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<ミャンマーで今、何が?> Vol.121
2014.11.19

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■オバマ大統領とヤンゴン

 ・01:ヤンゴンのセクレタリアート・ビルディング

 ・02:厳戒体制が敷かれる

 ・03:厳戒体制が敷かれる

 ・04:元国連事務総長の孫

 ・05:米国のミャンマー評価

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01:ヤンゴンのセクレタリアート・ビルディング

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大英帝国の植民地建設・経営はすべて沿岸部からスタートしている。そこに港湾設備を完備し、港町として発展させ、徐々に内陸部を開発していった。ヤンゴンも同様で、ヤンゴン川近くのスーレー・パゴダを基点に東西南北に道路を走らせ、碁盤の目状に港町を建設していった。

だから、今でもネイピード、そしてマンダレーまでの距離などは、すべてこのスーレー・パゴダを基点に表示されている。

このスーレー・パゴダから真東に15分も歩くとセクレタリアート・ビルディングという重厚な赤レンガの建築物に出くわす。今は、ゴーストタウンと化した主のいない建築物である。だが、想いをラングーン時代に馳せると、ここが大英帝国によるビルマ行政の中心地で、英国から独立後も、閣議が行われ、各省の大臣以下が執務した、日本でいえば永田町全体を一ヶ所にまとめたようなビルでもある。だから、ミニスターズ・ビルディングとも呼ばれる。

ここは大英帝国によるビルマの植民地経営だけでなく、ビルマの歴史を目撃してきた証人でもある。

このビルの敷地であるいはその一室で、アウンサン暫定内閣によるビルマ初の憲法制定議会が開催され、そして国父として慕われるアウンサン将軍以下主要閣僚が凶弾に倒れ、大英帝国からのビルマ独立が宣言された歴史的に由緒のある場所である。



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02:厳戒体制が敷かれる

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実は、このセクレタリアート・ビルディング近くにひっそりと事務所を構える東西南北研究所は徒歩わずかに5分である。

それは11月12日の早朝であった。路上喫茶の隣のテーブルから、盛んにオバマという名前が聞こえる。オバマ大統領の第二回ミャンマー訪問は先週お伝えしたとおり周知の事実だ。でも、隣の話し声には特別の熱がこもっている。路上喫茶はウワサのネットワークを拾うには格好の場所だ。暫く前の秘密警察もスリッパとロンジー姿で至る所にある路上喫茶に網を張っていた。今回はその方式を真似して、聞き耳を立て、隣のテーブルからキーワードを拾わせてもらった。そして、そのまま早朝散歩に出かけた。コースはセクレタリアートの広大な敷地一周だ。だが、30分はかからない。少し早足で20分もあれば十分だ。

なるほどウワサどおり、警察官が要所要所にスタンバイしている。特に正門のある東側のテインビュー通りの警戒が厳重だ。オバマ大統領が訪問先にここを選んだことは間違いないようだ。敷地内にも何人か制服姿がたむろしている。YCDC(ヤンゴン市庁)の清掃局員がオレンジ色のベストを着て、木々の間の下草を片っ端から刈り取っている。これまでは自然植物園のように伸び放題で野生的であったのが、向こう側まで見通しが良くなっている。フェアウェー周辺に散在する木立のようだ。これではネズミ一匹、ゴルフボール一個も見逃すことはありえない。

地の利を利用して、一日に何回か、このコースを周回してみた。だが、Dデーはオバマ大統領がヤンゴンに滞在する14日か15日に限定される。問題はDアワー(時間)がピンポイントで掴めない。刻々と警備体制は整っていく。デモ対策で使用されるポリスと白書きした灰色の盾が警察官の数だけ金網フェンスに立てかけてある。そして迷彩色のヘルメットとベストを着用した警察官を満載したトラックが待機し、消防自動車まで配置されている。驚いたことにその一台はハシゴ車である。

普段は制服にスリッパ姿の警官をを見かけるが、本日は全員真新しい編上げ軍靴だ。キリッとしまった感じで実に凛々しい。そして濃紺のズボンに、真っ白な制服を着用した交通警官が路上に散らばり始めた。黒本皮かビニール製の幅広ベルトがカッコよい。刻々とDアワーが迫っているようだ。だが、中々その気配はない。予行演習なのだろうか。

本国から大型貨物機で輸送された大統領専用車がこの正門内に入っていくことだろう。ミサイルをも撥ね返すという戦車のような特別製リンカーン・コンチネンタルである。外国人がカメラ片手で周辺をうろつけば、その筋から怪しまれるだけだ。君子危うきに近寄らずだ。そこでテキサス遊説中のケネディ暗殺が頭を掠める。JFKの映画が思い出させる。映画のような黒塗りの車列がこのセクレタリアート・ビルディングに入っていくはずだ。ウワサでは、このビルを取り囲む7階建てのビルのバルコニーおよび窓はカーテンを引くようにと通達があったという。そしてその屋上には必殺のスナイパーが配備されたと、ウワサの輪が広がっていく。野次馬としては、この絶好の機会を是非とも覗いて見たい。米国の現役大統領を、これまで世界から見放されていたヤンゴンの街角で見かけるなど、一生に一度もありえない好機である。だが、D時間が判明しない。



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03:不運な東西南北研究所

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その歴史的な一瞬、気心の通じた路上喫茶の店主が親切にも通報してくれた。だが、ワタシの携帯電話とパソコンは肝心なときに不調を起こす。その親切にまったく気づかず、ワタシは別の友人と事務所で話し込んでいた。受信記録では、11月14日午前11時25分となっている。



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04:元国連事務総長の孫

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ウ・タンミエンウーといえば、米国のハーバード大学を卒業し、英国のケンブリッジ大学で博士号を取得した歴史家で、1960年代に10年間国連事務総長を務めたウ・タントを祖父に持つ。そして著書には「ビルマ・ハイウェイ」(中国とインドをつなぐ十字路)秋元由紀訳があり、現在はヤンゴンの歴史遺産の保存に努める“ヤンゴン遺産基金”の会長でもある。

そのウ・タンミエンウーがオバマ大統領をこのセクレタリアート・ビルディングに案内した。11月14日昼前のことである。あまりメディアでは大きく取上げていないが、オバマ大統領、そして米国国務省の選択、あるいは駐ミャンマー米国大使館の手配には非常に重要な意義がある。

この重厚な回廊式ビルの中庭で、1948年1月4日、英国からのビルマ独立宣言が厳かに行われた。その半年前にアウンサン将軍以下の閣僚たちはこの一室で暗殺されている。だから、念願の独立はアウンサン将軍の見果てぬ夢のままで終わった。1947年7月19日のことだった。さらにその約1ヶ月前、ここで歴史に残るビルマ初の憲法制定議会が発足した。その日の朝アウンサン将軍は、議員一団を引き連れて、今テインセイン大統領が着用しているあの伝統的民族衣装で、バンドゥーラ・スクエアからこのセクレタリアート・ビルディングの東側正門まで徒歩で入場した。1947年6月10日のこの記念すべき朝は雨が降っていたが、太陽が射していたという。

暗殺されたアウンサン将軍以下の犠牲者はシュエダゴン・パゴダ北門近くの殉難者の霊廟に祀られている。海外からの元首を含む貴賓は例に漏れずこの霊廟を訪れ献花してきた。ここは政府の公式の施設である。だが、オバマ大統領は今回ここを選択せずに、ウ・タンミエンウーの案内でアウンサン将軍が暗殺されたその現場を選んだ。

いかなる反政府運動のデモの先頭にも、必ずアウンサン将軍の写真が高々と掲げられる。これは人民の味方はアウンサン将軍ただ一人で、アウンサン将軍だったら国民を擁護する立場に立ったはずだ、という悲願がこもっている。そのあたりの空気を読み取った米国の諜報機関の選択がオバマ大統領のセクレタリアート・ビルディング訪問につながり、米国のメッセージを示唆しているのではないだろうか。これは決して直截的に将軍の娘であるアウンサンスーチーを支援するものではなく、米国はミャンマー国民の支援者であるというメッセージのような気がする。



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05:米国のミャンマー評価

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今回ネイピードでアセアンの議長を務めたテインセイン大統領は大忙しで、その前後に開催された北京でのAPEC首脳会議、および豪州ブリスベインでのG20首脳会議にもあわただしく出席している。今のミャンマーは世界の首脳会議になくてはならない国際社会の一員である。そしてそれぞれの場所で、テインセイン大統領はオバマ大統領と差しで語り合ってきた。

オバマ大統領の訪緬直前にスーチー党首は、ビルマの民主化は過去2年間停滞したままで、米国の経済制裁解除はあまりにも楽観的だと訴えるような調子で記者会見した。

だが、今回のオバマ大統領の発言を拾うと、なすべきことはまだまだ山ほどあると釘を刺しながらも、テインセイン大統領が行ってきた民主化努力を賞賛している。欧米のメディアにはスーチーとの間に隙間風が吹いてきたとの報道も見られるが、これは皮相的な見方で、米国のミャンマー政策にはもっとしたたかな奥深いものがあるように思える。さらに目に見える形での米国の動きを見守り続けたい。


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