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<ミャンマーで今、何が?> Vol.174
2015.12.17

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■スーチーとアウンサン将軍

 ・01: 父親そっくりの資質

 ・02:民主化への道

 ・03:頂上会談の引き金となったメッセージ

 ・04:隠れスーチー派の登場

 ・05:タンシュエ言質のインパクト

 ・06:日緬関係の秘話

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01:父親そっくりの資質

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ビルマ独立を交渉するロンドンにおける1947年1月のアウンサン=アトリー会談には、アウンサン暗殺の犯人であるウ・ソウも代表団の一人として参加していた。だが、英国のアトリー首相は多弁なウ・ソウよりも寡黙なアウンサンをひと目見て信用したという。

その血筋を受け継いでいるスーチーNLD党首は、どれほどしつこく報道陣からマイクを突きつけられても国民総選挙後の舞台では、寡黙を続けている。実権を完全に掌握できる2016年3月31日までは、どれほど危険で微妙な時期かを、実体験を通して学習したのであろう。その辺りの空気を読み、行動に備えるところなどは父親のアウンサン将軍に酷似している。

1947年7月19日に当時の暫定首相であったアウンサン将軍が暗殺された。1945年6月19日生まれのスーチーは当時わずかに2歳と1ヶ月である。したがって、この性格を、父親の薫陶から身につけるにはあまりにも幼すぎる。むしろ、彼女が成長する過程において、国父と慕われる父親の偉大な足跡を辿るうちに、後天的に身につけていったものと推測される。

ここで、ミャンマーの現在史を年表にしてみよう。

2015年11月08日 ミャンマーの国民総選挙が25年ぶりに実施された
2015年11月10日 スーチー率いるNLDの大勝が判明。すかさず与党トップとの会談を要求
2015年12月02日 テインセイン大統領、ミンアウンライン最高司令官がスーチーと個別会談
2015年12月04日 スーチーとタンシュエ元国家元首との極秘会談

この極秘会談で「国民の誰もがアウンサンスーチー女史が総選挙に勝利した事実、そしてミャンマーの未来の指導者になるという事実を受け止めねばならない」という重大な言質をスーチーはタンシュエ個人から引き出している。

もし、スーチーが勘の悪い空気を読めない政治家であれば、テインセイン大統領あるいはミンアウンライン最高司令官といまだもって押し問答を続けていることだろう。だが、彼女は両者との個別会談をスパッと切り上げると、その矛先をタンシュエに切り替えた。

このあたりの見極めは、一級の政治家といってよいであろう。南機関の鈴木敬司大佐、そして、その鈴木機関長に寄り添うようにつき従ったアウンサン将軍を髣髴させる決断と実行力である。この辺りがスーチーNLD党首に自然と備わったカリスマ性かもしれない。



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02:民主化への道

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今、ミャンマーではウワサ・ネットワークが、そしてマスコミが、その政局について詳しい情報を百花繚乱のごとく流している。週刊メルマガ「ミャンマーで今、何が?」が、何を書いてもそれは蛇足の類でしかない。むしろ読者の皆さんにその動きを教えを請いたいと思っている。

整理するためにも、もういちど初心に戻ってミャンマーの現在史を見直してみたい。マンダレー以北が隣国・中国の経済圏に取り込まれたのみならず、中国のゴリ押しは、チークなど森林資源、宝石・レアメタルなどの鉱山資源のみならず、軍事力・海軍力へと浸透していき、毎年1月はじめには、国家元首であるタンシュエは屈辱的な北京詣でを強いられてきた。

中国への危機意識を募らせるタンシュエは高級エリート参謀に“民主化へ向けての7つのステップ”というシナリオを作成させ、そしてキンニュンの首相時代(2003-2004年)に発表させた。それは、米国へのシグナルだったが、第43代大統領G.ブッシュはそれを読み取れず、強攻策に終始した。それに気づいたのは次期政権の、ヒラリー国務長官のお庭番デレック・ミッチェル(現駐緬米国大使)で、オバマ政権だった。現在の民主化は、すべてこのシナリオの手順で進んでいる。

中国に対抗するには、超スーパー大国・米国の保障以外には考えられない。

タンシュエの統治スタイルは、自分は表に出ず、使い捨てとなる大統領や首相を自在に競わせ管理することにある。そのための、秘密警察、別働部隊、超優秀なエリートが参謀として控えている。

米国を巻き込むシナリオは、日本軍の協力で大英帝国を追い出したアウンサン将軍のビルマに酷似しており、英国軍の協力でその日本を追い出したアウンサン将軍のビルマに酷似している。歴史は繰り返すというが、タンシュエ、そしてそのエリート参謀のアイデアも、ビルマの歴史をそっくりコピーしている。

タンシュエは欧米のマスコミがその風貌から揶揄するように、頭が空っぽでむごたらしい非情なだけの軍人では決してない。彼の経歴を調べると、創設されたばかりの心理作戦・教育本部に配属され、ソ連のKGB流の高度なテクニックなどを学んでいる。その経歴を生かして独裁者としてこの国を支配してきたとみるべきであろう。

“民主化へ向けての7つのステップ”の段階どおりに、2008年憲法草案が作成され、ミエミエのNLDとスーチー外しで2010年の国民総選挙が行われ、そのあとでスーチーの自宅軟禁が解かれ、国会が始動し、2008年憲法が承認された。形式的にはすべてこの7つのステップに則っている。

そして2011年3月31日には伝統的な民族服に着替えたテインセイン大統領の新政府が登場した。そこで、必死にスーチーを口説いて、2012年4月1日の補欠選挙にNLDの参加を懇願した。アウンサン将軍が目指した多数政党参加の総選挙を形式的に整えるためである。その結果は、軍事政権が恐れたとおりに、NLDの大勝で、与党軍事政権の全滅であった。だが、補欠選挙はわずかに48議席を争い、軍人支配の体制にはまったく影響がない。

だが、その悪夢は2015年11月8日の天下分け目の本選挙で再現された。そこで、タンシュエは観念した。過去の選挙を含めて軍事政権では国民の支持を受けられないことを悟った。悟ったといっても、したたかであることには変わりない。だが、今回の総選挙は欧米のマスコミ、EUの選挙監視団が厳重にモニターしており、これまでの不正介入は通用しない。

そこで11月19日、タンシュエの24歳になる孫が、スーチーに密かに会い、タンシュエ&スーチーという二人だけの頂上会談を準備した。それが実現したのが、12月4日夜の2時間にわたる極秘会談である。



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03:頂上会談の引き金となったメッセージ

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「私にはこの国に害をもたらすリベンジという怨みの気持ちなど一切ない。この国の未来を成功裏に建設するためには、タマドウ(国軍)を含めた既存勢力と協力することが必要だ。そこでタンシュエ上級将軍にお会いしたい」とスーチーは脅しとも和解ともとれるメッセージを発信した。賢明なスーチーは大統領も、陸海空三軍を統括する最高司令官も、まったく相手にしていない。ミャンマーの憲法上、今は何一つ権力をもたない82歳の元独裁者ただ一人にターゲットを絞った。

タンシュエは自分が作った2008年憲法を無視して、事実上は現在でもその上に君臨していることをスーチーは見抜いていた。憲法に則っているようだが、大統領も最高司令官も上院・下院両議長も、タンシュエは自分の判断で選別した操り人形として任命してきた。

スーチーも国民総選挙前の戦略として、NLDが過半数を獲得したら、自分は大統領以上の権限を行使すると、選挙前に公言した。国民はスーチーが党首を務めるNLDに投票するのであり、党首が大統領に就任できない憲法は根本的に欠陥があり、民主的ではないという論理である。理屈はどうあれ、これは同様の戦略をとってきたタンシュエに対する挑戦である。

タンシュエとその参謀集団は、これを最後のチャンスとして受け止めた。82歳のタンシュエにとって肉体的にも精神的にももう限度である。この土壇場で考えられることは、一族の生命・財産の安全保障と、出来れば悪名高き名前を名誉あるものにイメチェンしたいところである。民主化への道をデザインしたのはタンシュエであるという強弁もありうるだろう。それが2時間にも及ぶタンシュエ=スーチー首脳会談で話し合われた主題と推測される。24歳の孫は会談後に“ドー・スーありがとう”とハグしている。

ここは行間を読み取るべきところであろう。

ドー・スーはアウンサン将軍同様に信義を守り、これまで首脳会談について沈黙を通している。彼女は国益を考えて今後も沈黙を守ることだろう。だが、欧米のマスコミはこの点を今後しつこく追及することが予想される。



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04:隠れスーチー派の登場

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今年88歳のティンウー元将軍は野党NLDの重鎮である。スーチーのパトロン(擁護者)といわれている。軍人としては、トップにのぼりつめたが、当時ネウィンの経済的失政に噛み付いたとして、国家反逆罪で、何度か投獄され、そして自宅幽閉にもあっている。NLDの集会では、常にスーチーの横に在り、その背筋を伸ばしたかくしゃくとした姿は、年齢を感じさせない古武士の風格が漂う。彼はスーチーの身辺に危険が迫ったときも変わらぬ擁護者であった。彼ほどの一徹な擁護者でなくとも、これからは未知の支持者が登場してくるかもしれない。

スーチーがタンシュエの支持を取り付けたということは、これまで表立ってはスーチーを擁護できなかった“隠れスーチー派”、あるは風見鶏を決め込んでいた人材が、続々と名乗りを上げることが予想される。テインセイン大統領の呼びかけには躊躇した海外に亡命したプロフェッショナルたちも、スーチーの呼びかけであれば、祖国の再建に、名乗りを上げるかもしれない。彼らの中には、海外一流大学の研究者や教授たちも含まれるので、彼女の将来のブレーンは、軍人部落だけで賄ってきたこれまでの強面政権とはまったく異なる、国民総力戦に近いものが出来上がる可能性がある。



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05:タンシュエ言質のインパクト

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タンシュエが軟化したどころか、積極的にスーチー支持の発言をしたインパクトは大きい。すでに12月10日付MT紙では、スーチーが大統領職に就けない2008年の憲法条項を、国会議員の過半数で、一時棚上げにする法案を討議してはどうかとの一部議員の提案も掲載されている。平たく言えば、スーチーを特例で大統領にするという構想である。もちろん、そんなことは所詮無理だとの反対意見も掲載されている。だが、このような意見が出てくるところに、この国の風向きが大きく変わろうとしていると見て取れる。すべては、雲上人の鶴のひと声であり、そう仕向けたスーチーの深謀遠慮であろう。

この辺りは、父親であるアウンサン将軍を思わせる戦略で、さらにはその師匠格であった鈴木敬司大佐を偲ばせる策略でもある。

この24歳の孫は、スーチーとタンシュエ双方の同意を得た上で、この声明を流すと断わっている意味深な情報がもうひとつある。それは、1990年の総選挙で大勝したNLDに軍部が平和裏に政権を移譲しなかった理由を「NLDに対しての信頼が欠如していたため」と明かしている。ということは、裏を返すと、今回はNLD,そしてスーチーとの間に信頼が築かれたということになる。これこそが大きな裏づけといえるものである。

米国財務省は、ブラックリストに掲載してきた麻薬王ローシーハンの息子スティーブン・ローが経営するヤンゴン港のアジアワールド港湾ターミナルでの輸出入を認可すると発表した。これもミャンマーにおける民主化進展を評価してとのことだが、一方では米国政府のダブル・スタンダードのいい加減さと言えなくもない。



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06:日緬関係の秘話

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話はガラリと変わるが、ウ・イエミャルイン(U Ye Mya Lwin)をご存知だろうか?

日本の文部省の国費留学生として岡山国立大学で一年半学んだ。その間に、日本文学の魅力に取り付かれ、ミャンマーに帰国しても独力で日本語の勉強を継続した。そして1995年夏目漱石の「坊ちゃん」をビルマ語に翻訳し、出版した。それで、ミャンマー国民文学賞を受賞した。

それだけではない。岡山県人オオタ・アツミの書いた「ビルマ戦線の経験」を同じくビルマ語に翻訳出版した。この出版でトゥン・ファンデーションの文学賞を2009年に受賞している。この文学賞は、ミャンマー国民文学賞を上回る権威ある文学賞として知られている。

同氏はミャンマーでは著名な作家でもあるが、駐緬日本大使館の文化部長として日緬関係に深く携わってきた。歴代の日本大使より、余人をもって代えがたいとして、定年退職を毎年慰留された経歴を持つ。そして今年66歳。これまでに、漱石の「こころ」、吉本バナナ、村上春樹の「ノルウェーの森」などなどを60数冊ミャンマーに紹介し、翻訳出版してきた。その出版書籍数は自分の年齢を超えたという。

そのウ・イエミャルイン氏がいま、夢中になって取り組んでいるのが、さいとう・ナンペイ著「アウンサン物語2015」の翻訳である。全部で80話近いエピソードの半分以上の翻訳をすでに完了したという。その一部は同氏のフェースブックにアップロードされ、ビルマ語で閲覧可能だという。そこには坂本龍馬と同じく32歳で暗殺された、だが、実に中味の濃い日緬関係の秘話がエピーソードとしていくつも語られている。とくに、鈴木敬司大佐との生涯を通じての信頼関係、そして陸軍中野学校出身の南機関員たちとの親密な友情が、紹介されている。

ミャンマーでも戦後70年が経過し、ビルマの歴史が風化しているという。そのなかで、年配者のみならず、若者たちの間でも、ビルマと日本との間に、こういう親密な関係が残されていたのかと、静かなブームを呼び起こしているという。ビルマ語に堪能な方は、彼のフェースブックを覗かれるとよい。新たな発見があるかもしれない。


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