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<ミャンマーで今、何が?> Vol.221
2017.6.28

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■複雑なミャンマー国軍 その2

 ・01: ミエンスエ上級副大統領

 ・02: ミャンマーはスクープ記事の宝庫

 ・03: ミンアウンライン国軍最高司令官

 ・04: 最後に一言

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01: ミエンスエ上級副大統領

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1951年6月24日生れで、テインセインより6歳年少、シュエマンより4歳若い。
彼の活躍ぶりを振り返って見てみよう。

彼は三つの主要事件によって陸軍内部で頭角をあらわし、タンシュエから認められた。

2002年ネウィン一家が国家転覆の陰謀を働いたとして、家族の主要メンバーが一網打尽に逮捕されるという奇怪な事件がヤンゴンで発生した。この事件が一つ目。

ネウィンといえばミャンマー独立に関与した"三十人の志士"の主要メンバーで、アウンサン将軍に次ぐ実力者として認められた。だがアウンサン亡き後、1962年の軍事クーデターでネウィンの独裁国家が出現した。基盤としたビルマ式社会主義により経済は疲弊し破綻したが、徹底的な武力と情報局監視による恐怖政治で学生・僧侶・国民の抗議運動を鎮圧した。そして周囲の取り巻きは完全なイエスマンと化し、国民は戦々恐々たる日々を送っていた。

そこにスーチーが本人の意思にかかわらず、担ぎ出されたのだが、この話は別の機会にする。

日本国民が軍部独走に歯止めをかけられなかった大東亜戦争と似た様な空気の中で、ネウィン一家および取り巻きはセドナホテルで90歳になる独裁者の誕生会を大々的に開いた。
その一・二年後である。独裁者の黒目が白濁し、意識が朦朧としてきたとのウワサが流れた。
その直後である。その伏魔殿を警察・軍隊が急襲し、独裁者ネウィン本人は自宅軟禁、娘婿と男系孫たちが国家転覆の陰謀罪で、確か100年以上?の禁固刑を食らった。
これが国民にとってグッドニュースなのか判断できずに世間、および世界は驚愕した。
2002年のことである。

2004年ミャンマーで泣く子も黙ると言われた情報局のトップで当時現役の首相であったキンニュンが大量の金塊を軍用トラックで国外に持ち出そうとしたことが発覚し、キンニュンはマンダレー飛行場で突然当局により逮捕された。又しても奇怪な事件である。
だがこの詳細も別の機会があれば昔話としてお伝えしたい。

ここでのポイントは、キンニュンが牛耳っていた軍情報部が100%解体されたことにある。つまりキンニュンの部下をはじめとする関係者全員は投獄されるか、追放された。この軍情報部解体が意味するところは非常に大きい。お馴染みBBキングのThe Thrill is goneのスリルを"恐怖は去った"と置き直して、ブルースを口ずさみたいムードが広がった。だが、それは全く甘い考えだった。当然ながらスーチーの発言したFreedom from FEARの"恐怖"の方が正鵠を得ている。
この世界をまたしても驚愕させたこの事件が二つ目。

前回説明した"枢密院"の秘密メンバーにキンニュンも入っていたというのが当研究所の仮説だが、高級将校に登りつめ、選別されたメンバーであってもタンシュエの許容限度を超えると抹殺される。この事件は国軍内部に疑心暗鬼と恐怖を生み出す効果が大であった。古くからのNo.2であるマウンエイも、部下に唆されようがタンシュエには決して刃向わず、酒浸りであったとウワサは伝える。

このように恐怖心で独裁者に忠誠を尽くさせるという巧妙な軍隊組織を作り上げたのはネウィンかタンシュエのどちらかであろう。
それだけにスーチーのFreedom from FEARは卓見である。御一読をお勧めしたい。
スーチーの謎の言葉"複雑なんです"が腑に落ちる気がする。

そして三つ目が記憶もまだ新しいサフラン革命の鎮圧である。
日本のフォトジャーナリストがデモ最中の路上で銃殺された事件としても日本では大きく取り上げられた。サフランとは僧侶の着用する濃い黄色の僧衣を象徴し、欧米のジャーナリストは好んでこの表現を使う。だが、一部識者はビルマの僧侶が着用するのは濃い黄色(ゴールデン イエロー)ではなく赤褐色のマルーン(Maroon=栗色)であると主張する。そんなことはどうでも良いではないか。

問題は、ビルマ・ミャンマーの反政府抗議運動にはシュエダゴン・パゴダが常に心の拠り所となっていたことである。スーチーも反体制運動家としてシュエダゴン・パゴダ西門前で、大聴衆を前にした歴史的なスピーチでデビューした。このサフラン革命でも僧侶たちがシュエダゴン・パゴダに集合して、それから街へ繰り出した。

キリスト教徒のヒラリーもオバマも裸足になって仏教徒のメッカとも言えるシュエダゴンを訪れた。ここは単に観光名所ではない。
一部日本人からは、どうして聖なるシュエダゴンが政治集会の場所になるのだ、そもそも坊主がデモに参加するのがケシカラン、政教分離しろなどと、余計なお世話を聞いたことがある。

ここで寄り道になるが、少しミャンマー(昔はビルマ)の歴史を説明したい。
辺境地帯の山岳部がクリスチャンに、海岸地帯に沿ってムスレムが、さらに少数のヒンドゥー教徒が国内に定着している。だがミャンマーは基本的に仏教徒の国である。そこでは僧侶集団のサンガ(これは仏法僧の僧を意味する)が王家の庇護を受け、サンガは王朝のために祈祷する不文の契約関係が成り立っていた。そこに土足で踏み込んだのが大英帝国の軍隊で、武力でマンダレー王朝を廃絶してしまった。

京都の優雅な平安京から、一気に武家社会の江戸幕府に変わったと思えば、理解しやすいだろう。それがマンダレーとヤンゴン(昔はラングーン)の関係である。困ったのがパトロンを失った僧侶集団のサンガである。無慈悲な征服者には仏教徒の嘆きは分からない。そこで被征服者である僧侶と一般民衆との繋がりが精神的にも物質的にもより強くなった。ヤンゴンにはお堀に囲まれたパレスはない、だが燦然と輝くシュエダゴン・パゴダがある。ここを拠り所として、憎っくき征服者に対する聖地として僧侶と民衆が祈念したのも自然な成り行きだ。その征服者が、とき移り、イギリスから軍事政権に変わったということである。

サフラン革命でも、僧侶たちがシュエダゴン・パゴダに集まり、デモ行進の許可を得て街に繰り出した。すると学生たちが、政党活動家が、一般家庭の主婦が、お役所の役人たちまでが、僧侶に従い非暴力の行進を整然と、そして延々と続けた。どうしてこれほど大勢の大衆が道路を占拠したのだろう?

これは偏に政府専売の燃料油高騰にある。又しても経済政策の失敗である。
ミャンマーはご承知の通り、何と言っても、クルマ社会である。ディーゼルとガソリンが66ー100%、バス・タクシーなどが使用する圧縮天然ガスが500%、一週間以内に値上がりした。これで怒らなければ、ミャンマー人ではない。この抗議デモは2007年の8月・9月・10月と続いた。当局にとっては、このような民衆の盛り上がりが一番怖い。

当時、国連の出先機関はUNDP、ユニセフ、UNIDO、WHO、FAOなど10機関以上あり、それがほとんどまとまってトレーダーズ・ホテルに陣取っていた。その上階事務所から撮影したのか、CNNなどの報道機関が撮影したのか不明だが、スーレー方面を望遠で写したビデオが、しかも赤いスカーフを巻いた辺境から呼び寄せたという殺人部隊による衝撃的なビデオがヤンゴンでは密かに出回った。

上記三つの事件を陣頭指揮したのがミエンスエだと言われている。

そして2010年の総選挙後、ミエンスエはテインセイン大統領からヤンゴン地区の首席大臣に指名され、続いて2012年にTin Aung Myint Ooが辞任すると、その後任として副大統領に指名されるとウワサされた。タンシュエに忠誠を尽くしたミエンスエにしてみれば、とんとん拍子の出世である。だが、娘婿がオーストラリア国籍であったため、憲法規定により資格なしとなった。これは軍部のミエミエの演出であった。その後、娘婿はオーストラリア国籍を捨て、ミャンマー国籍を取り直し、ミエンスエは上級副大統領に就任できた。だが、これほどのシナリオはミエンスエ個人、テインセイン大統領が勝手にできるような演技ではない。

スーチーの場合は、二人の息子は20歳になるまでは英国とビルマの二重国籍が認められており、20歳の時点でどちらかを選択させる予定だった。だが、軍事政権は未成年の時点で一方的にビルマ国籍を剥奪したので、結果的に英国国籍保有者となった。そしてスーチーには外国人国籍の子供がいると強弁する。



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02: ミャンマーはスクープ記事の宝庫

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ここで日本を含む海外のマスコミは単純にタンシュエが悪いとか、軍事政権がケシカランと書き立てて、批難するが、ミャンマーの現実をきめ細かに分析して冷静に判断してほしい。

表には決して顔を出さない"枢密院クラブ"が、タンシュエの意を汲んで、英国籍の息子二人がいるために憲法上は大統領・副大統領に就任できないということをスーチーだけでなく全国民に周知させるためだけに、このミエンスエ起用のウワサを流したと見るべきだ。

このアイデアはテインセイン大統領の指導力と能力をはるかに超えるところにある。これはスーチーのカリスマ性を極度に恐れるタンシュエの意向が大きく反映されている。

カリスマと言ってもチープなカリスマではない。スーチーに銃口を向け"撃て"と命令したにもかかわらず、兵士の指が凍りつき撃鉄はおりなかった。そのためスーチーは何度か命拾いし、命令したタンシュエ自身がスーチーにはカリスマ性があると本気で思い込むようになった。(ピーター・ポパム著「アウンサンスーチー 愛と使命」)

古今東西、歴史は繰り返すという。
あの独裁者ネウィンは、90歳になるまで矍鑠(かくしゃく)としていた。だが、黒目が白濁し言動が耄碌してくると、タンシュエに寝首を掻かれた。下世話の言葉では天に唾すれば、仏教の言葉では因果応報と言う、タンシュエはそれを最も恐れている。だからスーチーに対する嫌がらせはタンシュエの断末魔まで巧妙に続くと思われる。タンシュエ現在84歳。ネウィンも老いには勝てなかった。

ヤンゴン空港でスーチーの顧問弁護士が衆人環視の中で射殺された。ラカイン州でのロヒンジャー問題ではマスコミが操られたようにスーチーを対象に攻撃している。これらのウラにどのような謀略が隠されているのか、あるいは組織的な謀略など全くないのか、今の時点でははっきりしない。

だがスーチー政権が登場するまでは、すべては秘密主義であった。だから、驚愕するようなスクープ記事が埋没している可能性は大だ。大新聞をバックとするようなプロのジャーナリストならば、経済が停滞するという評論家ごときの記事よりも、そのような問題こそ是非とも解明していただきたい。チャチなメルマガでは歯が立たない。

ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインという二人の若い記者は、歴史に残るウォーターゲート事件を暴き出した。米国大統領を敵に回すことを誰もが恐れる空気の中で。どの世界でもそうだが、賛成派と反対派は必ずいる。そして本音と建前を巧妙に使い分ける。綿密な取材を続けるうちに、コーヒーでも如何?と政権に属する家族から内緒で居間に招き入れてくれた。この政権とはニクソン政権のことである。ビジネスでも同じである。ドアベルを鳴らして、ドアを開けさせる。すべてはそこから始まる。ワシントンポスト紙の若い記者もそうだった。

そしてディープスロートという仮名の内部情報提供者に行き当たる。Wポストの連載記事はライバルのNYタイムズを追い抜きアメリカのみならず、全世界で注目されるようになった。なに?アメリカの共和党大統領が民主党本部の電話を傍聴している? 女性社主のキャサリン・ グレアムにとっても大決心だっただろう。社内をあげてこのキャンペーンを支持する。最初はそうではなかった。

この辺りのエピソードは若い二人の記者が書いた「大統領の陰謀」(All the President's Men)に詳しいし、本を読むのが苦手な方はロバート・レッドフォードとダスティ・ホフマンが記者を演じた同名のDVDを見てほしい。この二人の記者は1973年春のピュリッツァー賞を受賞した。

かといって、Wポストだからといって権威がある訳ではない。自戒を含めて言えば、読者一人一人が記事ごとに真贋を見極める注意も必要である。1981年のジャネット・クック事件は、「ジミーの世界」と題して8歳のヘロイン中毒患者の生態を伝え、Wポスト紙にピュリッツァー賞をもたらした。だが直後、記事全体がでっち上げであることが判明した。

だから、あのWポスト紙ですら名誉と不名誉を内包しているという教訓である。



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03: ミンアウンライン国軍最高司令官

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1956年生まれ、ダウェイ出身。
2010年6月、シュエマンの後任として陸海空3軍の参謀長となった。
2011年3月30日、タンシュエの後任としてミャンマー国軍の最高司令官に就任した。

イラワジ紙によれば、2011年11月中国の国軍高官と会見し国防に関する相互協定を締結し、さらに当時の習近平副主席と会談しカチン州紛争に関して協力を依頼した。2013年3月上級将軍に昇進した。
前にも書いたが、ミャンマーの和平協定には抜き差しならないほど中国が食い込んでいるのだ。

国連はミンアウンラインの軍隊はカチン・シャン両州で市民を標的にした非道な行為を行い、ラカイン州ではロヒンジャーの女性をレイプし、市民を撃ち殺し、ロヒンジャーの村々を焼き尽くした。この人権に対する暴力は戦争犯罪で人類に対する犯罪であると批難している。

ミャンマーにおいては国家公務員の定年退職は60歳に定められている。ミンアウンラインはその直前に軍の法規を改正して、その定年退職を5年間延長し、65歳まで国軍最高司令官に留まることができるようになった。ミンアウンラインは今年61歳のはずである。
スーチーには軍が作成した2008年憲法を盾に大統領を阻止しながら、軍部はやりたい放題ということである。

この点およびミエンスエ副大統領の娘婿問題からして、スーチーが主張する憲法改正と法規遵守には重大で深い意味がある。
それを無視して、スーチーの手腕には限度がある、国民も経済の停滞に不満を漏らし始めたと、軍部を代弁するような報道が目立ちすぎる。彼らはミャンマーに駐在して何を見ているのだろう。

これは余談だが、タイのメディアによれば、ミンアウンライン(当時58歳)のタイ国訪問時、プラム・テンスラノンダ元将軍(当時94歳で子供なしで、タイ王室枢密院総裁)に対し養子になりたいと申し出て認められたとある。これはミンアウンラインの亡き父親が同将軍と両国の国防軍トップであったため友人関係があったためとされている。これはミャンマーでは報じられなかったので、ミャンマーの軍人もタンシュエの気に染まなければ使い捨てだから、ミンアウンラインも万一の場合の保険をかけたものと推測される。



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04: 最後に一言

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これでスーチー政権下における軍部のトップ三名、すなわちシュエマン・ミエンスエ・ミンアウンライン、の表面的な略歴を紹介した訳だが、その分析という大仕事がまだ残っている。

スーチーおよびティンチョウ大統領は現憲法上、軍部の決定および戦闘行為には口出しできない。その辺りもわきまえずに、ラカイン州の戦闘行為を政府軍が何々したと、ロヒンジャー側の被害者のみを報じて全体的な事実を見ていない報道が見受けられる。中にはラカイン州に足を運ばずに、ロイター電によればとか、外電のタダ乗りで、記事を作成している。彼らは本当にプロのジャーナリストなのだろうか?大いに疑問である。

このメルマガは冗漫すぎて文章が長すぎると、非常に評判が悪い。もうじきあの世に事務所を移管しますので、しばらくのご辛抱をお願い致します。

ということで、ミャンマー軍の分析とスーチーの戦略は又々次号とさせていただきます。

それからスーチーをはじめとして、このメルマガの登場人物は基本的にすべて呼び捨てにしています。これは他意はなく、へり下ることでおもねることを避けたいがためで、公正を期すためでもあります。決して偉ぶっている訳ではないので、ご理解ください。


東西南北研究所







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