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<ミャンマーで今、何が?> Vol.128
2015.01.14

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■ピンロン町の名物〜は?

 ・01:旅姿三人男

 ・02:多民族国家

 ・03:ビルマの歴史の即製授業

 ・04:ピンロン協定書とは?

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01:旅姿三人男

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♯清水港の名物〜は。お茶の〜香りと男〜伊達♯

お馴染み旅姿三人男である。どういう訳かこの歌を口ずさんでいた。昨年末、初出家の儀式に酔いしれて帰宅するタクシーの中である。

彼らの故郷ピンロンの名物はお茶と阿片、この二つしかない。ともにミャンマーでは最高級品として知られる、と地元インテリ博士が教えてくれた。シャン州独特の長筒のドラムから発する延々と続く単調な麻薬のようなリズムが頭にこびりついて離れない。ピンロンに遊びに来い、宿は心配するな。我が家に泊ればよい。長期間滞在しても構わない、と初出家の儀式というよりも祭典でピンロンの人たち何人かから誘われた。今年の目標がひとつ鮮明に見えてきた。2015年はまだ始まったばかりだ。



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02:多民族国家

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2015年早々のミャンマーは天気晴朗で波静かである。テインセイン大統領はミッチーナに飛び、カチン州の民族衣装を着て州立記念日を彼らと共に祝った。今から67年前の1948年1月4日、ビルマは大英帝国から正式に独立した。その6日後の1月10日に、新生ビルマ初代大統領のサオ・シュエタイはカチン州議会を招集した。その歴史的なイベントを祝う行事が今年カチン州各地で盛大に挙行された。それは先週のことである。

ただ単にお祭り騒ぎと思えるかもしれないが、ビルマ族を勘定に入れて136にも上る多民族国家を平和裏に融和させるのは至難の業である。現在、国連には200近くの国家が加盟している。だが、その中身は、宗教、人種、民族、言語、文化、政治、経済、思想に多様性があり、国境を挟んで仁義なきエンドレスの紛争地帯となっているところも多い。21世紀の今となっても、人間の英知は平和共存とは反対の方向に向かっているように思える。だから、もしミャンマーがこの136という多民族国家を平和裏に融和させることが出来たら、それこそノーベル平和賞モノで、しかも、国際紛争解決のひとつのモデル国家となりうるだろう。

テインセイン大統領は今、その重要な国内固めを確かなものとする布石を打っているところだ。今後も各州で同様の行事が行われ、国内の平和統一を確保するため、大統領は最優先でそれらに参加するものと思われる。その模範となりうるのが、アウンサン将軍が行った歴史的なピンロン交渉で、アウンサン将軍が成し遂げた歴史的ピンロン協定である。ビルマ語の発音はむつかしい。パンロン交渉、パンロン協定と言う場合もある。とにかく、シャン州のピンロンで、パンロンである。

新年早々、衝撃度のある情報は見当たらない。ミャンマーは天気晴朗で波静かである。
であれば、このメルマガも、悠然とビルマの歴史に夢を馳せてみたい。 



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03:ビルマの歴史の即製授業

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中国にも、日本にも、戦国時代はあった。各武将、雄藩、国王たちが、国盗り物語を競った時代だ。

ビルマも同様である。モン・ビルマ・シャン・ラカインの各民族が自分たちの王国を打ち立てて覇を競った。それにカレン族も加わる。そして力の強いものが平野部分を平定していく。弱いものは山岳地帯に追われていく。大雑把に言うと、中国でも、日本でも、歴史は同じようなパターンで推移していった。

そして大半を押さえたのがビルマ族であった。イラワジ管区、バゴー管区、マグウェ管区、マンダレー管区、サガイン管区、タニンタリー管区、ヤンゴン管区と7つの平野部分を平定し中央政府が直接コントロールできる仕組みをつくりあげた。もちろん軍事力によってである。

だが、これでは各民族が納得しない。そこで山岳地帯に追い込まれた民族の中でも特に雄藩といわれる、チン・カチン・カレン・カヤー・モン・ラカイン・シャンの各民族に与えられたのが7州である。今でも中央政府のやり方に不満を抱いている。

実は、その前に乱入してきたのが外人レスラーの大英帝国で、丸い土俵を四角のリングに変えて制覇してしまった。ルールどころではない、ガンボートを持ち込み、シュエダゴン・パゴダを行儀の悪い兵隊の駐屯地として、極悪非道な反則技のオン・パレードである。
これでは堪らんと立ち上がったのが先鋭化した学生運動で、そして我らがビルマ党などの政治団体である。そのリーダーがお馴染みアウンサンである。だが、ここでは日本人にお馴染みの“三十人の志士”や“南機関”、そして日本の植民地時代、日本の敗戦については省略し、話はビルマの戦後に移る。

日本の敗戦と同時にイギリスはインドとビルマに戻ってきた。
時代が大きく変わりつつあることにも気づかず、イギリスは植民地経営に固執した。そしてアウンサンの粘りがちで、ついにはロンドンでアウンサン=アトリー協定の調印に成功する。1947年1月27日のことである。

それからビルマにとんぼ返りして、アウンサンが粘りに粘って、シャン州ピンロンで歴史的なピンロン協定に調印したのが1947年2月12日である。この日はユニオン・デー(連邦記念日)として、現在国民の祝日となっている。

その間、わずかに16日という早業である。ジェット機もないあの時代にである。



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04:ピンロン協定書とは?

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1947年2月12日、南シャン州のピンロンにおいて、ビルマ人政府を代表するアウンサンと、シャン・カチン・チンの山岳民族の代表者との間で成立した完全自治を認めた連邦制の協定書で、これにはイギリス人のビルマ総督も署名している。

だが、その後のアウンサン将軍の暗殺、およびネウィンのクーデターで、この協定内容は軍事政権によって反故にされたままで今日に至っている。

したがって、テインセイン大統領の新政府が、真の国内平和統一を成し遂げるためには、もう一度この原点、すなわち完全自治という連邦制にまで戻らないと、武装した各山岳民族たちは承知しないというのが、今の現状である。






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