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<ミャンマーで今、何が?> Vol.173
2015.12.09

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■スーチー戦略がゆっくりと始動開始

 ・01: 12月は教師が走り、政界が激動する

 ・02:12月3日(木)朝の状況

 ・03:国営のGNLM紙(12月3日付)の検証

 ・04:民間のMT誌(12月3日付)を検証

 ・05:情報を入手する手がかりは?

 ・06:ミャンマー劇場の主役は?

 ・07:元独裁者の履歴書調査

 ・08:ミャンマーの鉄の女

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01:12月は教師が走り、政界が激動する

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先週のメルマガ発行日の12月2日(水)、次期政権を担うスーチーNLD党首は、テインセイン大統領と午前中に、ミンアウンライン三軍最高司令官とは午後から個別会談が設定されているとお知らせした。一般にはこれが頂上会談と誰もが期待した。

だから、翌朝3日(木)のニュースは非常に重要だとお伝えした。
だが、ミャンマーの政界はそれほどに甘いものでははない。スーチー党首はそこから一気に頂上を目指した。攻めのスーチーである。これから先のの見方、読み方はさらに慎重さを要するようだ。



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02:12月3日(木)朝の状況

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ありがたいことに東西南北研究所から歩いて1分もかからないマハバンドゥーラ大通りに日刊新聞・ジャーナルの早朝市が連日開かれる。まだ暗いうちから、多くの人たちがバスで、自転車でと、四方八方からやってくる。ママゴトのような小型のプラスチック製椅子とテーブルを用意して路上喫茶が開店し、天秤棒を担いだモヒンガー屋も早朝の客を取り込もうとする。そして深夜や早朝の労働には欠かせない覚醒用クンヤの売店も店を開く。人が集まるところに“市”が立つのは、どこの世の中でも同じだ。

見上げると、新月に向かう下弦の月が中空にかかり、明けの明星がこずえの先で一段と輝きを増す時間帯である。

いつもの6時になっても、英字紙のGNLMやMTは集配所にまだ到着していない。昨日はミャンマーにとって大イベントが行われたので印刷に手間取っているのだろう。だが、他のミャンマー語版デイリーやジャーナルには、スーチー党首とテインセイン大統領、あるいはスーチー党首とミンアウンライン最高司令官が握手している写真がアップで第一面を飾っている。結局この朝は、30分遅れでこの英文両紙が届いた。



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03:国営のGNLM紙(12月3日付)の検証

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第一面中央には両者が握手している二枚の写真が並列して掲載されている。
大きく躍る見出しは“バトンの引継ぎ”で、小見出しは“大統領、最高司令官がドー・アウンサンスーチーと円滑な政権移譲を平和裏に話し合う”となっている。

大統領との会見は45分間行われ、同席した大統領府広報担当イエトゥッ情報大臣は、去り行く国家元首と交代する新政権との間で、協力して秩序だった政権移譲の伝統を築き上げるため、そして国民の不安を軽減するための意見が交換されたと語った。

NLDが雪崩現象の勝利を収めた11月8日の総選挙以来はじめての会談で、テインセイン大統領はNLDの勝利を祝福し、スーチー党首は、民主改革を導入し、2012年に野党NLDが国会に参加する道を開き、2015年には自由で公正な選挙を護ったテインセイン大統領の努力に感謝の気持ちを表明した。エールの交換である。

いっぽう午後2時から最高司令官執務室で約一時間続いたミンアウンライン最高司令官とスーチー党首の会談については、同事務室が30分後に声明を発表した。国民の要望に注意を払い、国家の安定、法律の遵守、連帯統一、発展を遂げるために協力して打ち合わせを行うことで両者は合意したとなっている。

二つの個別会談は、ともに協力関係が樹立でき、お互いに波風を立てていない。好ましい関係と見て良いであろう。



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04:民間のMT誌(12月3日付)を検証

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満面に笑みを浮かべるミンアウンライン最高司令官と対照的にクールなスーチー党首が握手している写真が第一面を飾った。

そして大見出しは“両者は協調して仕事ができる”となっており、小見出しは“ドー・アウンサンスーチーとテインセイン大統領およびミンアウンライン上級将軍との昨日の歴史的な会見内容はほとんど発表されていない。だが、連帯して協力するとのメッセージは明確に伝わった”となっている。

スーチー党首を15年間自宅に閉門した軍事政権の現在の最高責任者であるミンアウンライン上級将軍がドー・アウンサンスーチーを笑顔で迎え入れたということは、象徴的で非常に重要な意味を持つ。

11月8日の総選挙で壊滅的な敗北を帰した与党党首テインセイン大統領は去りゆく運命にあるとされる。だがもう一方の、ミンアウンライン上級将軍は国防相、内務相、国境問題相という重要な3閣僚を指名・監督する立場にあり、憲法改正の動きを国会で阻止できる権限を有し、次期政権を担うNLDにとっては、権力分担をせざるを得ないカウンターパートナーとなる実力者である。

その上級将軍が、約一時間の会談のあとの写真撮影で「良い会談だった。両者は協力することで合意した」と語り、同司令官事務所も会談30分後には「国内の安定、法律遵守、連帯と発展に関して協力することで合意した」との短い声明をいち早く発表した。

一方、大統領の会談に同席したイエトゥッ情報大臣は「スーチー党首からは憲法問題は提議されなかった」と語り、「主な議題は、新政府への平和で円滑な政権移譲に集中した」とし、これは我が国の独立(1948年)以来、歴史的な出来事であると説明し、さらに会談中、「ドー・スーは平和的な政権移譲の文化を築くべきだと提案し、テインセイン大統領は一年前から政権移譲の準備を進めており、そのようにすると、大統領の個人的約束を取り付けた」と説明している。

ドー・スーは会談後、報道陣に対し口を堅く閉ざしており、誰を大統領に指名するかとの質問にも何一つ答えていない。



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05:情報を入手する手がかりは?

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ミャンマーの政治評論家は、漏れ聞こえてくるコメントは総体的で満足できない。なにひとつ具体的な合意事項が見えてこない。個別問題で合意されたことはあるのだろうかと疑問を呈している。合意事項があれば、秘密にせず、すべて国民に明らかにすべきだと語った。

ミャンマーでは、行間を読み取ることが非常に重要である。このプロの政治評論家はその訓練をしてこなかったのであろう。大統領府、司令官事務所の公式声明から、語られたこと、語られなかったこと、を整理していけば、そしてNLD党首が沈黙を守っている仕草から、何かが見えてこないのだろうか。

それ以上に重要なことは、この評論家は、外国人レポーターと比較して、ビルマ語情報に直接アクセスできる有利な立場にある。

その点、インターネットも、携帯電話も無かったあの時代に、ビルマで、機密情報の収集に奔走し、三十人の志士を日本に密出航させ、軍事訓練を施した上で、再入国させる、算段を粛々と進めた南機関の鈴木機関長、そしてその差配に従った72名の日本人機関員の凄さには、目を見張るものがあった。



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06:ミャンマー劇場の主役は?

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先週お伝えしたタンシュエの孫であるネイシュエトゥエイアウン(NSTA=24歳)によれば、スーチー党首のたっての希望で、ネイピードのタンシュエ邸宅においてこの82歳になるこの国の元独裁者と70歳になる最大野党党首との会見が12月4日夕、実現した。会見は2時間に及び、この事実は野党NLDの高官からも確認が取れた。

大統領および最高司令官との会見からわずか2日後に雲上人との会見が実現したことと、会見時間が大統領・最高司令官の2倍にも及んだ事実に注目して欲しい。しかも、スーチー党首にとっては、肯定的で決定的な言質を取り付けている。

NSTAはその翌日の5日付けフェースブック(FB)で「国民の誰でもがドー・アウンサンスーチーが総選挙に勝利したこと、そしてミャンマーの未来の指導者になるという事実を受け止めねばならない」と元独裁者の含蓄のある言葉を引用している。

テインセイン大統領と国防軍の最高司令官という国家の最高権力者といえども、何一つ決定権を持っていないことが露骨に暴露された瞬間である。

そして、1992年から2011年の新政府発足までこの国に君臨したタンシュエ元国家元首は、軍事政権が周到に起草した2008年憲法が存在するにもかかわらず、このミャンマーの生殺与奪の国家権力を掌握しており、いまでも無冠の帝王であるということが今、明らかになった。

そして、それにタダ乗りする形で、憲法上からも、大統領からも、何ひとつ権限を委譲されていないタンシュエの孫なるNSTAがミャンマー劇場の主役のひとりにのし上がってきた印象を植え付けるシナリオとも受け止められる。

スーチーには、軍事政権がスムースに政権移譲をおこなうだろうかとの最大の危惧があった。だが、大統領、最高司令官という第一次、第二次の面接試験を友好裡にこなし、その二日後にはタンシュエとの直接対決に持ち込み、しかも前述の通り、タンシュエの支持とも思われる言質を取り付けている。ということは、スーチーがアイドルではなく老練な政治家に大きく成長したと読めないだろうか。

もちろんその裏には、サフラン革命のみならず、自国民に銃を向けるどころか、発砲命令まで出し、大量無差別殺戮を実行したタンシュエの人道的罪を問わないという政治的決着を目指すという、すなわちタンシュエの罪を許すとの、憶測が見え隠れするが、これは時間の経過とともに、将来見えてくるかもしれない。



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07:元独裁者の履歴書調査

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政界から2011年に引退し、何一つ肩書きの無いこの人物が、国家元首であるべき大統領や三軍の最高司令官のはるか雲の上に君臨し、自由自在に操ってきたところが、この国の凄さであり、特異性でもある。

その諸悪の根源は、最大野党のNLDが2012年に議席を国会に確保してから常時攻撃してきた憲法にあると思われる。

タンシュエはただ単に老獪というだけではない。経歴からその辺りの秘密を探ってみたい。

1933年(今年82歳。1935年説もあり)にマンダレー地区チャウセのミンズ村で生まれた。日本時代、ビルマの独立を通してそこで育ち、大学には進学せず、郵便局に勤めた。20歳で陸軍に入隊し、最初の10年間で、新設された教育・心理作戦局に移動、1958年にはソビエトのKGBが主催する特別に参加。1960年には大尉となり、カレン族の武装ゲリラグループの鎮圧部隊を率いて参戦した。ネウィンが1962年のクーデターで政権を掌握すると、タンシュエは10年以内で中佐にまで上り詰め、南西管区の司令官となった。

1988年の民主化運動激化で、ネウィン将軍が退陣し、新しい国家法秩序回復評議会(SLORC)が設置されると、タンシュエはその副議長、国軍の最高副司令官および陸軍の最高司令官と最高権力者の一人にのし上がっていった。

4年後には、健康問題でソウマウン将軍が辞職すると、タンシュエは上級将軍となり、SLORCの議長、国軍最高司令官となり、独裁者として居座りこの国の最高権力者となった。ここに上り詰めるまでに、本人の表面的な風采よりも、心理作戦局およびKGBなどでの学習が、本人の出世に大きく影響したと、当研究所は見ている。

自分を凌ぐ高山が回りに見えなくなると、勝手放題を行うのが独裁者の常である。タンシュエも、前任者のネウィン同様に、自分のライバルを次から次に投獄し、政治的に、そして物理的に、抹殺したあとは、独裁者に変貌していった。国有財産を私物化し、恐怖政治を強行した。そこで、為政者としての品性がすべて露呈された。

例えば、2006年7月には、タンシュエの末娘(タンダーシュエ)の結婚式がネイピードの迎賓館で挙行され、その模様が多数に分割され同年11月3日にはYouToubから流出し、ネットで世界中に暴露された。国民が最貧国に置かれている中で、ダイヤモンドの献上品が花嫁の髪・耳・首・腕を飾り、当時はミャンマーの宝石店からダイヤモンドが消えてしまったとウワサされた。もちろんすべてはノーと言えない雰囲気の中での献上品である。

隣国の中国では、易姓革命という当時の世界を納得させる偉大な政治思想があった。もちろん古代中国の話で、現代の中国にそんな思想は微塵もない。だが、ミャンマーにおいては、天下人が天命にそむいても天はその地位を奪わない。国民もスーチー党首を除いて、それに噛み付かない。そして為政者は勝手放題をやってきた。その点で、ミャンマーは中国よりも、もう片方の隣国であるインドの影響が強いのかもしれない。



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08:ミャンマーの鉄の女

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2012年4月1日の補欠選挙で、スーチーは下院議員に初当選した。だが、初登院の4月23日、軍事政府が独自に設けた“2008年憲法を擁護する”との文言に同意できないとして、同僚の新議員とともに国会議員としての宣誓を拒否し、一週間以上にわたって議会を空転させた。何ら進展はなかったが、政治はギブ&テイクの駆け引きであるとの米国のヒラリー国務長官などの説得を受け、5月2日に宣誓を行った。そして次の定例国会が開催された7月9日が事実上の初登院となった。

そして2012年7月6日には、2008年憲法で資格を剥奪されているにもかかわらず、大統領選に出馬するとの意思表明を行っている。これまでも脚光を浴びてきた彼女に、未経験だとか、アイドル的な見方はふさわしくない。どうしてどうして彼女は戦う女で、鉄の女といってよいかもしれない。

今回も、12月2日の、午前と午後に別々に組まれた大統領、そして国軍最高司令官との会談直後に、二日後のタンシュエ会談を実現している。しかも、これまでの敵対的な関係ではなく、友好裡の関係を新たに醸しだしている。この辺りから、彼女の政治家としての老練さを読み取れないだろうか。

実は、本日12月9日(水)のメルマガ発行日も、本日朝一番の情報を整理してから、原稿の総仕上げをと考えてMT紙(12月9日付け)を開くと、USDP党首を追い出され、しかも今回の国会議員選挙にも破れた下院議長のシュエマンを、アウンサン党首は新政権において上級ポストに抜擢するとの憶測記事が掲載されている。だが、NLDとしての正式発表は何一つなされていない。この過渡期にはもっとも慎重さが要求されるのだろう。

タンシュエ元国家元首のお墨付きを取り付けた上で、老練な政治家スーチーがどう動くか、今後のミャンマー劇場が楽しみでもある。


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