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<ミャンマーで今、何が?> Vol.191
2016.04.27

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■イラワジ慕情No.1

 ・01:“ミャンマー学”の野外授業

 ・02:イラワジの田園風景

 ・03:道中の授業

 ・04:歴史を知らないでは済まされない

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01:“ミャンマー学”の野外授業

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旧友から結婚式へ誘われた。姪っ子の式典が、イラワジ地区ヒンタダ近くの小村で行われるという。冷房の効いた彼の車での一泊旅行だ。この猛暑の中、野次馬的好奇心が頭をもたげた。ひとつには、彼がカレン族のクリスチャンだということ。もうひとつは、カレン族が住みついたといわれるイラワジに興味を惹かれた。水掛祭り最後の連休19日(往路は交通渋滞が延々と続いた)・20日(復路は拍子抜けするほどのガラガラだった)をたっぷりと楽しんできた。

カレン族クリスチャンの結婚式にも興味あるが、この地はアウンサン将軍および鈴木敬司大佐に関係する戦闘の地でもある。そして、もうひとつ、ミャンマーの歴史を彩るマハ(偉大なる)バンドゥーラ将軍が命を落とした名所旧跡でもある。

ラインタヤーの新大橋を渡り、ベンガル湾へと西へ向かう道を途中から右折してイラワジ川を遡るようにヒンタダへと北上した。途中に、近代兵器の威力を知らなかったバンドゥーラ将軍が無防備にもイラワジ河土手に華美な軍装で現れ、英国艦隊から狙い撃ちされ戦死したその地を通過する。ダニュピューという町である。

イラワジ地区とはイラワジ川を挟んでヤンゴンの西に位置する。だが、川向こうは風景も植物相もガラリと変わる。インフラ整備で道路はかなり改善された。だが、どこもかしこもホコリっぽい。両脇の街路樹が可哀想なくらいにホコリをかぶっている。

ワタシにとっては、“ミャンマー学”の貴重なフィールド・ワークとなった。



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02:イラワジの田園風景

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完全なる田舎道だ。ホコリっぽい道が延々と続く。道路の両脇にはチークの樹をはじめベンガリ・アーモンド、インド菩提樹、偶にだがベンガル菩提樹、真紅の火焔樹、淡黄色のヌワーなどが植林され、その後方には、乾いた田畑が広がる。水田はとっくに刈り入れを終わり、焼畑を済ませ、グランドナッツ(ピーナッツ)をはじめ豆類が植えられている。放牧された牛がのんびりと草を食み、その背中に白鷺が止まっている。

両側の田畑にはワタシの大好きなレインツリー(ビルマ語ではココビン)があちこちに点在している。幹が真っ直ぐ伸びずに松のように曲折し、枝葉が雲竜型で一幅の名画の様相を呈する。密かに天然の盆栽と命名する由縁でもある。

マメ科の大木なので、その根粒は空気中の窒素を取り込み固定する。この大木は天然肥料を活用している。野中にぽつねんと立つレインツリーは自然の特大パラソルで、畑仕事の合間に、直射日光を避け、食事をしたり、昼寝をするには、申し分のない休息所となる。4月・5月の猛暑には田畑の土はレンガのようにカチカチと固くなっている。だが、不思議とこのレインツリーの下はしっとりと湿っている。それが名前の由来でもある。直感的な素人判断だが、ミャンマーのドライゾーンに、このレインツリーを多数植林し、その樹下で野菜などの菜園に挑戦してはどうかと考えてみた。

余談だが、このカレン人は初対面で、ワタシがミャンマー植物に異常な興味を抱いていると見抜き、高額の分厚い植物辞典(写真図鑑・ラテン語・英語・ビルマ語)を購入し、翌日プレゼントしてくれた。6〜7年前のことである。これは今でも重宝している。



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03:道中の授業

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田園街道を快適に走行していると、友人が謎をかけてきた。どうして街道の両脇には街路樹が植林されているかという質問だ。日光街道の杉並木を思い出し、強烈な直射日光を遮り、旅人へ安息を与えるためと当てずっぽうの返事をすると、言下に否定された。

直線の一本道は戦闘機に着陸される危険性がある。実際に大戦中にはそんなことがあった。幅の広い街路は中央帯に街路樹を植林して着陸を防ぐ。ビルマの軍人は、そんなことばかり、考えていたとモノ知りの友人は教えてくれる。彼の父親は軍のエンジニアだった。マラリアを予防するキニーネ入りラム酒は人気モノで、軍が独占して製造している。野戦軍の兵士は支給されたそのラム酒を横流しして小遣いを稼ぐ。丸秘の入手方法があると、道中、軍の機密情報もいくつか教えてもらった。

老獪な英国人は周辺部に住むカレン族に英語を教え、賛美歌を教え、西洋文明に馴染ませ、耶蘇教に転向させ、多数派のビルマ族の監督役として、自分たちを教育した。ミャンマーの歴史である。だから、カレン族とビルマ族は支配者と被支配者の関係でお互いに憎みあってきた。雲の上に君臨する英国人は憎まれ役をカレン族に押し付けた訳である。さらにその間にインド人が介在するが、その話は割愛しよう。



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04:歴史を知らないでは済まされない

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「(イラワジ)デルタ地区にはカレン族の部落が多かった。英印軍はラングーン退却時に、カレン地区に謀略将校を送り込み、武器を支給してビルマ人と衝突させた。カレン人はデルタ地区のクリークを航行するボートを狙撃し、ビルマ人部落を焼き討ちした。」と書いてある。

そして続けて、「最終的には、鈴木機関長がラングーンからデルタ地区に自ら出動して、約2週間にわたってカレン人地区を平定した・・・」とこれらは「アウンサン物語2014または2015」からの引用だ。平定したとは武力で制圧したということである。だから、歴史上アウンサン将軍だけでなく、日本人もカレン人退治には関与している。

この話は、日本帝国陸軍とアウンサン将軍・鈴木大佐が率いるビルマ独立軍がイギリス軍をビルマ国土から追い払った1942年4月ころの事実である。

このように、ミャンマーは一枚岩ではない。ご承知のとおり、最大多数のビルマ族+135の少数民族から成り立っている。カレン族は、ビルマ族、シャン族についで7百万人と3番目に大きな人口を誇るとウィキペディアには書いてある。英国植民地主義の分断政策でカレン族とビルマ人は歴史上敵対していた。だから、テインセイン元大統領も少数民族武装グループとの平和協定を目指したが、成功にはほど遠い。そして、後を引き継いだスーチー政権も武装勢力との和解を最優先課題としている。

この辺りのことを、十分に理解した上で、ミャンマーの人たちと付き合わないと誤解が生じる。アジア各国には、独立記念日が設けられている。だが、往々にして日本の敗戦日が、日本に対する戦勝記念日となっている。この辺りは、アジアの歴史をそれぞれに学習し、その記念日にふさわしい日本人としての配慮が求められるところでもある。

個人的な経験になるが、あるホテルのラウンジで旧友の海運会社社長と午後のお茶をしていた。途中から材木関係の中国系社長が参加し、同じシンガポール人だと紹介してくれた。だが、まったく愛想なしで、にこりともせず、握手に応じようともしない。異様な雰囲気のビジネスマンだった。だが、しばらくすると、問わず語りに、ポツリポツリと話はじめた。

「あれは6歳のときだった。自分の父親が日本の憲兵隊に、一刀のもとに斬り殺された。アッという間もなく、切断された父親の頭部が自分の目の前で転がり落ちた。忘れもしない」と語った。

この瞬間、ワタシは声を失った。ただただ、頭を深く垂れるだけの体たらくであった。何一つ声をかけられないのである。そして実にぎごちない別れ方をした記憶がある。

このとき以来、歴史を知らないことは恥だと悟った。かなり後になってからの話だが、元日本兵の書いた戦記モノに出会った。そこには、シンガポールの港までの大通りに、切断された中国人の生首が延々と並んでいたと書かれてあった。

この憲兵隊が、自分の父親、あるいは祖父ではなかったと、主張して何の意味があろう。言葉だけでの謝罪・慰めは、形式的なだけで、まったく無力で意味がない。もっともっと深いところに問題はある。

キリスト教が言うところの原罪とは異なる、別の「原罪」を人類は犯してきたのではないだろうか。一度犯したこの「原罪」は、謝って許しを得られるものではない。過去を改めることは絶対にできないからだ。過去を書きかえられないなら、どういう解決方法があるのだろう。

それは自分たちの意思で態度を表明できる今を、そして未来を、改めるしか方法はないのではないだろうか。

「積善の家には必ず余慶あり」という言葉が易経にある。この“家”を“国家”に置きかえ、同時に、“国家”を“個人個人”に当てはめて適用できないものだろうか。すなわち過去に繰り返してきた愚かな戦争というものを、この地上から抹殺するという未来への誓いである。

スーパーパワー国の覇権争いではない、もちろん安っぽい経済大国立国でもない、国民一人ひとりが尊敬される国家としての未来である。

安土桃山時代に来日した、イエズス会士、ザビエルやフロイスが書き残している、貧乏だが、清潔で、しかも気高い日本人の有様である。心の持ちようで、その日本人の再現は、不可能ではないように思われる。

だが、今の日本人は戦後、精神的にあまりにも西洋思想に汚されてしまった。今回のイラワジ慕情で、原点に戻れば、再出発できるのではと考えた。それを実験するには、いまのミャンマーが実にふさわしい。

どうして人類は右肩上がりの発展だけを求めるのか?
そんなことをイラワジの寒村では考えさせられた。


・・・続く

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