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<ミャンマーで今、何が?> Vol.154
2015.07.22

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■変貌を遂げるミャンマー

 ・01:68年前の出来事

 ・02:変わる変わるミャンマーが変わる

 ・03:セクレタリアート・ビルディングが化粧直し

 ・04:アウンサン将軍限定の観光コース

 ・05:足をすくわれないように

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01:68年前の出来事

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1947年7月19日、土曜日の朝であった。セクレタリアート・ビルディング西側二階のアウンサンの執務室で閣議がまさに開かれようとしていた。

突然、階段を駆け上る激しい足音とともに、扉が蹴り開けられ、四人の男が乱入してき た。「逃げるな!」「立ち上がるな!」と叫んで闖入者たちは閣僚たちに銃をつきつけた。

咄嗟に立ち上がろうとしたアウンサンは、「撃て!」の声とともにたちまち銃撃され、その場で即死した。わずか30秒のできごとであった。男たちはすぐに現場を去って 姿を消した。(「抵抗と協力のはざま」根元敬著による)。

ビルマ史を血で汚したアウンサン暗殺である。享年わずかに32歳。1947年7月19日午前10時37分のことであった。



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02:変わる変わるミャンマーが変わる

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この事件は、ビルマ近代史の中で長いこと意図的に封印されてきた。だが、2011年3月31日、新政府の発足で状況は変わった。変わったといっても、急激に変わったのではない。抜け目のない商人が、相手の顔色を注意深く窺うように、テインセイン大統領は、軍部の強硬派および民衆の顔色の双方を見比べながら、そしてジャーナリストの反応を慎重に見極めながら対応していった。

このセクレタリアート・ビルディングは、植民地時代の総督府が置かれていたところである。1948年1月4日のビルマ独立後も、首相執務室および内閣府、各大臣執務室、官房事務局などすべての行政機能が ここに集中していた。いわゆるビルマ政庁である。ミャンマー軍政時代も首都がネイピードに移転するまで、ここが政治の中心地であった。日本でいえば千代田区永田町みたいなものだ。

2005年11月6日朝、1km四方の広大な敷地がゴーストタウンと化した。首都移転のためである。外国人がこの豪壮な赤レンガにカメラを構えると、どこからともなく、ロンジーにスリッパの男が近づき、面倒なことに巻き込まれたくなかったら、サッサと立ち去ることだと、鋭い目つきで追い払われた。

それが、2011年・2012年の殉難者の日(毎年7月19日)ころから、そのビルの一室を見上げるマハ・バンドゥーラ通りに、テレビクルーをはじめマスコミ関係の報道陣が集まるようになった。それを遠巻きに警察官がこの敷地のフェンスの内外に配備され、さらにその周辺に野次馬が集まるようになった。今では、外国人がこの模様をカメラに収めようが、ロンジー姿の秘密警察は現れない。

外国人と接触することは、一般のミャンマー人にとっては、危険な行為であった。それを察知できなかったのは、陽気な外国人だけである。どこに、秘密警察の目がひかり、路上喫茶でのヒソヒソ話はさらに小声になる。だが、いまは平気で会話ができる。アウンサン将軍の超有名な娘の名前を出しても問題はない。

ミャンマーが変わったといっても、高層ビルや日本料理屋の出現ではない。4年という月日をじっくりとかけて中味が変わってきたのである。テインセイン大統領の深謀遠慮である。



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03:セクレタリアート・ビルディングが化粧直し

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ヤンゴン・ヘリテージ・ファンド(YHF=ヤンゴン文化遺産基金)というNGOが設立されたのは2012年のことだった。都市開発が進み、ヤンゴンの地価が高騰していった。ヤンゴンの崩れかけた歴史的遺産が次々にデベロッパーに売却され、ホテルや高級マンションへの建て替えが発表された。

軍事政権が放置してきただけに、特にヤンゴンには、植民地時代の歴史遺産が荒れ放題だが、そのまま残されている。シンガポールやクアラルンプールでの高層ビル群への変貌に比べ、これはヤンゴンの奇跡でもある。軍事政権に感謝すべきかもしれない。

YHFは次々にキャンペーンを行っていった。マーチャント通りにある一世紀以上の風格を見せるインド大使館や元アメリカ大使館、そしてラングーン・タイムズ社が本社を構えていたガンジー・ホールなども救われた。大統領をそして政府当局を説得したのである。

このYHFの主宰者は第3代国連事務総長ウ・タントの孫であるタウンミエンウーである。そのタンミエンウーが、厳重な警戒のなか、米国のオバマ大統領を案内したのが、このセクレタリアート・ビルディングである。2014年11月14日午前11時過ぎのことであった。

ウ・タントについても、オバマ大統領のこのときの速報も、このメルマガのバックナンバーで参照できる。ご利用いただければ幸甚である。

そしてお馴染みGNLM紙7月20日付第一面に「殉難者の日に旧総督府を一般開放。多数の見学人が押しかける」と写真つきで報道されていた。実は昨年の殉難者の日に、ほんの短い時間試験公開されたが、今年はなんといってもアウンサン将軍の生誕100周年の年に当たり、それに間に合わせて改修工事も順調に進み、しかも日曜日ということもあり、何千人という参観者が押しかけた。そして午前10時37分に参観者たちは運命の執務室を見上げる西側の芝生に集まり、一分間の黙祷を捧げた。これもYHFのキャンペーンの成果であろう。

ヤンゴンが、そしてミャンマーが大きく変わったこと実感していただけるだろうか。



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04:アウンサン将軍限定の観光コース

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68年前の7月19日、暗殺という非情手段で虐殺されたのは、アウンサン暫定首相だけではなかった。6名の閣僚を含め合計9名であった。その9名の殉難者を祀った廟が、シュエダゴン・パゴダ北口にある。この日、ミャンマー政府としての正式な行事が行われるのは、こちらのほうである。アウンサン廟と紹介するガイドブックもあるが、それは正式ではない。

大統領の名代としてのDr.サイモウカム副大統領には両議院議長、裁判所長官など錚々たる政府高官が正装で付き随い、英雄たち各遺族に敬意を表し、花輪を供え、全員が2分間の黙祷を捧げた。その間、弔意を表する半旗が掲げられた。

政治の舞台では末娘のアウンサンスーチーが脚光を浴びるているが、珍しく長男のアウンサンウーおよび夫人のドー・レイレイヌウェテインも報道陣の前に姿をあらわした。

以前は、この式典でアウンサンスーチーに対する政府代表の態度は明らかによそよそしいものがあった。だが、今年からは、アウンサン将軍の遺族に対する副大統領の態度には、目に見えて手の平を返したような変化が見て取れる。

この辺りからも、日本料理店の賑わいだけでない、ミャンマーの変貌を読んでほしい。

そして、日本大使公邸近くにあるアウンサン将軍記念館にも、この日、大勢の人々が訪れた。なかには、掛け持ちの人たちも大勢いる。ことしは、アウンサン将軍生誕100年祭ということもあるが、セクレタリアート・ビルディング、殉難者の廟、将軍記念館、それにもうひとつ、カンドージ公園の将軍銅像を加えて、この4点セット巡りがアウンサン将軍限定の定番になるかもしれない。



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05:足をすくわれないように

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再び、同日付GNLM紙の6・7ページを開いてみよう。

13枚の写真が両面開きで掲示されている。テロの犠牲者となり、いまは国民の英雄となった9人の殉難者の遺族が正装で、それぞれに大きな花輪を献花し、弔意を表している。アウンサン将軍だけでなく、それぞれがビルマを代表する英雄であるが、日本人にはあまり馴染みがないので、ここでは割愛させてもらった。

外交団代表も、そして一般参拝者の写真もある。

この殉難者の廟も、しばらく前までは、外国の元首が訪れたときのみ、報道陣にも公開されたが、それ以外は開かずの聖地であった。だが、いつの頃からか、月曜日を除いて一般にも公開されるようになった。

やはり、ミャンマーは変貌を遂げているのである。

これまでのように、軍のお偉いさんにゴルフセットを贈答すれば、仕事はうまくいくと、マニュアルで勉強された方々、そのうちに足をすくわれることになるかもしれませんよ。

 


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