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<ミャンマーで今、何が?> Vol.190
2016.04.21

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■スーチーの覚めた目

 ・01:トロピカルの野点

 ・02:連休期間中の仕事

 ・03:スーチー関連の行動日誌

 ・04:スーチーの覚めた目

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01:トロピカルの野点

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人生の達人から、冷水による煎茶のお点前を学んだ。

これが極暑の季節、このヤンゴンには不思議とよく似合う。だが、中国の涼開水・ベトナムのニョクチャーダー・タイのナムチャージェンでは話にならない。これらはすべて、一度沸かして冷ました湯冷ましのお茶だからである。

シティ・マートで手に入るシャン高原産緑茶で試してみたが、まったく別モノである。これだけはなんといっても、日本産の繊細な緑茶に限る。

お点前の作法には反するが、この茶葉の出涸らしを、ご飯または麺類にツマミとともにまぶして朝食とする。これが体調にはすこぶる良い。トロピカルにおける野点の風趣も出て、油に漬けたラペットゥをはるかに凌ぐ。0-157食中毒が猛威を振るったことがある。ベロ毒素の培養液に緑茶のエキスを数的垂らすと、3時間ほどで、大腸菌がほとんど消えうせたとの科学情報を信奉して以来の習慣だ。

ミャンマー・インド・スリランカ一帯におけるお茶の生産は大英帝国の無知で、すべて紅茶に変色してしまった。それはスエズ運河が開通(1869年)するひと昔前の話である。カティー・サークなどティー・クリッパー(茶運搬専用帆船)がインドで茶葉を積み取る。そこから、熾烈なヨット・レースが展開する。スエズ経由の2倍という地球半周航路である。吠える40度線近くのアフリカ大陸最南端(喜望峰)を突破して、帆船がロンドンのテムズ川埠頭にたどり着く。一番船入荷の栄誉は最高のプレミアム価格で報われた。

ご承知のとおり、イギリスはジェームス・ボンドが登場するまで、味覚音痴の国であった。その伝統は今でも厳格に守られている。あんな不味い食事と、ミシュラン格落ちの星付けで、英国がバカにされたのが、植民地経営に手をつけた動機との説もある。♪な〜がい旅路の航海終え〜てっ♪で、茶葉の発酵が船倉の中で完熟してしまった。到着すると、生葉は真っ黒となっていた。だから、英国人は“ブラック・ティー”と名付けた。東洋人はあくまでも紅いお茶である。

茶葉を発酵させずに製造したのが緑茶、半発酵茶がウーロン茶、そして完熟発酵茶が紅茶である。

♪清水〜港の名〜物は〜♪、森の石松でなくとも虎造節が出てくる。この茶の香りは日本の緑茶に限る。

広大なシャン高原には、緑茶の生産に適したところが、いくつもありそうだ。このミャンマーで、安易に競争率の激しい和食料理業界に飛び込まずに、真の緑茶の生産を指導してくれる清水次郎長は出ないものだろうか?そうすれば、“鯛茶漬け”など、本物のお茶漬けをここミャンマーで楽しめるのだが。



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02:連休期間中の仕事

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長い連休である。年中働き詰めの新聞配送所も、水祭り期間中ぐらいゆっくりと休んでほしい。とはいえ、毎朝目にしていた新聞がないと心寂しい。

メルマガの今後の方針を模索するために、4年前に遡り「ヤンゴンで今、何が?」のバックナンバーを閲覧してみた。2012年5月ころから書きはじめたものだ。実際のアップロードは7月前後である。

2016年新年を迎えた今、気になるのは、ミャンマーはこれからどこへ向かうのか?スーチー新政権は何を目指すのか?である。バックナンバーを再読することで何か見えてくるものはないだろうか?

スーチーの『英語力』がなかったらミャンマーの民主化は不可能だったのでは”との疑問を投げかけてある。“スーチーが貴女の国の指導者になったら、是非ビルマを訪問したい”との南アフリカのデズモンド・ツツ大司教のエール(2011年9月21日)もお伝えした。

いま振り返ると、そのとおりに歴史は動いてきたようだ。というよりも、すべてはスーチーの深謀遠慮にしたがって、ここまで来たような気がする。それは実に長い長い道のりだった。これこそ2016年ミャンマー暦の新年で、すべての出発点のような気がする。

それを、このメルマガのバックナンバーで検証してみたい。



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03:スーチー関連の行動日誌 

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■2010年11月9日:この日、スーチーの自宅軟禁中に総選挙が行われた。ミエミエのスーチー外しだ。スーチーの率いるNLDは賢明にも選挙をボイコットした。当然ながら軍部が90%の議席を占めた。海外のマスコミは軍部が仕組んだ対立候補のいない総選挙と厳しく批難した。

■2010年11月13日:軍部はスーチーの自宅軟禁を解除した。総選挙の4日後である。スーチー外しの総選挙が明確に立証された。自宅軟禁解除とは、スーチー邸の周りに厳重に張り巡らした鉄条網が取り払われ、近辺の道路に配備された秘密警察が姿を消し、自宅の電話が外界と繋がったということだ。当時65歳のスーチーは、その日からパソコンを導入し、インターネットの学習を開始した。驚くべき精神力である。

■2011年3月30日:元老タンシュエの一存で、武闘派ではなく参謀型の、元老に忠実で、最も野心の少ない将軍、テインセイン、が抜擢され、軍服から伝統的な民間衣装に着替えさせられ、この日より、ミャンマーの最高権力者である大統領の椅子に着任した。欧米のマスコミ、そして政府は、形だけの民間政府と見抜いていた。中味は軍事政権であると。

■2012年4月1日:国会議員が政府の要職に就任すると、議席を剥われる。空席となっていた48議席を埋めるために、補欠選挙が行われた。欧米のマスコミ・政府は制服を着替えただけの、見せ掛けだと、テインセイン政府に圧力を掛けていた。老練なテインセインはその空気を読み取り、最大の対立候補であるNLDにも参加してほしいとスーチーにラブコールを呼びかけていた。これまで軍部階層のナンバー3の強面で下院議長のシュエマンまでが、スーチーに補欠選挙に当選して、政府の要職に就いてほしいと懇願していた。

*考えてみると、おかしな話で、知名度ナンバーワンのスーチーといえども、この時点ではNLDの党首だが、公職の肩書きは何一つない、65歳のタダのオバサン(失礼!)である。それに対して、ミャンマーの最高権力者の大統領と連邦議会の下院議長が補欠選挙に立候補してくれとひれ伏してモーションを掛けているのである。ご承知のとおり、NLDの完勝であった。強烈なスーチー旋風が吹きまくった。

■2012年4月23日:スーチーを初めとする43名の新議員(NLD)の初登院。“憲法をSafegurd(死守)する”との文言が納得できないとして、全員が宣誓式をボイコットした。このボイコットは一週間以上続き、注目されたミャンマー議会が実質上ストップしてしまった。

*スーチーはラジオで許された公式な政見放送で、軍事政権が作成した憲法は民主的ではないとして、NLD政党はこれを改正すると宣言している。ここが最も肝心なところで、スーチーが補欠選挙に参加を表明した時点から、スーチーおよびNLDはスーチーの大統領就任を阻害する「憲法改正」をマニフェストとして表明している。軍部とのその後の交渉はすべてこの一点に絞られている。スーチーは筋を通した。

■2012年5月2日:内外に十分アピールしたことを確認した上で、スーチーおよび同僚NLD議員は矛を納め、この日ボイコットを中止し、宣誓した上で、国会議員となった。

*テインセインの内閣参加とか、巧妙な打診はあったようだが、スーチーは政権側の重要職に就任して議席を剥奪されるために、補欠選挙に参加したのではないと、スーチー理論を押し通した。そして議員のままで、国会の場を戦場としてきた。このあたりのスーチーのしたたかさを一般のミーハーなマスコミは読みきれていない。だが、欧米の一部ジャーナリストは、このあたりのところをしっかりと報道してくれている。



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04:スーチーの覚めた目

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英国の歴史家AJトインビーは、「人間とは歴史に学ばない生き物である」と有名な言葉を残している。スーチーはその中でも、実に稀有な人物である。しっかりと歴史に学ぶ重要性を認識している。

そして軍部および保守強硬派が「憲法改正」に応じないのならばと、2015年11月8日の総選挙でひとり勝ちをすると、大統領の上に君臨する「国家相談役」という新職を新大統領に提案させて、自分がその地位に着席してしまった。

スーチーの頭脳プレーには目を見張るものがある。
スーチーが外務大臣に就任すると、小賢しい海外の外務大臣たちは、ワレ先にと新外務大臣との会見アポの取り付けに走った。そしてスーチー新外務大臣とのツーショットに嬉々としていた。だが、最初から言っているように彼女は、そんな小物レベルではない。彼女が最初に言ったように、スーチーは「大統領の上のレベル」を目指した。

そのあたりが見えているのは、情報局・外務省などの層が厚い米国政府と、歴史的に老獪な英国政府ぐらいだったかもしれない。聡明なスーチーは今、そう思っているはずだ。

だから、やっとスーチーの時代が来たと、最近手のひらを返したように、群がり始めた海外のミーハー外交やビジネスマンたちを、決して快くは思っていないだろう。もちろん、賢明で老練で、しかも洗練されたスーチーは、そのようなことを微塵にも表に出さない。

水祭りの期間中に、「ミャンマーでいま、何が?」のバックナンバーを熟読して、上記のような感想をもった。

そして、「国家相談役」としてのスーチーが新年(4月17日)に当たってのメッセージを国の内外に堂々と示した。その中で読み取れるのは、この国の英雄であり、自分の父親でもある「アウンサン将軍」のことを、どれほど強烈に意識しているのかがチラホラ見える。

今度は、「アウンサン物語」2014版あるいは2015版で、アウンサン将軍と日本との係わり合いを、もういちど探ってみたい。スーチーの今後の方針・哲学が見えてくるかもしれない。

2016年のいま振り返って、日本がアウンサン将軍を裏切った歴史的な愚行を、決して繰り返してほしくないものである。スーチーはそれを覚めた目で見ている。



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