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<ミャンマーで今、何が?> Vol.139
2015.04.02

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■ムスレムの秘儀

 ・01:ムスレムのシンピュー儀式?

 ・02:ムスレムの孤児院

 ・03:反対給付を期待しないお布施

 ・04:コーラン学級

 ・05:ムスレムの秘儀

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01:ムスレムのシンピュー儀式?

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上座部仏教のミャンマーでは‘シンピューの儀式’は“初出家”と翻訳しても間違いではない。

ところが、ある既婚夫人からまたまた‘シンピューの儀式’にどうだと誘われた。お伝えしたとおり、前回リッチマン家族の二日間にわたる仏教徒の典型的な‘シンピュー儀式’をたっぷりと経験させてもらった。すでに十分堪能したので、本来ならお断りするところだ。

だが、野次馬の気を惹いたのは、彼女はインド系だがヒンドゥー教徒ではなく、宗教としてはキリスト教を信奉している。そしておもしろいのは夫がイスラム教徒であることだ。彼女自身の誕生日にお布施としてイスラム教徒の孤児院で全員に昼食を大盤振る舞いするという。それだけではなくシンピューを済ませていない三人の男の子に、自分がスポンサーとなり儀式を済ませてあげるという。

仏教徒の孤児院、クリスチャンの孤児院、これらはミャンマーでは一般的に見かける施設で、何度か誘われて訪ねたことがある。その雰囲気はすでに経験済みで、それほど新鮮味はない。だが、ムスレムの孤児院? そしてムスレムの初出家? まるで不可解だ。
俄然、興味が湧いてきた。野次馬の第六感が騒ぐ。おもしろい。行ってみよう。ミャンマーではセレンディピティともいえるこのような幸運にときたまブチ当たる。

タクシーの運ちゃんをやっているイスラム教徒の夫が当日の朝迎えにきてくれた。行き先はヤンゴン郊外のムスレム経営の孤児院。イスラム教の創設者マホメットも幼いときに両親と死別している。ひょっとして将来のマホメットに会えるかもしれない。



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02:ムスレムの孤児院

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夫は英語をまったく喋らない。その細君(かなり太目ではあるが)も実に怪しげな英語を聞かせてくれる。だからわれわれの間では身振り手振り語、片言のミャンマー語、そしてわずかな英語という三ヶ国語が重要な役割を果たす。日本語はまったく役に立たない。

施主であるキリスト教徒婦人も今日は一段とおしゃれして、安物であるが、真っ赤なドレスが良く似合う。その旦那も今日はこざっぱりしたイスラム教徒の正装で、わずかに安っぽい香水の匂いまでする。もちろん立派な頬髯、あごひげ、を生やしている。

道中、孤児院の生徒数を聞きだし、途中で大き目の駄菓子屋に停車してもらい、10,000チャットほどの菓子類を詰め込んでもらった。40名の学童および孤児院の職員10名として、何とか間に合うだろう。

都会の厄介者、とくにビニール袋や生ゴミ類が大量に埋め立てられていると思われる、悪臭のする、あまり衛生状態の良くない方向へ、タクシーはどんどん入っていく。こじんまりとした仏教徒の僧院があちこちに点在している。その中を右折・左折を繰り返して奥へ奥へと車は進入していった。

ゴミの山の埋立地の奥にだだっ広い校庭がコンクリの壁で囲まれている。校門は鉄格子状で鎖を巻きつけ鍵がかかっている。その奥にコンクリ作りの二階建ての校舎が見える。もう真夏に入ったヤンゴンの昼前はまぶしいほどに陽が照りかえり、校庭には人っ子ひとりいない。クラクションを鳴らし、しばらく待つと、年長者の子供が鍵の束を鳴らしながら、駆けてくる。

鍵がなかなか合わないようだ。要領悪く、何個か試してやっと開門だ。人っ気のない校庭をタクシーはゆっくり進み、校舎横に停車する。校舎横にひょろひょろとした樹木があるが、太陽は天頂から照りつけ、ほとんど日陰の役には立っていない。



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03:反対給付を期待しないお布施

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履物を脱いで、だだっ広い広間に上がる。暗い室内に慣れるのにしばらく時間がかかる。イスラム教徒らしく奥のほうに絨毯が敷き詰められ、それ以外の場所は安っぽいところどころ破れたビニールのカーペットが敷き詰められ、裸のコンクリがむき出しになっているところもある。背の低い細長い机をコの字型に据えた簡易クラスが2カ所設置されている。イスラム帽を被った男児がコの字の内と外にあぐらを組んで座っている。

コの字の頂点にスカルキャップ(縁なし帽)を被り、いかにもムスレム然としたヒゲ面が、教師用の机を設え、生徒たちに対峙している。そのひとりが校長先生で、もうひとりがその助手の教師だそうだ。数えてみると、それぞれが約20人の児童を担当している。校長先生も助手もまったく英語を解さない。真っ赤なドレスの怪しげな英語が、こんなとき、実に頼もしくなってくる。早速、インスタントに用意した持参の菓子類をこのヒゲ面先生に手渡す。

ニコリともせずに受取り、机の脇に置いて、何事もなかったように、コーランを読み続ける。

ワタシも昔は若気の至りで、オイ、お礼のひとつぐらい言ったらどうだと怒りたくなったこともある。だが、ザカートというイスラム法に定められた五行のひとつで、貧者・寡婦・孤児・旅行者などの救済に使用される救貧税というものあることを知った。日本語では喜捨と訳されている。喜んで捨てる。実に素晴らしい言葉ではないか。

考えてみると、この校長先生が道中で体裁だけを整えた、心の篭っていないプレゼントを受取るのではなく、生徒やそこで奉仕する人たちに分配する仲介役でしかない。これはおもしろいことにミャンマーの仏僧もまったく同じ考えで、自分たちがお布施を受け取るのではなく、受取ったお布施は周りの貧者に配分しているのである。逆に日本人の形だけのプレゼントをしておいて、その御礼を期待するなど、非常にさもしい考えではないかと自分の不明を恥じた。

本人の誕生日のお布施として孤児院で昼食を振舞う。その精神は、仏教徒も、キリスト教徒も、イスラム教徒も、弱者に対する反対給付を求めない慈悲の行為で、オレがオレがでない人間だけが抱ける、だが当たり前の気持ちではないのだろうか。今、マスコミはミャンマーで仏教徒とイスラム教徒が宗教戦争に突入、あるいは米国主導の軍隊がイスラム国家を攻撃という無理矢理宗教対立に持ち込んでいる気配が見えるが、ワタシは各宗教間の根底には、今の右へ倣いのマスコミとは異なるアプローチがあってもよいのではないかと、ついつい考え込んでしまった。

スカーフをかぶった夫人連中が何人か煮炊きの手伝いに借り出され、彼女たちも無料の奉仕団である。かまどに火が焚かれ、大鍋から湯気が立ち込めている。仲良し仲間だけの誕生会、お世話になったあの方を招いての誕生会、愛する二人だけの誕生会、それはそれで大いに結構なのだが、ここヤンゴンで見学させてもらった誕生パーティには、心の広い何か人類愛に通じるものを覗かせてもらったような気がする。



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04:コーラン学級

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孤児院では生徒40人ほどが、校長先生から体を前後に揺らしながらコーランの読みを習っている。せいぜい12・13歳までとのことだが、机にうつぶし眠っている3歳ぐらいの幼い子もいる。全員が男の子。例の白い縁なし帽子を全員着用。カメラを向けると慌ててコーランを読むフリをする子、ピースサインで笑顔で応じる子、それは千差万別で、ヒゲ面でいかめしい顔つきだが、先生はまったく頓着せず、意外と優しいのである。眠っている子を起こしたり、壁に向かって立たせたりせず、自由奔放学園である。宗教とは無関係に、教育実習にお勧めしたいところだ。

食事の準備ができたようで、眠っていた子も慌てて食堂に集合する。今日はたらふく飯が食える。何杯でもお変わり自由だ。奉仕団のスカーフ組みが次々におかずをご飯の上に乗せていく。自分の皿が満たされると、小さな指先だけでご飯とおかずを器用に丸めて口の中に放り込んでいく。もちろん清き右手を使用して、と言いたいところだが、結構左手も補助として使用している。こういういい加減差がなんともいえず微笑ましい。

食後のバナナもひとり一本いきわたっている。満足すると次々に水場には行って手を洗い、口をすすぐ。この年齢ではまだ一日5回の礼拝は義務付けられていないようで、縁なし帽をクラスルームの机の上に置くと、その場に一斉に雑魚寝だ。中には目だけぎょろぎょろしているのもいるが、ほとんどは間もなく熟睡状態となる。子供たちにとっては、お腹は満腹、真夏の暑さを避け、ひんやりとした薄暗い室内での昼寝はマハラジャの世界かもしれない。



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05:ムスレムの秘儀

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「ミャンマーで今、何が?」はご承知の通り非常に格式の高いメルマガである。大勢の女性読者にも愛読されている。これ以降の文章は血を見て卒倒する人には、お勧めできない部分もある。自信のない方はここで読了にしていただきたい。どうしてもという場合は、極力目を細めて一気にさっと読み終えていただきたい。

午後の1時半となり帰宅時間を気にしていると、シンピューの儀式をこれから二階で行うという。校舎の二階はだだっ広い大部屋で、雑魚寝の就寝に使用されるという。壁際には薄っぺらい布団やゴザ、そして枕が積み上げてある。たまには会議にも使用されるようだ。最奥に礼拝室がありメッカの方角を示す壁がんも設けられている。礼拝室のみは絨毯がフロアいっぱいに敷かれている。

二階の大部屋には簡易ゴザが少し離して3枚用意され、枕もそれぞれに3個用意されている。ほとんど言葉が通じず苦労したが、この儀式の執行人は79歳の長老。白いあごひげがその年齢を感じさせる。床にあぐらをかき、自分の身辺に、汚い磨り減った革鞄から、薬品らしきものなどをつぎつぎに取り出し、広げはじめた。思い出したように若者に言いつけて、読み止しの新聞を持ってこさせ、それを床に敷き詰めて、もういちどその上に薬の壜や軟膏を置いていく。ガーゼに軟膏をぬりつけ、ベビーパウダーを振り掛ける。ほとんどが安いバングラ製の薬品類。10年ほど前に使用期限とか、有効期限が切れたような代物、ラベルもすりきっていてよく読めない。

年季の入った竹製のピンセットもある。これだけ示されて、さあこれは何だと謎をかけられても分かる日本人はほとんどいないだろう。そしてお湯の入った手桶を持ってこさせて、大事そうにヒゲそり用のナイフをその中につけた。問題はそのナイフがほとんど錆付いていることだ。使用したあとの手入れがまったくされていないようだ。成り行き任せの錆だらけだ。

コーランの授業を受けていた児童の中でも、吹き出物や、皮膚に怪我をしている子達が何人かいたので、そうかこれもお布施の一種で、衛生管理の行き届かない生徒たちに皮膚病の手当てでもするのかと想像し、質問するが答えははっきりしない、シンピューだと答えが返ってくる。どうもこれがメインの儀式のようだ。

頭の鈍い野次馬はそのときになってアッと気づく。ひょっとしてこれがムスレムの秘儀ではと。本日の儀式は、施術順に5歳、8歳、4歳の三人、面倒を見る両親がいないので、このイニシエーションをまだ済ませていなかった。日本でいえば元服の儀式に通じる通過儀礼である。今のリッチなイスラム商人家庭ではこの世に生れ落ちると数日以内にこの儀式を済ませるという。

先ずは5歳男児が長老の前に連れてこられる。そして自分でロンジーを解き、足元に降ろす。誰かがそのロンジーを持ち去る。下穿きはつけていない。そしてヒゲ面校長が後ろから羽交い絞めにして男児の頭をあぐらの上に乗せ、万歳した両手を押さえつける。。むき出しになった下半身の両膝を開き助手の教師がそこに割って入る。5歳児の絶体絶命。もうビクとも動けない。

自分の運命を知っているのか、けな気にも男の子は、声に出しては泣かないが目にはいっぱい涙をためている。急所近くの下腹部へ長老が注射する。一瞬麻酔薬かと思ったが、化膿止めの抗生物質のようだ。そして男児を一階のトイレに助手が連れて行く。そこで小用を促すようだ。

戻ってくると柔道の試合が再開するように、前とまったく同じ態勢を取らされる。ヒゲ面の二人に頭と両足を押さえ込まれ、子供は俎板の鯉となる。動きはまったく取れない。長老は慣れた手つきで竹製のピンセットで珍宝の先の皮冠り部分を思いっきり引き伸ばす。情け容赦なく錆付いたナイフがその部分を容赦なく環状に切り取りとっていく。血がどっと吹き出す。助手が大量のコットンで手際よく拭き取っていく。実に痛そう!! 

軟膏とベビーパウダーのガーゼで施術部分を覆い包む。バンドエードででも固定すればよいものを、普通の糸で留めて一丁上がり。そして用意された簡易ゴザに校長と助手の二人がかりで運んでいく。よっぽど痛いのだろう。子供は下半身露出のまま仰向けに寝かされ寝返りも打てない。

次は8歳の男児だったが、年齢が上になればなるほど、痛みの度合いは強くなるらしい。彼は施術中に火がついたように泣きわめいていた。可哀想だが、両親に棄てられたか、引き取り手のない子供は、小さいときにこの儀式をおこなう機会を失ってしまうらしい。最後の4歳の男児は施術中に携帯電話のゲームで途中までは痛みをこらえていたが、最後は大泣きとなった。だが、簡易ゴザに寝かされると、またゲーム画面で痛みを紛らせていたようだ。

そしてこの儀式は決して女性立ち入り禁止ではないようで、ベールを被った女性たちが入れ替わり立ち代り、二階に上がってきては、母親代わりに子供をあやしていた。あと三日間は毎日この長老に来てもらって化膿止めの注射を打ってもらうとのことだ。

実に不衛生で、野蛮なやり方のようであるが、手術が終わって寝かされている丸干しの小魚3匹を眺めながら、いにしえの時代のイスラム教徒も本日の方法とほとんど変わらない不衛生な、錆付いたナイフなどで、伝統的な儀式を脈々と続けてきたのではと、思いを馳せた。それがそのままここに残されているとすれば、ヤンゴンの凄さに感動さえ覚えた。

今宵のウィスキータイムはジョニー・マチスの“When a child was born”でも聞き、そのあとでデビッド・リーン監督の“アラビアのロレンス”といこうか。






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