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<ミャンマーで今、何が?> Vol.215
2017.5.19

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■日本滞在を総括する

 ・01: 帰国報告

 ・02: 女々しい将軍、雄々しいスーチー

 ・03: 教科書では教えない勝海舟秘話

 ・04:飛鳥山の渋沢栄一

 ・05:夜明け前 知られざる 日本写真開拓史

 ・06:川原慶賀の植物図譜

 ・07:ブリューゲル<バベルの塔>展

 ・08:大英自然史博物館展

 ・09:鎌倉文庫&横浜近代美術館

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01: 帰国報告

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14日(日)夕方、ヤンゴンに戻りました。
機内は満席で、あまり身動きも出来ず、くたびれてしまった。
飛行場で友人から、当日夜の結婚記念に招待されたが、遠慮して自宅に直行。バーボンのストレートで、グッスリ眠りに落ちた。


不思議なもので日本でもヤンゴンでも午前2時キッカリに目が覚める。10年以上続けてきたサイクルが身についている。朝方まで時間はタップリある。止めていた空っぽの冷蔵庫を掃除して、作動させた。旅行ケース2個の整理も簡単だ。古本屋・書店で見つけた書籍類を除いて、ほとんどは友人への土産物だ。部屋の掃除と植物への水遣りは頼んでおいたので、手間はかからない。


だが疲労感は抜けていない。一時間ほど又横になり、一ヶ月足らずの日本滞在を反芻してみた。救急応対してくれた聖路加のドクターが帰国直前に時間を工面してくれた。そのドクターの懇切な説明はよく理解できた。残り人生を考える示唆にも富んでいた。そして次回の精密検査2回分の日取りも決めてもらった。人工ペースメーカーの移植は、その結果次第とのことである。発作時に看取ってくれた同じドクターが、最後まで面倒を看てくれる。なんという幸運だろう。



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02:女々しい将軍、雄々しいスーチー

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アウンサンスーチーという女性は、自宅拘禁(日本のマスコミは自宅軟禁と表現するが、そんな生易しいものではない)中に体調を崩し、診断の結果、ヤンゴンの病院で子宮摘出手術を受けた、と聞いている。ミャンマーの将軍たちは、そして家族たちは、将軍の支配下にある自国病院の設備・ドクターを信用せず、軍用機をチャーターして、設備の整ったシンガポールで手術を受けるのが常だった。


スーチーのケースは、将軍にとってはウマイ口実となった。アメリカ・イギリスの医療技術は世界の最高水準だ。好きなところで手術しなさい。軍事政権は出国を特別に許可しよう。スーチーは彼らのダーティ・トリックを知り抜いている。出国は許可されても、再入国は永遠に許可されないことを。半強制的であったが、スーチーはヤンゴンの総合病院で手術を受けた。


スーチーが将軍たちよりも遥かに雄々しいのは、昨2016年の水祭りである。その長期休暇を有効に活用した。シンガポール通いの女々しい将軍たちを尻目に、白濁した片目の手術を率先してヤンゴンの病院で受けた。そして、その成果を確認して一週間後にもう片方の手術も行った。口先だけ雄々しい将軍は幾らもいるが、勇気を行動で示すスーチーほど雄々しい将軍はいない。
(一部、男女同権論者の気に食わない表現がありますが、当メルマガはそれをお詫びしません)


脱線ついでに述べると、日本のマスコミはスーチーは軍部と妥協したと一言で片付ける。だが、その見解はまったくオカシイ。


スーチーの戦術を読み解くと、軍人グループのフロントランナーである陸海空三軍の最高司令官(中央政府軍の総責任者であるため、ラカイン州を含む国境地帯武装反乱軍とのイザコザなどは大統領内閣およびスーチーの権力の及ばないところにある)、および軍人出身の上級副大統領をラカイン州特別調査委員会の委員長に任命して、記者会見でその説明責任を負わせ、徐々にティンチョウ大統領内閣のポートフォリオに取り込もうとしている。そして自分は、その大統領の上に君臨している。


さらには第三者で国際的な権威でもある元国連事務総長を別個にラカイン州問題の調査委員会委員長に任命して、ミャンマー政府への勧告を委ねている。もちろん、その結果は"透明性"のポリシーに従い、内外の記者会見を通じて公表させている。


長い道筋の結果、数多くの内外ジャーナリストが、それぞれの希望に従い、ラカイン州でかなり自由な取材を許されるようになった。その中には、日本のテレビ局も数社入っている。それが日本でどのように放映されたかは、当メルマガは知らない。


国連の人権問題調査委員会も別個に現地入りを希望したが、スーチーはこれを拒否した。ミャンマーの新政権は発足してまだ一年の非常に脆い国家である。その拒否理由を知るにはこの人権問題調査委員会の性格を明確にする必要がある。今では組織的な団体が国連組織の中にも巧妙に入り込んでいる。話は複雑なので、別の機会にでも説明したい。


と、話はとんでもない方向に飛び火してしまった。元に戻そう。日本滞在を総括するのが主題だ。



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03:教科書では教えない勝海舟秘話

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サドンデスのルールが適用されるかと思うと、人生そうノンビリもできない。
これまでは目的地の途中で気をひく物があると、そこでタップリ道草を食い、気がつくと日暮れてUターンするのがワタシの落ちこぼれ人生だった。だから差し迫っての試験勉強はすべて一夜漬けだったような気がする。だが、今は違う。


深川の古本屋、いつもの100円コーナー、で掘り出し物を見つけた。
童門冬二著「小説 海舟独言」だ。薩長の下級武士が勃興して、それに坂本龍馬の土佐藩が加わる。そこに江藤新平の活躍で九州の佐賀藩が大きく勢力を伸ばしてくる。明治維新の原動力となる薩長土肥の登場だ。だが、あの時点では新政府が権力を掌握するか、徳川幕府が巻き返すか、誰も読めない歴史の躍動期である。


教科書では単に廃藩置県と習ったが、同書によれば、このとき版籍を奉還した各藩主は、各藩の知事に任命され、その数は274人に上った、とある。ミャンマーの民族数は136と言われている。ということは、274の各藩を一国に束ねた日本の明治維新が、ミャンマーにとってどれほどの参考になるか、日本の総理大臣、外務大臣ほどの人物なら百もご存知の筈だ。インフラ整備、経済発展だけのアプローチであれば、いつかはスーチーに見放される。アウンサン将軍が日本軍から煮え湯を飲まされた歴史をスーチーは学習してきた。


近くの飯屋に入る。「海舟独言」を読みながら名物のアサリ丼が出てくるのを待つ。腰の曲がり掛けたオバさんが一人で茶を出し、お盆を片付けている。昼飯時前でベンチで待つお客も7人ほどになった。そのときオバさんは慌てて外に飛び出し看板をひっくり返した。入口のガラス戸が開くたびにオバさんは「スミマセンね、本日の分は終わりました」と頭を下げる。今時分から商売が儲かるのに、下町深川のイキを見た気分がした。


オバさんと勝海舟にほだされて谷中の墓地に行ってみたくなった。ここには徳川慶喜と勝海舟の墓がある筈だ。意外に感じたのだが、広い敷地内に多数の欧米人がいる。その行き先はラスト将軍の菩提所である。ミャンマーでも感じたが、今の日本人は歴史よりも金儲けに興味を抱いているようだ。


慶喜の墓は鉄柵のフェンスで囲われていた。海舟の墓は世田谷にあり、ここには勝家の墓が将軍近くに控えていた。



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04:飛鳥山の渋沢栄一

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海舟の本にも出てきた渋沢栄一を訪ねようと、飛鳥山の渋沢史料館を日を改めて訪ねた。ちょうど「渋沢栄一、パリ万国博覧会へ行く」の企画展をやっていた。桜はとっくに散っていたが、新緑が眩しいほどに輝いていた。


将軍慶喜の弟で幕末の水戸藩主であった、徳川昭武が将軍名代としてパリ万国博、およびスイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスなどの欧州見学に出向いた。 弱冠27歳の渋沢栄一が随行員の一人となった。井の中の蛙が世界を覗いた青年期である。ガチガチの尊王攘夷派であった栄一が、欧州で髷を切り落としてザンギリ頭になった。その証拠写真が残っている。


劇的だったのは、1年半の欧州滞在中、日本では将軍慶喜が大政を奉還し、1867年12月天皇の名により王政復古の大号令が出たことだ。その翌年が明治元年。明治天皇睦仁わずかに16歳。


広大な庭園には、渋沢が国内外の賓客を迎えた大正建築の晩香廬もある。ビルマとも因縁浅からぬ、岡倉天心との友情でも知られる、東洋初のノーベル文学賞受賞者のR.タゴールが渋沢栄一を親しく訪ねている。その証拠写真が飾ってあった。


同敷地内には、渋沢が力を注いだ事業の一つを記念する「紙の博物館」もある。製紙事業の重要性を専門家が懇切丁寧に説明してくれる。プロの説明はムダがなくて分かりやすい。


明治は遠くなったが、この時代の人たちは、歳若くとも、国作りという夢に燃えていたようだ。
この時代の心意気はミャンマーにも、昨今の米国にも、役立つような気がする。
渋沢の「論語と算盤」を英訳して、倫理と利益は両立させるとこに意義があるんだよと、トランプ旦那に意見するぐらい気概のある外務官僚は、もう日本にはいないのだろうか? それともゴルフの練習で手一杯なのだろうか。


今回購入した文春文庫の「昭和天皇 独白録」を読みながら特にそう感じた。
これは外務官僚出身で昭和天皇の御用掛であった寺崎英成の記録と、その一人娘マリコ・テラサキ・ミラー著「"遺産"の重み」の二部構成となっている。こちらも秘話でいっぱいであった。



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05:夜明け前 知られざる 日本写真開拓史

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サドンデスが近ずいていると思うと、先を急がねばならぬ。
JR恵比寿駅からスカイウォークで10分の東京都写真美術館へ行ってきた。
飛鳥山もそうだが、ミャンマーからの客人を案内するには、もってこいの場所だ。
キュレーターの説明が受けられる時間を調べて行って正解だった。学芸員の説明で、素人もインスタントに玄人気分になれる。


それにしても動乱の幕末期に、有名無名の日本人が、西洋技術の象徴であった写真機の被写体になっていたことに驚いた。島津斉彬、明治天皇、勝海舟、近藤勇、土方歳三などの歴史上のセレブが進んでモデルとなっている。
これは新しいモノに対する、日本人のDNAに刻まれた好奇心の強さと見た。
同時に横浜や長崎の居留地に出向いて、これらの機械構造、印画技術を修得していく、あるいは盗んでいく、日本人の探究心の凄さに恐れ入った。右から仕入れて左に売却するミャンマー人ブローカー商売と比較して特にそう思う。


例のフルベッキの、明治天皇を含む明治維新オールスター勢揃いの写真原版について質問したが、これは持ち出し厳禁で、長崎美術館に厳重に保管されているとのことであった。


文化を伝承するには筆記文字、そしてビジュアルな絵画が必要とされる。それを持たぬ民族は、結局は忘れ去られてしまう。日本は幸いなことに文字と絵画が平安以前から発達してきた。それも中国の文化を模倣しながらである。井の中の蛙で満足してきた日本、そして中国。気がついたら欧米は、ビジュアルのアナログからデジタルへ、蒸気から原子力へ、計算機からコンピュータへ、無線からインターネットへ、地球から宇宙へと革新的な進歩を遂げてきた。


日本は逆立ちしても、欧米の革新的な創造性に追いつけない。模倣するのが精一杯だ。
読者からはお怒りを受けそうだが、日本人は好奇心の強さと、模倣技術の巧妙さにおいては、世界のトップレベルに達しているのではないだろうか? そこで日本独自の"模倣文化"を追求して、中国にもコピーされない"模倣文化"を開花させたらどうだろう。
人混みの背後を歩きながら、クタバリ損ないの男はそう考えた。



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06:川原慶賀の植物図譜

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JR北浦和駅近くの埼玉県立近代美術館。ここも木立に囲まれた森の中にある。天気予報通り雨がシトシト降っていた。それだけに緑が鮮やかで目に優しい。
今回はロシア科学アカデミー図書館所蔵の名品を閲覧できた。


長崎の絵師であった川原慶賀は、日本人が簡単に行けない出島への出入りを許可され、西洋画法を修得した。この謎に包まれた人物が有名なのは、オランダ商館のドイツ人医師シーボルトの要求に応じ、長崎や江戸参府の途上で、日本固有の植物の姿形を見事なほど正確に写し取り、数多くの写生図が残されているからである。


シーボルトを洋学者のスパイとするなら、その手先となって働いたともいえるが、その写生図の正確さには定評がある。シーボルトの死後、これら植物図譜はロシアに渡り、今回の展覧となった。


明治維新で日本は文明開化を行ったと教えられたが、通詞(通訳)、医学生、蘭学(当時の第1外国語)を目指す日本の若人たちは、海外の文物に大いなる興味を抱いていた。彼らが港町の長崎、神戸、横浜に集まってくる。


その反対に、外国人と見たら刀で切りつけるガチガチの攘夷派も多数いた。まさに、今ラカイン州の仏教徒と同じである。それだけに"今"を歴史の一部と捉え、文化人類学という科学的な手法で冷静に比較分析するのも悪くない。ラカイン州の仏教徒に肩入れしたり、イスラム教徒に肩入れする、二者択一では解決の糸口は出てこない。



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07:ブリューゲル<バベルの塔>展

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東京都美術館で一般参観が終了した夕方、キュレーターの説明付きでバベルの塔をジックリ鑑賞できるチケットを、前回の訪日時に予約しておいた。したがって、今回の日本訪問は救急車体験が目的ではなく、このバベルの塔が本来の目的であった。


語学には曲がりなりにも異常な興味を持っているのがワタシである。
旧約聖書の有名な物語は、人間たちが天まで届く塔を建てようとして神に罰せられ、言語を乱され、世界中に散り散りになった、それがバベルの塔であると教えられてきた。


そこの売店で買った「バベルの謎 ヤハウィストの冒険」長谷川三千子著は、そうではないという。非常に面白い内容なのだが、ここではそれは明かさない。


無学な私にとって、よく分からないのがクリスチャンの考えである。アメリカの大統領の就任式では必ず聖書の上に手を置き厳かに宣誓する。あれほど自由奔放な国でありながら、国家のリーダーの仕事始めに、盲目的に一神教の神に誓いを立て、神のお加護がありますようにと祈る。これがよく分からない。


ビルマ独立時の憲法作成の段階で、とある大臣が「ビルマは仏教の国である。仏教を国の宗教として憲法に明記しよう」と提案した。暫定首相であった当時のアウンサン将軍は、宗教は個人個人の心の問題である。それを国教とすることはけしからんと激しく反対した、と言われている。これならワタシにも理解できる。


ワタシの心の中に重くのしかかっているのが、ラドヤード・キプリングも謳った「東は東、西は西」というフレーズである。過去の歴史は、西洋が東洋を席巻してきた。それは老獪さを通り越して、残虐なまでにも西洋の東洋に対する侵略であった。だが、21世紀の今求められるのは、東洋から西洋への逆襲ではなく、公正で平和な世界である。西洋の過去の残虐行為は問わない。キリがないからである。


だが、狡猾な西洋の一部には、老獪なダーティ・トリックを用いて、今なお西洋の優位性を画策しようとしている。残念なことには、黄色い顔をした一部の東洋人までが、パンツを引きずり下ろせば青い蒙古斑があるにもかかわらず、西洋人の真似事をして、自分たちは顔の黄色い東洋人ではない、というフリをする。情けない東洋人である。


話がまたもや脱線した。
宗教とはあくまでも迷信であって、オカルトである。特に、無教養なワタシにとってはそうである。その無知なワタシに分かりやすく講義してくれたのが佐藤優著「悪魔の勉強術」で"年収一千万稼ぐ大人になるために"と副題が付いている。


題名・副題ともにケッタイな名前だが、佐藤の母校である京都の同志社大学神学部で後輩の若き学徒たちに一回5時間x4回の集中講義を行った、その講義録である。キリスト教の根本から語ってくれるので、「バベルの謎 ヤハウィストの冒険」とともに非常に有益な勉強となった。


それにしても、人生クタバル直前に、自分の不明をこうもタップリと思い知らされるとは思いもしなかった。


話は横道にそれるが、この東京都美術館は上野公園の中にある。この辺り一帯は徳川家の廟所、寛永寺の所領であった。徳川家最後のラスト将軍慶喜が天皇に恭順して、この地は東京都民に下賜された。したがって、ここの正式名称は「東京都立上野恩賜公園」となっている。


ラスト将軍徳川慶喜の大政奉還に反対したのが、会津の彰義隊であり、上野の山に閉じこもって最後まで戦った。榎本武揚は「開陽丸」ほか数隻を率いて函館に航走し、五稜郭で新政府に抗戦した。


本来は反逆者に対する打ち首が日本の伝統的な処分方法だが、新政府はその死罪を減じるだけでなく、かなりの人材が新政府に登用されている。だから、八百八町の大江戸は新政府の総攻撃を受ける直前で火を点けられることもなく救われた。それを阻止した日本人の大物が何人かいる。それを抹殺したのが戦後の教育である。その戦後教育で育った人々が、今の日本のリーダーとなっている。後世の歴史家から見れば、日本をダメにした政治家として悪名を歴史に刻まれる危うさがある。そのレベルの人たちが、スーチーは軍部と手を握った等の話を受け売りしている。


スーチーは自分を殺戮しようとしたタンシュエを政権を握った段階で面と向かって"許した"。敵討ちの屁理屈を繰り返せばエンドレス物語は延々と続く。だが、スーチーはその輪廻を断ち切る凄い思想を編み出した。江戸の無血開城と比較して考えてみたい。徳川慶喜を守ろうとした家臣は明治新政府に対する反逆者となった。恭順を示す慶喜を頼みとせず、あくまでも新政府に楯突いたサムライたちもいる。彼らはすべて逆賊である。だが、彼らの命乞いを新政府の重臣に対して行った真のサムライがいる。命乞いだけでなく、彼らの能力を新政府で活用せよとの直談判である。


トランプなどのチープな商売ネゴではなく、大人物同士の肚と肚の探り合いである。そこで大江戸八百八町の無血開城は成就した。そのサムライ魂は今の政治家には残念ながら遺伝子として残されていない。日本の歴史上、最悪のリーダーとして刻印されなければ良いが、一抹の不安がある。
これが東西南北研究所の見解である。



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08:大英自然史博物館展

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実を言うと、これこそが最も興味をもった展覧会である。


本来はロンドンに行かねば見られないおヨダレものが、東京で見られるのである。これも上野の国立科学博物館で開催されていた。良心的な拝観料で半日から一日を過ごすことができる。


これは予想した通りに、白人王国のアングロサクソンが、この地球上でやりたい放題のことをやってきた冷酷な証が、歴史的に見事に系統立てて展示されている。


国外持ち出し禁止の種、絶滅に瀕した奇種、植物であろうと、動物であろうと、昆虫、病原菌、ありとあらゆる生物・鉱物などの標本が、展示されている。


こんなことを日本人がやったなら、中国や韓国から、総スカンを食うのは目に見えている。だが老獪なアングロサクソン人である大英帝国は、それらを尊敬の眼差しに変えてしまう魔法の杖を持っているようだ。そこのところを学びたいとやってきたのが、この展覧会である。


ロンドン郊外にあるKew Garden(キューガーデンと発音する)は世界中の禁制品を蒐集して、自分たちの管理する植民地を豊かにした。植民地の人たちが豊かになったのではない。彼らは奴隷でしかない。


例えば、ブラジル王国で国外持ち出し禁止だった「ゴムの木」を科学者の肩書きを名乗る密輸業者が大量に持ち出し、KGに送り込んだ。そして英国の植民地であったマレー半島が気象条件等、最適の土地と判断して、そこで広大なゴム農園を展開した。本来マレー半島には「ゴムの木」種は生育していなかった。だが、天然ゴムの生産においてはマレーシアが今でも世界No.1の地位を維持しているはずだ。


老獪な大英帝国は、C.リンネの二名法を認めるなどして、すべての生物の標本を見える形で分類し、世界史的な視野で学問として系統立てている。その中には、姑息な宗教界を震撼させたC.ダーウィンの進化論も含まれ展示されている。C.ダーウィンを徹底的に援護したハックスリー家族の紹介があるかと期待したが、混雑する中、残念ながら見い出せなかった。展示品の中には、日本の伊豆半島の巨大なタカアシガニが含まれているのにも驚かされる。


日本の政治家もこのような尊敬される老獪さを英国から学ばないと、いつまでたっても世界のステーツマンからは馬鹿にされ、日本産品のセールスマンで終わることだろう。英国は歴史上あれほど悪どいことをやりながら、今でも世界中から尊敬されているのである。


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09:鎌倉文庫&横浜近代美術館

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最後の最後に、旧友から一度行ってみたかった鎌倉文庫に誘われた。
高見順の「敗戦日記」に度々出てくる、数多くの文士たちが出入りする鎌倉文庫である。友人はそこの世話役としてお手伝いしているとのことで色々便宜を図ってもらった。
鎌倉は寺町であると同時に文士村である。その所在地図を眺めていると、日本文学の大きな潮流を感じる。庭に出ると相模湾を見渡す広大な日本庭園であった。さすがに元加賀百万石の前田家別邸である。女子学習院高校の現代的お嬢様グループが盛んに写真を撮りあっていた。ここの展示は漱石山房の面々だけでも大きな山脈となっている。


友人の企画では、これから横浜に行くという。港が見える丘公園近くの近代美術館では正岡子規の特別展が開かれていた。冗漫で雄弁な文章は西洋に任せれば良い。ムダをすべて削ぎ落とし、世界で最も短い言葉で人生の儚さを読む。世界に誇れる文学、それが子規が挑戦した革命的な俳句である。


35歳で世を去った子規の生き様は凄絶であった。馬齢を重ねるだけではあまりにも寂しい。坂本龍馬、享年32歳。アウンサン将軍、享年32歳。彼らは脂肪の塊とは縁のない、ムダの無い5・7・5の人生を燃焼仕切ったようだ。



感激したことにKKさんからも激励のメッセージを頂いた。
この方は、4年前このメルマガを開始するときにワタシの背中を強く全面に押し出してくれた恩人である。それからずっと見守って頂いたかと思うと、自分の不勉強さを恥じるのみである。
三つ子の魂百までで、これは聖路加の名医でも治しようがない。
ご勘弁のほどを!



東西南北研究所




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