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<ミャンマーで今、何が?> Vol.22
2012.12.4

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar


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■ヤンゴンにおけるオバマ大統領の6時間

・A1:2012年11月19日(月)はミャンマーの現代史にとって画期的な歴史的記念日
となった
・A2:この短いミャンマー訪問がいかに歴史的に重要な事件であったかを、一つ一
つ検証していきたい。
・A3:ミャンマーを巡る様々な制裁
・A4:自国の王宮が外国の軍隊に陵辱される
・A5:豹変前の未熟なテインセイン首相の経歴
・A6:世界の救援物資と善意
・A7:テインセイン首相のナーギス対応
・A8:ナーギス対応に世界中から非難ごうごう
・A9:オバマ大統領が奇跡を起こす
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・ミャンマーで今、何が?


■ヤンゴンにおけるオバマ大統領の6時間


【A1:2012年11月19日(月)はミャンマーの現代史にとって画期的な歴史的記念日となった】

米国の第44代オバマ大統領が第2期目の大統領として再選されたその2日後に最初の海外訪問国としてミャンマー・タイ・カンボジアを選び、2週間も経たない11月19日にその大統領特別専用機がヤンゴン国際空港に降り立ったのである。今回はオバマ大統領のヤンゴンにおける6時間をドキュメンタリー風に追いかけてみよう。

<午前9時40分>

オバマ大統領・ヒラリー国務長官を乗せた大統領特別専用機“エアーフォース・ワン”がヤンゴン国際空港に到着した。そして正式の国賓として栄誉礼を受けた。空港には政府高官以外に鈴なりの一般大衆が米国・ミャンマーの小旗を振って出迎えた。

特殊な防弾装置を施した黒塗りのリムジン(3日前にヤンゴンに到着しオバマ大統領を待機)は厳重なモーターケードに護衛されてヤンゴン地区議会に到着する。謁見室では、テインセイン大統領および大統領府の大統領顧問格各大臣、内閣の諸大臣、ヤンゴン地区議会の高級幹部が同席。オバマ大統領にはヒラリー国務長官を初めとする米国の高官から構成される随行団が同席し、テインセイン大統領との会見は約1時間に及んだ。

ミャンマーの大統領が海外の国賓を接見するのに新首都ネイピードの豪華な大統領府ではなく、ヤンゴン地方議会の会見室を使用するなど異例の出来事で多分前例のない出来事であろう。

したがって、テインセイン大統領が大統領府諸大臣、内閣の諸大臣、政府高官を引き連れてヤンゴンまで出向いたということはオバマ大統領に対する前例を破った特別の配慮で米国へ対する思い入れがどれほど深く、オバマ大統領への誠心誠意の好意の対応を表明したものと受け止められている。


<午前11時10分>

オバマ大統領一行はネイピードから特別このために飛来し待機するトゥーラ・ウ・シュエマン下院議長およびウ・キンアウンミエン上院議長を同議会内のホールに表敬訪問する。


<午前11時40分>

黒塗りのリムジンはシュエダゴン・パゴダ北口回廊に到着。若いオバマ大統領はエレベーターを断り、緩やかな参道を歩いて昇ることを選択。この参道は屋根で覆われた吹き抜けなので意外に涼しい。だが、パゴダ内は土足厳禁である。オバマ大統領の裸足はスポーツマンのそれを思わせるが、大統領警護担当のサングラスを掛け耳にイヤホンを取り付け四方に警戒の目を光らす大統領特別警護チームのMIB(マン・イン・ブラック)の裸足姿はこれまでに目にしなかった光景だけに何かこっけい感を醸し出していた。

オバマ大統領の生年月日は1961年8月4日。ミャンマの八曜表で調べると金曜日に当たり、その守護神はシュエダゴン・パゴダの真北に位置する“モグラ”の像である。大統領がシュエダゴン・パゴダ信託委員会の理事に確認すると正式には11回“平和”を祈念する聖水をこの像に掛けるのだが分刻みにお忙しい大統領にとっては数回でも効き目がありますと説明する。多分人心を把握する能力は天才的なのだろう。用意した生花をモグラの像に掛けると大統領は腕まくりし直し正確に11回の聖水をこの像に注いだ。そして銅鑼の前に歩を進めると一通り説明を聞いたあとで、ここでも忠実に11回銅鑼を打ち鳴らした。これらはたわいのない話かもしれないが、シュエダゴン・パゴダにおけるオバマ大統領のこれらの行動は同大統領の性格を現すエピソードとして一時間も経たないうちに、下町ヤンゴンの路上喫茶で大うけのニュースとなって流れていった。


<午後12時20分>

スーチー議員のすっかり有名になった湖畔の邸宅を訪問。そして恒例のポーチで二人並んで記者会見。ヒラリー長官は遠慮する形で記者団に紛れ込んでいた。


<午後2時40分>

ヤンゴン大学のホールでスーチー議員・ヒラリー国務長官ほか大勢の大学関係者を前にヤンゴンの若者を鼓舞する歴史的な演説を行う。


<午後3時25分>

ヤンゴン国際空港に到着すると再び国賓としての栄誉礼を受ける。


<午後3時35分>

米国大統領特別専用機がヤンゴン国際空港を離陸。実務派大統領のヤンゴン滞在はわずかに5時間55分であった。

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【A2:この短いミャンマー訪問がいかに歴史的に重要な事件であったかを、一つ一つ検証していきたい。】

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【A3:ミャンマーを巡る様々な制裁】

一年前のオバマ大統領はミャンマーに対する経済制裁の最高責任者であった。米国主導の経済制裁はEU各国が追随し、カナダが従い、オーストラリアが同じような措置を取った。いわゆる欧米諸国がミャンマーに対して共同歩調を取ったのである。そしてミャンマー高官・財閥の資産凍結のみならずビザの発給を禁止した。当然ながら、米国政府にノーと言えない日本政府もその路線に従い、アセアン諸国も表立った経済制裁破りは自重していた。米国が動かない限りこの制裁は解除しないというのが西側の態度であった。この頃はミャンマー政府と西側政府と間には不信感のみが横たわっていたのである。

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【A4:自国の王宮が外国の軍隊に陵辱される】

もう少し歴史を振り返ろう。ミャンマー国軍が自国の歴史を検証する時に屈辱の記憶を払拭できず、外国人嫌い、外国人恐怖症のDNAが歴代受け継がれてきたものと伝えられている。それは第3次英緬戦争によるもので、一旦イラワジのデルタ河口域を落とすと大英帝国軍は蒸気船をマンダレーまで攻め込ませた。わずか一昼夜でマンダレーまで到達したといわれ、一気にマンダレーの王宮が落城させられた。そしてビルマは自国を失い、大英帝国インドの属国となった。

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【A5:豹変前の未熟なテインセイン首相の経歴】

その悪夢の再現に遭遇したのが、当時の暫定首相・終身首相に抜擢されたばかりのテインセイン首相である。当時、白血病の治療を受けていたソー・ウィン首相の暫定内閣を引継ぐよう旧軍事政権から指名されたのが2007年4月で、翌年5月2日・3日未曾有のナーギス大暴風雨対策の総指揮を取らされたのである。死者の数は連日何千人と膨らみ政府は13万人まで確認したところで、膨大な数に政府は対応できないとして被害状況の発表を中止してしまった。であるから、実際の数はこの13万を遥かに上回っている筈である。世界中の人権団体やマスコミはミャンマー政府は情報を隠蔽しているとしてミャンマーバッシングが始まる。元々インフラが未整備のところに加えて、イラワジデルタの道路はナーギス大暴風雨のために至るところで分断され、政府自身が打つ手がなくすべての対応は後手後手に回っていた。もちろん外国人の報道機関が現地に潜入することは厳重に禁止され、世界中のマスコミのブーイングの対象となっていった。

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【A6:世界の救援物資と善意】

米国海軍とフランス海軍は救援物資を大量に積載した軍艦をイラワジデルタ沖合いに集結させ、これは人道問題として特例の緊急対策としてミャンマー政府の上陸許可を執拗に促していた。

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【A7:テインセイン首相のナーギス対応】

ここですべての総指揮を任されていたのが就任早々のテインセイン首相である。

当時はタンシュエ上級大将の忠実な部下で野心のない学者肌の参謀であったがゆえに、旧軍事政権から首相として抜擢されたのである。

軍事戦略的に外国の軍艦をイラワジデルタ周辺に直接揚陸させることはマンダレー王宮同様にミャンマー最大の都市ヤンゴンが米国連合軍に強襲される恐れがある。ビルマの歴史に照らし会わす限りこれは絶対避けねばならない。日本の歴史でいうと黒船が数隻浦賀の沖合いを遊弋しているようなものである。

当然ながら、ミャンマー国軍参謀本部での結論は、米国・フランス両国の軍艦には上陸許可を発行しない。緊急救援物資はヤンゴン国際空港でのみ受け付けるという決定が下された。そして外国人の被災地入りは極度に制限され、特に外国人特派員による現地報道は厳禁とされた。

これはテインセイン首相が軍組織の中で頭角を現してきた初期の頃で、宰相としての風格も備わっていなければ経験もなく、むしろ唯一タンシュエ上級大将の意向にどれ程忠勤を尽せるかに全力注入していた時代のエピソードで、現在のテインセイン大統領として豹変する前の話である。しかし、この時の経験がその後大統領として上り詰めていくに従い、テインセインその人物の内面でどれ程大きく影響を与えているか計り知れないものがある。

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【A8:ナーギス対応に世界中から非難ごうごう】

今現在その爪痕を深く残しているナーギス大暴風雨の被災地であるが、世界の人権問題団体、赤十字社、善意のドナー、そして世界中のマスコミからはこの軍事政権の対応に対して厳しい非難が続々と寄せられた。繰り返すがその総指揮者・最終責任者はテインセイン首相である。

話は長くなったが、この頃(2008年)は西側諸国とミャンマー政府の間には信頼関係を形成するかけらもなく、むしろ西側諸国は疑惑の目と苛立ちの目でミャンマー政府を見ていたのである。その不信感は北朝鮮とイランに対するものと同等といってよい。スーチーさんの解放が2010年11月13日なので、まだ自宅軟禁中の解放2年前の話である。

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【A9:オバマ大統領が奇跡を起こす】

このような経過を辿ってオバマ大統領がミャンマー入りを決断したということは西洋人に言わすとミラクル以外の何物でもない。何度も繰り返すが、ミャンマーを中心とした世界は誰もが予測できないスピードで豹変している。




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