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<ミャンマーで今、何が?> Vol.133
2015.02.18

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■ユニオン・デー

 ・01:子供の日

 ・02:アウンサン将軍の偉業

 ・03:ユニオン・デー

 ・04:平和協定

 ・05:ミャンマーの複雑さ

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今年2月の第2-3週は普段見られない特異日が続き、このメルマガの発刊が第3週週半ばの18日(水)なのでその特異日は今も続いている。

何が特異日かというと、すべては国父と言われるアウンサン将軍に関連している。

まず12日(木)は2月唯一の国民の祝日(ユニオン・デー)。これについては少し後で説明しよう。

そして翌13日(金)はアウンサン将軍の誕生日で、しかも今年はその生誕100周年記念(1915年2月13日生)に当たるが、国家として統一した記念行事は行われず、地方都市あるいは町村単位、あるいは生誕地のナッモウクなどで、表面的にはふんだんに、そして盛大に挙行されているように報道されているが、何故だか、まとまりがなく、ちぐはぐで、バラバラなのだ。

このバラバラがミャンマーの今を、面白いほど的確に象徴している。本来であれば、ミャンマー国軍の生みの親で、しかもビルマ独立を勝ち取った国民的英雄の生誕100周年であれば、ビルマ・ミャンマーの近代史にとって貴重な記念日として盛大な国家統一行事が行われてもと、野次馬は思うのだが、実はそうではなかったところにミャンマーの今が見えてくる。

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01:子供の日

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アウンサン誕生の2月13日は国民の祝日ではなく、まったくの普通の日である。国連が子供の福祉・健康・教育を促進するため、各国の事情に合わせて「チルドレンズ・デー」を特定の日に設定するよう奨励しているが、ミャンマーではその「子供の日」をアウンサン誕生の2月13日に設定している。

隣国インドの「子供の日」も独立後初代首相を務めたジャワハルラル・ネルーの誕生日11月14日に設定されているから、何ら文句を言う筋合いはないが、ミャンマーの場合は別の意図が隠されているように見受けられる。

日本にも「みどりの日」という国民の祝日がある。本来、これは昭和天皇の誕生日がその死去によって制定されたものだ。だが、時代が昭和から平成に移り変わり、さらには次世代へと受け継がれていくと、その原典が希釈され、ついには、その本来の意味が蒸発して雲散霧消していくように思われる。

ミャンマーでも、すでに同様の現象が発生しているように見受けられる。今年も各地で「子供の日」が祝われたが、その実態は子供の健康を促進する運動会に転化されてしまったようだ。あるいはアウンサン将軍の名前を冠した優勝杯の争奪戦に終始している。



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02:アウンサン将軍の偉業

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何故、アウンサン将軍がこれほどまでに国民的英雄としてもてはやされるのかを調べてみると、第二次世界大戦後の1947年1月27日、宗主国の帝都ロンドンで、一年以内にビルマの独立を確約するアウンサン=アトリー協定をビルマの暫定首相として締結したこと。そして帰国するとすぐに、シャン州のパンロンに飛び、山岳地帯の主要民族であるシャン・カチン・チンと1947年2月12日に歴史的なパンロン協定をビルマ族代表として締結したこと。すなわち国内統一を成し遂げたこと。この二つがアウンサンの偉大な業績として歴史に刻まれたためである。さらに追加するならば、その達成を見果てぬままに1947年7月19日に刺客の手で暗殺されたことによる。ビルマ独立は1948年1月4日午前4時20分。

英国がビルマを植民地化してからも、その支配が及ぶところはビルマの中央低地地帯が中心で、その周辺に住む山岳民族までその支配は及んでいなかった。ミャンマーにはビルマ族を除いて135のエスニック民族が住むといわれている。その大半は山岳地帯に住むヒル・トライブ(高地民族)といわれていた。彼らには独特の文化・経済・政治が発達し、各種族ごとの藩王が乱立する形でそれらの地域を治めていた。だから、アウンサン将軍のパンロン協定は英国ですらなしえなかった大偉業を完成したことになる。

主要民族とはいえ、シャン・カチン・チンの代表のみである。だが、アウンサンはビルマ族代表としてこのパンロン協定に署名している。そこには、各民族に対して広範囲にわたる自治を認め、中央政府は介入しないこと、そして新生ビルマ国は連邦制によって誕生することが謳われている。



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03:ユニオン・デー

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そのパンロン協定書が締結された2月12日が「ユニオン・デー」として国民の休日に制定された。日本語に訳すと「連邦記念日」あるいは「国民統一の日」となるだろうか。当時のアウンサンの頭にあったのは連邦制を保証した新生独立国の誕生にあったという。

そしてビルマ族、すなわち中央政府の支配が及ぶ中央低地地帯はヤンゴン管区・マンダレー管区など合計7つの「管区」が設定され、それに見合う7つの「州」が設けられた。すなわちシャン州、カチン州、チン州などである。新政府発足後は「管区」はあまりにも軍事政権的であるとして「地区」に名称変更となった。

簡便に7つの州にまとめられているとはいえ、ミャンマーは文化人類学的にもエスニック民族の宝庫といわれ、例えばシャン州だけでも約33のエスニック民族が住むという。特にインド・バングラデッシュ、中国の雲南省・チベット自治区、タイ・ラオスなどと国境を接する山岳地帯には言葉も文化も異なる民族が共存している。当然ながら、彼らの考えは決して一枚岩ではない。

パンロン協定書に署名したアウンサンが暗殺され、その後の軍事政権の台頭で協定書の精神は完全に破棄される。そこから各エスニック民族の中央政府に対する不信が始まるのだが、中央政府は武力による鎮圧しか考えなかった。

事実は小説よりも奇なりで、その後の歴史は隣国中国から国民党が逃げ込み、それを討伐するために人民解放軍、すなわち共産党軍が侵入してきた。軍資金を捻出するために中国人お得意のアヘンが密造される。桃源郷のような平和な村が無法地帯となっていった。

これらが数年前に発足する新政府登場までのあらすじである。



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04:平和協定

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テインセイン新政府が躍起になって平和交渉・平和協定を呼びかけても、各民族がそう簡単には騙されないぞと警戒心をなかなか解かないのはこのような歴史的経緯があるからである。

エスニック民族といっても近代兵器で武装した軍団もいれば、政府軍の山岳掃討作戦で国境地帯を出入りして逃げ惑う部落民たちもいる。近代兵器の装備には莫大な資金が必要である。外国勢力が教えてくれたアヘンの密造が手っ取り早い。それを何らかの意図を持って支援する外国のスパイ、宗教活動家、NGOの団体、政治団体、ジャーナリストなどが、さらに問題を複雑にしている。

テインセイン大統領が最も危惧し、今年末の総選挙までに何としても成し遂げたい最後の難問が、各地域で勢力を誇る武装グループとの平和協定である。いつ再燃するか分からない内戦の火薬庫を抱える限りは独立国としての体裁を海外に誇示できないからである。

だから、テインセイン新政府はこれまで禁止してきた各州の「ナショナル・デー」の祝典を許可するようになった。それがシャン州であり、カチン州であれ、カレン州などの「ナショナル・デー」である。だが、それは統一された2月12日に行われるのではなく、2月の第1週であったり、第3週であったりと、実にバラバラなのだ。それもヤンゴンで挙行されたり、地元の州の各都市・町区と別々の日に挙行されたりしている。

同様に「子供の日」も、各地域で都市単位、町区単位で、盛大に挙行されているが、アウンサン誕生日の2月13日だけでなく、二週間前に開催されるところも、一週間後に開催されるところもと、実にばらついている。政府が意識的に拡散させているのかは不明だが、政府が意図的に2月13日に統一していないことだけは確かである。



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05:ミャンマーの複雑さ

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「ユニオン・デー」、「子供の日」の盛大なお祭り騒ぎがミャンマー全土から伝えられる中、シャン州のコウカン地区における、政府軍と反政府武装グループとの戦闘が克明な地図入りで2月11・12・13日と連続で報じられた。

「テインセイン大統領がエスニック武装グループおよび各政党との話し合いの会議に出席」という写真付きトップ記事が報じられた同じ日刊紙に、その戦闘状態が報じられているのである。

世界中からの移民と混沌で成り立つアメリカ合衆国、そして歴史的な経緯は別としてほとんど均一の単一文化構成に仕上がった日本。それとはまったく異なる構成要素で成り立つミャンマー。

このあたりが、アメリカ人・日本人にとって理解し難く、ミャンマーの今が抱える複雑さが見え隠れしているようだ。







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