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<ミャンマーで今、何が?> Vol.197
2016.06.14

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■コップの中の嵐

 ・01:ヤンゴンは今日も、土砂降りだった

 ・02:コップの中の嵐

 ・03:リプトンって誰あ〜れ?

 ・04:リプトンOR高級ブランド?

 ・05:キジも鳴かずば撃たれまい

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01:ヤンゴンは今日も、土砂降りだった

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郊外に住む有名作家を友人と一緒に訪ねた。慢性的な停電の中、昼飯をご馳走になりながら、愉快な会話を楽しんだ。一時間もしたら止むかと思った雨がだんだん激しくなる。これはいけないと、タクシーを呼んでもらった。中途半端な雨ではない。左右に振れるワイパーが押され気味だ。

水溜りという生易しいものではない。あたり一面で洪水発生。タクシーが水しぶきを上げて泳いでいる。若者たちが上半身裸になり、横丁でサッカーに興じている。ヤンゴンが水の都ベニスに変身するこの時季は、人も木々も生き生きとしている。

盛夏の猛暑に効果なかった冷房が強力に冷えはじめる。友人もワタシもトイレが気になってきた。先ほど飲んだビールを始末し、飲み直すことで話がついた。手頃な小ホテルの前でタクシーを止め下車した。あたり一面洪水だ。革靴に靴下を穿いた友人は意を決してホテルに駆け込んだ。

やはりヤンゴンでは、短パンにTシャツ、それに靴下を穿かないサンダル履きがビジネスにも最適である。その点インド人も中国人も分かっている。ところが靴下に革靴、ネクタイにブラックスーツのエイリアンが最近街中に溢れるようになった。信じられない現象だ。

ということで、気象庁は公表していないが、東西南北研究所はすでに2週間前から、モンスーン雨季に突入していたと、遅まきながら宣言したい。



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02:コップの中の嵐

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広辞苑によれば、“ある限られた範囲内で起きた、大局には関係のないもめごと”と、説明されている。

英国系ニュース・メディア「テレグラフ」が“Storm in a teacup as Aung San Suu Kyi serves Lipton at state banquet”と題して、茶化した記事を流している。さすがに紅茶の国だけあって、洒落たタイトルだ。

ここで、紅茶のリプトンが引用されている。
国賓を招いた晩餐会で、スーチーがリプトン紅茶を供し、ティーカップの中で嵐が発生したという記事だ。

このタイトルだけだと、シャン州などの国産品紅茶を出さずに、英国かぶれのスーチーが英国から輸入したリプトン紅茶を出したというクレームにもとれる。だが、話はそうではない。

シンガポールのリー・シエンロン首相夫妻がネイピード入りした。先週6月7日のことである。新政権が迎える初めての国賓で、しかも両国の外交樹立50周年に当たるという。赤絨毯での儀仗兵観閲式、そして晩餐会を大統領府で主催するなど、ティンチョウ大統領および夫人ドー・スースールインにとっては初経験である。

当然この晩餐会には、国家相談役兼外務大臣のスーチー以下、ふたりの副大統領夫妻など、両国の錚々たるメンバーが出席し、盛大に行われた。

この騒ぎの発端はフェイス・ブックだ。
「OMG!オールド・ガールが国賓を迎える晩餐会でリプトン紅茶を出した。なんと恥さらしなことか。最低限、Twinning、アールグレイ、あるいはフォトゥナム&メイソンのクイーン・アン紅茶を出してほしかった」と超大金持ちの39歳のビジネスマンが国家相談役を“ザ・レディー”とは呼ばずに“オールド・ガール”と茶化している。

ご参考までに、OMGはミャンマー人の大好きな“オー・マイ・ゴッド!”である。問題にしているのは、国産品推奨の意見記事ではなく、英国製紅茶のランク付けで、リプトンは低級だと、けなしているのである。こういうのを英語ではSnobbish(お高くとまった俗物根性)という。

本人は、ロンドン大学で勉強したとのことだが、トワイニングのスペル(nはダブらない)をはじめ、4ヶ所もおかしな英語があると、英国紙「テレグラフ」の記者はレポートしている。こういうのを日本語では“キジも鳴かずば撃たれまい!”という。

本人は超金持ちだが、細かい金銭感覚も持ち合わせている。例えば、トワイニングならば、ヤンゴンのシティー・マートで20袋入り米貨$13(英貨9ポンド)で買えるのに、と親切な忠告だ。晩餐会でティー・バッグはOKという意見か?

ヤンゴンのソーシャル・ネットワークでひと騒動あったのは、この39歳が、ネウィンの孫(Aye Ne Win)だったからだ。なかには、「オマエの爺さんが、この国を貧困に陥しこみ、乏しい国家予算では、リプトンしか買えなかったのだろう」と、まじめな読者の意見もあった。



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03:リプトンって誰あ〜れ?

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英国の富は紅茶によって蓄えられたといっても、過言ではない。この超金持ちが推奨する銘柄の、トワイニングはロンドン中心地の本場ストランド通り216番地に世界初のティールームを1706年に開設している。アール・グレイは元々貴族の家柄で、政治家をはじめ名士を陸続と輩出し、もちろん皇室ご用達の紅茶である。1707年設立のフォトナム&メイソンはハロッズとともに、世界で最も豪華な百貨店として知られている。

英国では何でもかんでも古いものが尊敬され、新しいものは軽蔑される傾向がある。だから、米国で修行した成金のリプトンなどは、本場英国では名家には入らない。ビルマの国家財産を民衆から政治的に略奪して超金持ちに成り上がったネウィンの孫がこれら英国紅茶のランク付けに口を挟むなど、身の程知らずと言われても仕方ない。

問題のリプトンは、超金持ちのぼんぼんとはまったく違う。創業者トーマス・リプトンは叩き上げのビジネスマンである。アイルランド移民の子として、1848年英国のグラスゴーで生まれた。家計を助けるために、学校は13歳で中退している。印刷屋の使い走りやシャツ裁断の仕事などで小遣いを貯め、1864年にはグラスゴー・ベルファスト間を走る機関車の客室係の職を得た。そこで米国帰りの船員の話に魅惑され、貯めた給料で米国行きの乗船券を購入。そして5年間、ありとあらゆる下積みの仕事を米国のあちこちで経験した。

1870年に帰国し、翌年、日用雑貨店Lipton's Marketをグラスゴーで開店する。商売は当たり、続いてスコットランド全土、最終的には英国全土でチェーン店舗展開に成功する。1888年には、合計300店舗となり、紅茶貿易に従事し、紅茶テイスティングの事務所を設立。貧しい労働者クラスの要求を受け、前例のない低価格での卸問屋システムを開拓し、大量販売を成し遂げる。リプトンの成功の秘訣は、高品質の商品を廉価で提供する哲学にあった。

リプトンは1890年に当時の植民地セイロン(現スリランカ)を訪れた。同島に茶畑プランテーションを導入し、労働力としてインド人タミール族を雇用したジェイムス・テイラーと交渉し、セイロン・ティーの購入を決定。米国および欧州に大量に売りさばいた。1892年には準男爵の爵位を受けている。

リプトンはスポーツへの関心も高く、1899年から1930年にかけて、愛艇“シャムロック号”〜“シャムロック5号”で、英国国王および王室家族と組んで世界的に有名なアメリカズ・カップ・ヨットレースに5回も挑戦している。世界でも最も過酷で、しかも最も優雅なヨットレースである。そして、The best of all losers(全敗北者のうちで最高の挑戦者)の名誉ある呼び名も頂戴している。サー・トーマス・リプトンは1931年ロンドンで死去するが、1993年には、この栄えある“アメリカズ・カップ栄誉殿堂”入りしている。その他スポーツ、サッカーやボートレースにもリプトンの名前を冠したトロフィーを寄贈し、これによってリプトンの名前は世界中に知られる。いまの広告業界のパイオニアとも言える商業戦術である。



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04:リプトンOR高級ブランド?

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スーチーの名前を出すのなら、父親のアウンサン将軍についても語りたい。
アウンサン将軍の生まれた1915年は、ビルマが英国の植民地下にあった時代で、アウンサン将軍の祖父はゲリラを組織して反英国の抵抗運動を繰り返していた。そして最後は英国官憲につかまり、首を切り落とされ、竹やりの先に掲げて町じゅうで見せしめにされたという。

アウンサンは学生運動の指導者として反英闘争に明け暮れ、宗主国である英国をビルマから追い出すために、日本軍と手を組む。そして祖国独立のために、再び英国と手を握る。だが、これはあくまでも、祖国自主独立のためである。だが、この心底には、アジア諸国を植民地化していた欧州列強諸国には強い反発を感じていたはずだ。その父親に心酔するスーチーも英国に対するスタンスは同様である。

だが、政治家を目指したアウンサンも、スーチーも、露骨な反英は口にしない。だが、植民地主義には猛然と反対する。そして英国人と結婚したスーチーは、国家権力である英国と、個人の英国人とはまったく別物であることを、理性的に認識している。その点をミャンマーの民族主義者たちあるいは仏教徒たちは、感情的に走り、国家と個人を分別するところまでは成熟していない。

だから、面と向かってリプトンと他の英国紅茶を比較した場合に、植民地から吸い上げた富で一流ブランド名を築き上げていった老舗店舗よりも、高級品を低価格で提供したリプトンの気質のほうが、反英的なアウンサン将軍およびスーチーの哲学には適っているような気がするが、読者はどう判断しますか?



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05:キジも鳴かずば撃たれまい

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ロヒンジャー問題もそうだが、スーチーは紅茶茶碗の中の騒動には決して参加しない。それは彼女が賢明だからである。賢明でないキジは鳴いてしまった。なぜ賢明でないかをこれから検証してみたい。お世話になったのは、ウ・タウン著水藤眞樹太訳・解説「将軍と新聞」だ。その書から、ランダムに引用させてもらった。

公私を取り違えたネウィンの大罪をどう判断するか、それは読者にお任せしたい。

■ウ・ヌー首相時代、ネウィン将軍は軍参謀総長だった。ネウィンが三度目の妻であるキンメイタンと結婚したとき、二人とも子持ちの再婚であった。ビルマの仏教法は一夫多妻制を認めているが、女性は夫から逃げて再婚することは許されていない。仏教徒のウ・ヌーはこの不倫に激怒し、閣議でネウィンの解職を決定した。だが、ウ・ヌーはネウィンの権謀術数により閣議決定を覆した。

■1969年当時のことだが、ネウィン将軍は毎年、4ヶ月にわたって英国で休暇を過ごしている。

■ネウィン将軍の前妻が密輸業者の運搬人になっていたことはよく知られていた。彼女はちょいちょい国境の街に宝石から紙巻タバコの類まで何でも運び、謝礼を受取っていた。彼女はまた、ラングーンの街の真ん中で賭博上を開いていた。将軍の兄も弟も賭博場の経営で知られていた。

■ラングーンでも有名なギャンブラーだった将軍の実弟はビルマ大使館の商務官として英国に派遣された。帰国の際、空港でスイス製の腕時計を密輸しようとした現場を押さえられたが、その場で釈放された。

■大統領夫人その人ですら、パリの空港でルビーを不法に持ち込もうとして拘留された。この種の話はたくさんあるが、国営新聞は、これらを隠蔽する義務があった。

■ネウィン夫妻は1980年代まで、毎年のようにスイスや西ドイツを病気療養などの目的で訪問し、長期間滞在していた。しかし、84年にはミッテラン大統領との会談を予定されながら、突如フランスを離れて西ドイツに移るなど、国家元首にあるまじき行動を取っている。

■ネウィンの訪欧の隠れた目的は、毎年開かれる宝石展示即売会に先立ち、めぼしいルビーやヒスイなどを自分で持ち出して売りさばくことだというのは、ビルマでは公然のウワサであった。

■二度目あるいは三度目といわれるキンメイタン夫人が1974年に亡くなると、すぐにラングーン大学で講師をしていたニイニイミンと再婚したが、すぐに飽きて王族の血を引く、ヤダナナッメイ女史(英語名:ジェーン・ローズ・ベラミー)と結婚した。これも灰皿事件で分かれることになる。

■キンメイタン夫人の没後、ネウィン家を取り仕切ったのは愛娘サンダウィンで、今回の騒動を起こしたのは、このサンダウィンの息子である。彼女は1979年、医師として英国に留学しようとしたが、英語の試験に失敗したとのことである。

■ネウィンは、「貧乏人が高価な魚を食べるのは身の程知らずもいいところだ」と言ったそうだが、貧乏国のミャンマーの晩餐会でリプトンを供したのは、身の程を知っていたのではないだろうか?

■ところで、この晩餐会の手配を取り仕切っていたのは、ミャンマーのファースト・レディー、ドー・スースールイン、である。スーチーではないことを最後にお伝えしておきたい。

■このように、ミャンマーでは、これからもこんなつまらない小事件が多発することが予想される。惑わされないように自戒しよう。

 



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