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<ミャンマーで今、何が?> Vol.127
2015.01.07

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■初出家の儀式

 ・01:シンビュー(初出家の儀式)

 ・02:年末の断酒修行

 ・03:シュエダゴン・パゴダ

 ・04:ご近所に錦を飾る

 ・05:郊外のジャングル僧院

 ・06:剃髪の儀式

 ・07:訂正とお詫び

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明けましておめでとうございます。 

ミャンマー劇場第一幕も総仕上げの年に突入しました。
ヤンゴン川は日本の清流とは違い、昔から魚一匹見透せない濁流で、クロコダイルが網にかかったこともあります。しかも上げ潮・下げ潮の変化が微妙で、流れが止まったかと思うと、川は下流から上流へと流れていきます。欧米・日本・韓国・中国のビジネスマンたちが今、戸惑っているのは、この川の流れがまったく見えていないからだと思います。美空ひばりなら、なんと唄ったでしょう。東西南北研究所も全スタッフ総動員でそこのところを追求していきたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

ですが、メルマガ2015年の新春号は、せめておめでたい話題で飾りたいと思います。
世俗に汚れた話題は、今年一年を通じ、イヤというほどお届けできると思いますので、そちらをご希望の方は今後にご期待ください。



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01:シンビュー(初出家の儀式)

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宗教感覚が薄れてきた日本では珍しい上座部仏教儀式が、ここミャンマーでは連綿と続いています。ビルマ語ではシンビュー(Shinbyu)またはシンピュー(Shinpyu)、英語ではノビシエーション(Novitiation)という釈迦の伝説をなぞる儀式です。

釈迦は紀元前7−5世紀ごろ、釈迦族の王子としてネパールの現ルンビニ付近で誕生。パーリー語でゴータマ・シッダッタと名付けら、プリンスとして裕福な生活を送った。16歳で、母方の同年齢の従妹ヤショーダーラーと結婚、息子ラーフラ(Rahula)をもうける。この跡継ぎを得たことで、29歳の時、12月8日夜半に王宮を抜け出て、かねてより念願の出家を果たしたと、仏典は語る。

樹根と葉を大きく広げたボダイジュの下で釈迦は深い瞑想の世界に入っていった。悪魔の軍勢は次々に姿を変え、時には脅し、時には官能的な誘惑にも、釈迦の心は微動だにしなかった。攻め倦んだ悪魔がついには敗北した降魔成道が、釈迦35歳のこれまた12月8日であったという。その後、釈迦はさらに深い瞑想に入り、悟りの境地に到達し仏陀となった。このあたりは日本人にもミャンマー人にもお馴染みの物語である。

そして、説は種々あるが、最後は腐った豚肉を、あるいはキノコを食して、80歳で入滅したという。下位カーストの鍛冶工チュンダが供応する朝食を快く受け、死にいたらんとする激痛に見舞われたが、仏陀はチュンダを気遣い、チュンダをかばう思いやりから、「供養の食物には最上の功徳がある」と特別の言葉をチュンダに伝えさせている。この物語を忠実に上座部仏教は継承し、形式に落ち込んだ日本とは違い、ミャンマーでは一般家庭でも、僧院でも、豚肉・鶏肉・魚肉をまったく問題なく僧侶に供応する。

話はガラッと変わるが、極秘にされた真珠湾攻撃の日時と釈迦伝説の12月8日とは何か因縁があるのだろうか。そして仏陀を死に至らせた忌むべき豚肉をタブー視しなかったのは、仏陀が配慮したこの言葉があったからこそと想像はつく、だが、仏教徒ではなく、イスラム教徒・ユダヤ教徒がこの豚肉をタブー視しているのが面白い。テーマから脱線してしまった。本題に戻ろう。

日本では脚光を浴びず一般にはあまり流布していないが、釈迦が出家前にもうけた息子ラーフラが今回のシンビュー儀式の主役である。



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02:年末の断酒修行

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年の瀬が迫ったギリギリの週末にヤンゴンの僧院でシンビュー儀式が行われ、施主はシャン州の超リッチ家族だという。しかも土・日の二日間連続で、早朝から夕方までたっぷりと饗応が行われるという。仏教儀式なので二日間は断酒となるが、好奇心のほうがはるかに強く、カメラ持参で駆けつけた。

では、ドキュメンタリーを開始しよう



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03:シュエダゴン・パゴダ

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日本仏教の聖地・比叡山&高野山と同様に、シュエダゴン・パゴダはミャンマー随一の仏教聖地で、宗教都市の小宇宙を形成している。その麓には、各地方都市から訪れる信徒たちが宿泊できる僧院兼宿坊が無数に存在する。州を単位とした僧院もあるし、民族を単位とした僧院もある。

今回はまだ薄暗い朝6時に、東門近くのとある民族の僧院に来てくれと世話人から連絡を受けた。日本人には快適な季節だが、ローカルの人たちは寒いのだろう、善男善女は毛糸の帽子やマフラーで身を固め、東門のチンテの間を抜けシュエダゴンに続続と上っていく。

チンテとはライオン様の像で、シュエダゴン・パゴダの東西南北4つの正門に必ず左右の対で鎮座している護り神だ。日本の狛犬を連想し、ドッグかと問うと、とんでもないライオンだと誇り高く答える。

伝説は言う。昔、一人のプリンセスがライオンと結婚し、息子をもうけた。その後、プリンセスが一方的に離縁したので、ライオンは怒り狂い、全国いたるところで人民を食い殺した。あるとき町から戻った王子が、横暴なライオンを退治してきたと母親に報告した。そこで父親殺しを知らされた王子は、罪を悔いライオン像を造らせ全国の僧院の入口に奉納したという。またまた話が脱線してしまった。

一段と高い東門内側の車寄せまでは履物がゆるされる。すでに民族衣装で着飾ったグループがあちこちに屯している。そして鉦や太鼓を鳴らしながら一行が、乗用車・トラックに分乗して次々に到着する。相当の人数だ。数百人はいるだろう。しかも役割によって男性も、女性も民族衣装が統一され、その色彩感覚が一段と目を引く。女性たちは紅を引き、目がパッチリとしているので、ほんのり化粧でもその美しさには目を奪われる。世話役が誇らしげなご両親、祖父母、そして曽祖父母まで、次々に紹介してくれる。そして本日参加したのは、シャン州ピンロン出身の親族・友人だという。

桃色のターバンを鉢巻のように頭に巻いた若者グループが、プリンス然とした黄金色の衣装に身を包んだ少年を肩車し、黄金色の柄の長い傘をそのプリンスに差しかけ付き従う。薄黄色のターバンを巻いた祖父は露払いの形で、晴れがましくその先頭を行く。父親は真っ白な絹の上下、母親は黄金色のシルクの民族衣装、祖母は紫のシルクだ。お札で装飾した仏塔のレプリカを手にした女性グループがそれに続く。黄金色のハスの花を手にした女性グループがさらにその後だ。それ以外に供物の行列は、この施主がいかに裕福かを延々と示している。鉦や太鼓をそれぞれ手にした女性のグループも続く。グループごとにカラフルなのが魅力的だ。この一団がずらりと二列になってシュエダゴンの基壇を時計回りに練り歩く様は壮観だ。一世一代の儀式をと、手当てされたビデオ班、カメラ班も多数参加している。外国人観光客までがこのプリンス一行を写真に捕らえようと追いかけてくる。

警備員にも話をつけてあるようで、一般大衆を遮って、この一行を優先的に行進させてくれる。祈祷の広場では全員が跪き胸の前に手を合わせ集団で祈りを捧げる。プリンスの額からは汗がほとばしる。この若きプリンスが祖父の指導を受けながらパーリ語を復唱する。ここ以外にも何ヶ所かに祈祷、そして写真撮影のポイントがあるようで、シュエダゴン・パゴダの東門からスタートしたプリンス行列は、基壇を一周半して、古式豊かな慣習に従い西門から退出した。



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04:ご近所に錦を飾る

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ミャンマーで最も尊いシュエダゴン・パゴダを拝謁した後、このリッチな家族と縁のある麓の僧院に立ち寄り、大盤振る舞いのお布施をする。そしてこのプリンスの両親が住まう高級住宅街のコンドミニアムに立ち寄る。音楽隊の出番で、単調だがなぜか人の心を麻痺させるリズムが敷地内に響く。このリズムがはじまると男も女も輪になってシャン州独特の踊りを始める。中国の京劇・昆曲のリズムの原点は間違いなくシャン州で、日本の盆踊り・阿波踊りのダンスの原点も間違いなくシャン州にあると直感させる共通性がある。聞きつけた住人が下に降りてきて踊りに加わったり、パパラッチに化ける。



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05:郊外のジャングル僧院

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車列の移動中も音楽隊は単調なリズムで人の心を虜にする麻薬のようなフォルクローレを奏で続けるた。さすがにヤンゴンはグリーンシティである。土曜日の早朝とはいえ30分そこそこで、車列はジャングルに覆われた広大な僧院にたどり着いた。まだ時間は朝の9時半である。

音楽隊が跳び降り、麻薬のリズムを奏ではじめる。この音楽が鳴り始めると善男善女が入り混じって盆踊り、いや阿波踊りを輪になって踊り始める。ここには西洋のユートピア、そして東洋の桃源郷がある。広大な敷地の一角には優に100人は収容できる天幕が張られ、ステージも設えてある。もちろん開けっぴろげの仕切りだから、外野席だと200人、300人はゆうに収容できる。

そしてこの天幕の下でライムを絞ってコリアンダーを乗っけた焼きそば・シャンカオスエがふんだんに振舞われる。ほとんど全員が早朝起きで、腹ペコだ。先ずは朝食として二杯・三杯かき込んではまた踊りの輪に戻っていく。そしてこの広大な僧院の木立の下をプリンス行列は練り歩き、この僧院の外周を一周するという。超有名なVIPも主賓として参加しているので、警備も一段と厳しい。先頭が道路に飛び出すと、側車線をさえぎって、この行列を最優先で誘導してくれる。そしてまた僧院内の広場に戻る。実は、まったく同じ道筋を辺りが暗くなったころ、手に手に灯火を持ち一周した。僧院の広場に戻ると、今度は松明を手にした若者がくるくる廻り曲技を交代で見せてくれる。昼飯も、晩飯も、その材料は故郷のピンロンから用意したという。そして配膳・後片付けに大勢の人たちがボランティアで参加している。そして最後に

は若者グループにも、主婦の踊り手にも、協力してくれた人たちに、施主からありがとうとお捻りの一封が一人ひとりに渡される。その気配りと散在は、田中角栄にも負けないくらいだ。全員が知人の車にあるいは、タクシーに相乗りして帰宅する。朝から晩まで壮麗な絵巻物を見ているような一日だった。正直なところくたびれた。だが、これは序章だという。明日がメインの行事となる。



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06:剃髪の儀式

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プリンスは相変わらず王子に相応しい服装を纏っている。両親・祖父母、そして近しい親族が真っ白なテーブルクロスのような布をプリンスの前に広げる。一人ひとりがその端っこをしっかりと持つ。介添え役がプリンスの頭頂に聖水をかけ、石鹸でプリンスの長髪を洗い始める。後ろには若い僧侶が剃刀を用意し、この部分も濡らすようにと注文を出す。そして、頭髪が白い布の受けに落ちていく。この一瞬を記録に残すため、プロのビデオ係そしてカメラマンが狙う。それだけでは、今は万人が携帯を持っている。アマチュアの親族が四方からパシャ・パシャと音を立てる。そしてフラッシュもたかれる。受け止められた頭髪は聖髪となり、この広い敷地のどこかに両親が埋めるという。

衆人環視の中、この若いプリンスは介添え役により、豪華な金襴の衣装を身包みはがれる。上下の下着もだ。その瞬間、僧侶がサフランの僧衣で下半身をおおう。そして肩をおおい、小僧らしきものが出来上がる。これから長いナガ〜イお経が始まる。全面のステージには仏僧が10名ほど棕櫚のウチワを持ち胡坐をかいている。一番偉いお坊さんがお経を唱えると、出来上がったばかりの小僧が、両手を鼻の先に合わせ、それを復唱する。一週間ばかりかけて祖父から習ったというパーリー語のお経である。時折つっかえると、後ろに座った祖父が慌てて介添えをする。だが、壇上の僧侶はゆっくりで良いんだよと優しく話しかける。全員からホッとした吐息が漏れる。これこそ、仏門に入門させて欲しいとする初出家の儀式で、沙弥の十戒を堅持するとの誓いである。

最初に書いたが、釈迦はヤショーダーラーとの間に男児をもうけた。父国王は一族の繁栄の証として孫の誕生を喜び、種々の儀式を執り行った。子供まで生まれたのだから、釈迦はもはや出家して、国を棄てることはないだろうと国王は安堵した。しかし、子供は恩愛の絆となり、束縛になるとの気持ちからラーフラ(束縛)が生まれたと、王子は叫び、男児はラーフラ(束縛)と名付けられた。しかし、仏典によれば、世俗の継承権をすべてラーフラに与え、釈迦は王城を棄てて出家する。この後は、皆さんご存知の物語展開である。



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07:訂正とお詫び

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最後に、2014年最終号(Vol.126)の訂正とお詫びです。

ビルマ独立後の初代大統領はサオ・シュエタイで、ビルマの雄藩シャン州の有力ソーボア(藩主)で国家元首に相当します。ウ・ヌーはあくまでも初代首相です。そして因縁話をすれば、今回の初出家儀式を執り行った当主はシャン州ピンロンの出身で、この地でアウンサン将軍は主だった民族代表とピンロン協定を締結します。これがビルマ独立の礎となりました。

ということで2015年は訂正とお詫びではじまる、波乱万丈の年になりそうです。 





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