシルエットが印象的だ。

バラモンを頂点とするヒンズー教では女性の下半身を被う衣類は血に穢れているとして、それを扱う洗濯人たちは最下層のカーストとみなされている。さらにその下に、アウトカーストといって不可触賎民がいる。ガンジーは彼らを“ハリジャン(神の子)”と呼び、その解放に努力した。このタイトルバック(和製英語)はそれを暗示しているのかもしれない。

ミャンマーでも下半身を被う衣服は男性用がロンジー、そして魅力的な女性用はタメインと呼ばれる。各家庭での洗濯・濯ぎの順序、そして物干しで目立たぬように干すなど、ほんのちょっとした態度・動作に、このインド的影響が散見される。

この映画に使用されるシタールの演奏は、ジョージ・ハリソンが魅せられただけあって、その表現は非常に豊かだ。ガンジーが南アフリカから帰国して、インドを知るために広大なインドのあちこちを旅する。その蒸気機関車の旅で、哀調の旋律から一転して、カントリー&ウェスタンの“オレンジ・ブロッサム・スペシャル”を想い出させる軽快なリズムが汽車の揺れと共に伝わってくる。



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03:物語のスタート

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この映画はインド屈指の財閥で、ガンジーと親交のあった、ビルラー家の広大な庭園で引起されたあの有名なガンジーの暗殺シーンで始まる。1948年1月30日午後5時17分、恒例の夕方の祈りに大勢の人たちが集まってきた。そのとき、狂信的なヒンズー教徒が至近距離から3発の銃弾を胸に撃ち込み、ガンジーは“おお、神よ!”とつぶやき崩れ落ちた。伝説では、“おお、神よ!彼を許したまえ”と言おうとしたという。

ビルラー邸からRaj Ghat(ヒンズー教徒の川辺の火葬場)まで約8kmの沿道を2百万人以上の人々が約5時間かけて行進した。重火器運搬用の車両のシャーシーが取払われ、人々がひと目でも最後のお別れができるよう一段高いフロアが設けられ、ガンジーの遺体が安置された。車両のエンジンは使用されず、代わりに50人の人々が4本の太いロープで黙々と牽引した。付き従う儀仗兵の軍靴の音が延々と響く。道路を埋め尽くした膨大な群衆が悲痛な面持ちでガンジーの棺に付き従う。

そして、この延々と続く壮大な葬儀をラジオ中継した英国のアナウンサーは、「この盛大な葬儀の主は富も地位もない、一個の人間としてあるがままの人生を送った。マハトマ・ガンジーは偉大な将軍でも広大な土地を支配するマハラジャでもなく、偉大な業績を成し遂げた科学者でも芸術家でもない。しかし、世界中から政治家や知識人がこぞって葬儀に参加した。彼こそインド独立の父である。アメリカの国務長官であるジョージ・C・マーシャル将軍は、マハトマ・ガンジーは全人類の良心で、謙虚さと真実を帝国よりも強力にした、と語った」と実況中継している。



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04: そして舞台は暗転

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蒸気機関車が牽引する夜行列車が驀進する。時代は1983年、場所は南アフリカ共和国。首都プレトリアに向かう白人専用の一等個室。ロンドンで弁護士資格を取得した新進気鋭の青年弁護士ガンジーが南アの裕福な回教徒であるインド人商人に雇用され、有色人種専用の三等車に移るよう強要されるが拒み、次の駅で白人乗務員に蹴落とされるショッキングなシーンである。

ロンドンの学生時代には、露骨な人種差別は経験しなかったが、本国を離れた植民地の南アにおいては、出稼ぎ労働者であるインド人はダイアモンド鉱山や賤しい職など三Kの職にしかつけず、徹底的にこき使われた。南アにはインド人の弁護士は存在しないとまで言われ、インド人が白人と肩を並べて大通りを歩くなど許されず、インド人にのみ外国人登録証の常時携帯が強要され、クリスチャン以外の結婚は認められず、違反するとすべて逮捕の対象となった。

ガンジーは大英帝国の人権を無視した行政組織・裁判所・官憲・警察に悲憤慷慨し、インド人社会地位向上のために差別が蔓延する南アフリカで立ち上がった。そして英国の行政組織を徹底的に非難し、弁護士としての能力を十分に活用して自分の反政府意見を当時の新聞紙上に頻繁に発表した。当時のマスコミは、新聞・ラジオ・映画ニュース程度であったが、ガンジーは世界のニュースに取上げられ、マスコミの効果に手ごたえを感じるようになった。

ガンジーは南アのインド人社会を再組織し、ヒンズー教徒・イスラム教徒・シーク教徒・パーシー教徒・仏教徒などが一致団結・協力して不当な労働問題に抗議デモを仕掛けていった。暴利をむさぼる白人経営者たちは英国官憲を巻き込んで、デモ民衆を騎馬隊と警棒で蹴散らし、暴徒として片っ端から監獄に叩き込んだ。

だが、ガンジーは抗議デモ参加者に徹底的な非暴力を説き、南アの刑務所をインド人で満杯にしてやろうと、彼の戦略を披露した。「彼らは我々を徹底的に叩きのめすだろう。そして死体を手にするだろう。だが、死体を手にしても我々の服従は手にすることができない」

法廷でも自分の弁護には自身が当たり、白人の裁判長が提示した小額の保釈金の支払いを頑固に拒否し、むしろ収監されることを望んだ。その投獄は繰り返され、刑務所の周りはガンジーを慕う支持者で埋め尽くされ、非暴力でありながら社会不安は全国的なものとなった。逆に刑務所入りを要求するデモすら挙行した。官憲は本国に問い合わすが、大英帝国政府も植民地での社会不安を恐れ、即時の釈放以外に選択肢はなかった。そのたびに、群集は塀の外でガンジーを熱狂的に迎え、ガンジーの名声は世界的なものとなった。

ガンジーの平和的な非暴力・無抵抗・非服従・非協力の哲学と戦略が完成した瞬間だ。



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05:インドに凱旋将軍

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結局、南アには21年間滞在した。丸メガネをかけ、フンドシに白装束、杖一本に裸足という、独特のスタイルで大英帝国をきりきり舞いさせたとして、ガンジーはBBCなど世界のニュースに何度も取上げられ、そして1915年にインドのボンベイにP&Oの客船で帰国した。

ボンベイの港では、儀仗兵、音楽隊が整列し、凱旋将軍並みの歓迎を受ける。そしてひと目このインドの英雄を見ようと大勢の民衆が押寄せた。何一つ権威らしき肩書きもない男に対してである。当時の英国の海軍相・軍需相であったウィンストン・チャーチルはガンジーを裸の坊さん呼ばわりしていた。

同じ客船でインドに到着した一等船客の英国人たちは、三等船客としてタラップから降りる奇妙な白装束の小柄な男を、あれが無手勝流で大英帝国をきりきり舞いさせた男かと見入っていた。 



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06:エピソードはたっぷり

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NYタイムズ紙のウォーカー記者がガンジーその人に魅了されていく過程、幼妻であったカストゥルバとの長い結婚生活を思い出し海外のレポーターたちに語るシーン、英国で学位を取ったインドの若者たちがガンジーに何か手伝わせてほしいと申し出る場面、写真雑誌“ライフ誌”のあでやかな女性写真家マーガレット・バークホワイトによるガンジー夫婦の取材、ガンジーと子供たちの交流、国内の過激な混乱を戒めるための何度かの断食決行、回教徒連盟総裁アリ・ジンナー(パキスタン建国の父)やジャワハルラール・ネール(ガンジーの信奉者で独立後インドの初代・終身首相)をはじめとしてインド政界の大物たちがガンジーの周辺に集まり大英帝国に対する戦略を練る場面、ガンジーが行くところ大群衆が続々と集まってくるシーンなど、見所は山盛りだ。そのすべてがガンジーの人間的な魅力とカリスマ性につながっている。

この映画で黒髪ふさふさの青年弁護士から、頭を丸め晩年のガンジー役までを務め、アカデミー主演男優賞を獲得したベン・キングスレーの好演はひときわ目立つ。
この紹介記事の一番最初にビルマを知る取って置きは映画「ガンジー」だと書いた。実は、この映画にはビルマのことはまったく描写されていない。それはこの映画の行間を読み取っていただきたいと思ったからだ。この映画ではインド人のことが人間扱いされずに虫けらのごとくに描かれている。

3回にわたる英国によるビルマ侵略戦争の結果、ビルマ全土が大英帝国支配下のインド帝国に併合され、ビルマはその一州として統治された。寝ぼけ眼で歴史書をめくると、ああそうかで終わってしまうが、ビルマ人の気持ちになって読み解くと、一等国民のイギリス人をベースとして、アルメニアやユダヤ人などの二等国民、その下に三等国民としてのインド人が置かれ、自分たちの領土でありながらビルマ人はさらにその下の四等国民に組み入れられた。1901年に建築された植民地時代を象徴する“ストランドホテル”にビルマ人が足を踏み入れるなど、白人専用車両から蹴落とされるのと同様の結果が待っていた。そのあたりに思いを馳せながらこの映画を鑑賞していただければとお勧めする次第である。


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07:オスカー受賞のアッテンボロ監督90歳で死去

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家族は8月24日(日)に死去したと発表した。実は、この記事は先週8月28日付けNLM紙の上記の訃報に触発されて書き始めたものである。ただひとつ気に入らないのが、このニュースが中国の新華社電を引用し、本家本元のBBCとか、ハリウッド発のニュースではないことだ。

それで、この映画の海賊版CD、ウィキペディア、そして蝋山芳郎訳の“ガンジー自伝”など手当たり次第に当たってみた。

この映画の中で、同監督は1919年4月13日に引起されたインド・パンジャブ地方のアムリッツァー大量虐殺事件を冷静に描写している。出口のない広場で、婦人や子供を含む、逃げ惑う無抵抗な民衆に向けて1650発を発砲し、1516名の死傷者を出した大惨劇だ。集会は禁止という警告はすでに出してあるとして、ダイヤー将軍は唯一の出口から軍隊を入れ無防備の民衆に向けてライフルを発砲させた。軍事法廷では裁判官たちが唖然とする中、この将軍は眉毛一つ動かさずに軍人として当然のことをしたとの態度を貫く。大英帝国の犯した大不名誉な事件のひとつであるが、英国人であるだけにアッテンボロー監督は眼を背けることもなく事件を活写している。この辺りがジャーナリストしての本領発揮で、イギリスの良心を見たような気がする。その対極にガンジーの編み出した平和的な非暴力、無抵抗、非服従、非協力という大テーマを見据えている。

ガンジーの偉大さに比べるとノーベル平和賞などちっぽけな肩書きに見えてくる。本人は受賞しなかったが、ガンジーの強い影響を受けた人たちはダライラマ14世、ワレサ議長、マーチン・ルーサー・キングJR、ネルソン・マンデラ、アウンサンスーチー、アル・ゴア、バラック・オバマ、ロマン・ロラン、アルバート・アインシュタインなど綺羅星のごとき華やかさである。タイム誌はこれらの人たち何人かをガンジーの子供たちと名付けて特集を組んだことがある。


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