******************************

<ミャンマーで今、何が?> Vol.225
2017.9.19

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

******************************

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■ご無沙汰しました

 ・01: ご報告

 ・02: 日本滞在で学んだこと

 ・03: CLUB 60

 ・04: ミャンマー人

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


======================================

01: ご報告

======================================


日本には2ヶ月近く滞在しました。

そこで最後の審判が下されたので、ご報告します。

「MRIを含めた全ての検査結果、緊急にペースメーカーを埋め込む必要性はない」というご託宣であった。それでは、4月28日(金)の20分間の失神事件は何が原因か?

という疑惑は残るが、ドクターの最終診断を素直に甘受し、服用薬も、将来の定期検診の予約も無しで、病院からは無罪放免となった。

過去を振り返れば、世の流行に棹さして本流には与しない生き方ばかり。優等生とは程遠い人生だった。延命策を講じても、(明日も)かくてありなんであろう。

それならば、自前の心臓がクタバル日まで、自前の体力が続く限り、精一杯生きることにした。

決して悲壮な決意ではない。

自分自身を見つめ直すことから開始した。

そして考え方を根本的に切り替えることにした。

「現代医学には頼らない。サプリなどの医薬品には手を出さない。と、世間の流行に棹さす生き方を選んだ。」

だが、腹筋、腕立て伏せ、情けないほどに、体力がナマっている。

そこで自宅にジムをオープンした。

と言っても、100cm x 130cmほどのマット一枚、体重計、血圧計を日本から持ち込んだ。

それに友人から寄贈された脈拍計+血中酸素濃度計がある。それらの数値を羅針盤としよう。
20分ほどの時間を見繕い、自己流の柔軟体操を試みることから開始した。

学生時代にやっていた腹筋、腕立て伏せの要領だ。

片足で立って、ヨロヨロせずに、ソックスを履くのが、当面の目標だ。

ナマった体力の改造が出発点である。コレが所有する全財産だ。

役立つ身体・食事・摂取飲料の知識はBBCなどから吸収する。当研究所にはそれらの入手システムが蓄積されている。

もう一つ大事なことは、今後一切、浮世の義理には付き合わないということだ。

サドンデスのその一瞬にまで人生やりたいことに邁進する。

目指すゴールはイエウィの墓地一直線である。



======================================

02: 日本滞在で学んだこと

======================================


広島原爆が8月6日、そして日を置かずにソ連の参戦、ダメ押しの長崎原爆8月9日、それからポツダム宣言受諾、すなわち無条件降伏の敗戦日8月15日。

日本民族が辛うじて生き残った。

これらは全て昭和20年に起こった。西暦で言えば1945年。今から72年前の出来事である。
あえてミャンマーつながりで言えば、テインセイン(元大統領)とスーチーは、その年の4月と6月に生まれている。

たまたま日本滞在がこれら記念日と重なり、暑くて不快な気候でもあった。
NHKラジオ深夜便が、真夜中から翌朝までの、子守唄代わりの寺小屋学級となった。

歴史年表として纏めると、昭和20年(西暦1945年)だけが大変だったようだが、決してそうではない。

太平洋戦争は大日本帝国が仕掛けた昭和16年(西暦1941年)12月7日の真珠湾攻撃が端緒となっている。

今回は従軍記は勿論、銃後の戦争体験記など、多数の戦争関連書に図書館で出会った。

そして、友人からは戦争に至る道と敗戦前後を記憶と新聞記事で詳細にえぐり取った西村京太郎著「十五歳の戦争」集英社新書(2017年8月14日初版)を寄贈された。

日本の至る所で、それらの記憶を風化させないために沖縄・広島・長崎で、日本国中の市町村で、「語り部」という方たちが活動されていることも知った。

月日の経過とともに、戦争を経験した世代は、過去のものとなり、少数派となっていく。
敗戦時十五歳の西村京太郎少年ですら、今年87歳である。

敗戦時10歳くらいであった先輩たちの話も聞かせてもらった。今年80歳前後である。それ以下になると、ガキの戦争体験で狭い世界しか見えていない。今世界のリーダーと見做されている人たちはその半分に毛の生えた年齢である。アーノルド・トインビーが言ったように、彼らは歴史に学ばず、戦争ゴッコを繰り返すのだろうか?

日本は悲惨な原爆・敗戦を強調する。

米国は真珠湾の卑怯な騙し討ちを非難する。
それでは不幸にも戦場となった中国・南太平洋の国々・東南アジアの国々はどうなるんだ。
これでは、ヘイト・スピーチが横行するのは当然のような気がする。

小さな諍いを含めて、この地球上から戦争を撲滅することに努力するならば、理解できる。
だが、世界の指導者たちは今、戦争ゴッコへ向かって、手を握り始めた。

米国のNY、しかもマンハッタン島の一画に、米国の主権が及ばない敷地がある。

その国連本部ビルで毎年国連総会が行われ、世界各国の指導者が基調演説を行う。
このメルマガの最初のバックナンバーも、ここが舞台となっている。
今週この国連ビルでは、たぶんスーチーやトランプの主張したいことが聞かれるであろう。
注目したい。

私にとっては、2017年のミャンマーが先の見えなかった明治維新、廃藩置県前後に、似通って見えて仕方がない。そこで、歴史散歩というわけではないが「上野のお山」の動物園、博物館、西郷さん、彰義隊から谷中の墓地の徳川慶喜墓所までをほっつき歩いた。そして深川方面にまで足を伸ばし、江東区芭蕉記念館も訪ねた。方向違いだが、赤坂迎賓館にも迷い込んだ。一般参観が許されており、スーチーの昨年の記念写真が何枚か展示されていた。全ては、見納めという想いからである。鈴本演芸場には二度も足を運んだ。



======================================

03: CLUB 60

======================================


ヤンゴン川に割と近い下街にそれはある。

クラブ・シックスティーと言っても開けてくれない。

「クラブ・シックス・ゼロ!」と区切って囁くとドアはオープンする。
シカゴのモグリ酒場の要領だ。Speak Easy!!

クラブとはなっているが酒場ではない。雑多な連中が寄り集まり、ワイワイガヤガヤと語り合う。
ブレイン・ストーミングのようなものだ。
厳格な規定はないが、"禁煙"と"履物厳禁"は守ってもらう。
家族を愛するスタイルが最優先され、飲酒は次の3つの場合に限られる。

No.1: 悲しい時
No.2: ハッピーな時
No.3: それ以外のいかなる時

鎖国時代のミャンマーを、江戸中期と錯覚したこのクラブのマスターは林子平(はやし・しへい)に想いを馳せた。1786年に朝鮮、琉球、蝦夷、小笠原諸島の記述及び地図を印刷出版し、更にはロシアの南下に警告を発した「海国兵談」を自費で印刷出版した。
幕府は無断で国防を論じたとし、林子平を禁固刑に処し、版木を没収した。
版木とは印刷用の活字で、PC用語ならフォントに相当する。
言ってみれば、日本のグーテンベルグで、当時の著述業であり、印刷出版業者でもあった。

林子平は獄中で有名な辞世の句を残し、六無斎の号を持つ。
「親も無し、妻無し、子無し、版木無し、金も無ければ、死にたくも無し!」、数えてみると六つのゼロである。
当時のジャーナリストは、ミャンマーでも弾圧された。この看板の真意を当局は読み取れるだろうか?
世の中、タヌキとキツネの騙し合いだ。

翌年ロシア使節が根室に来て、日本国の沿海問題が次々に発生する。次第に「海国兵談」の価値が認められ、幕末に至るまで広く伝写された。あの時代に、林子平は「江戸の日本橋より唐、オランダまで、境無しの水路なり」と世界地図を海洋から見つめていた。そのマネ事をマスターは意図していたフシがある。林子平のような出版業、そして印刷業である。



======================================

03: ミャンマー人

======================================


奥さんにもナイショの秘密まで熟知していたPA(パーソナル・アシスタント)が、突然辞めた。それまでは優秀な部下だと散々自慢にしていた。運転手を兼ねる個人秘書でもあった。辞めた途端に、バカだの信用できぬ男だと社長はワメキはじめた。
社長が悪いのか、PAが悪いのか、それは分からない。
同様のケースを何度か耳にする。


ミャンマーにおける信頼確立は、笑顔が巧みなだけに、ことのほか難しい。

ミャンマー人同士ですら、コミュニケーションが上手くいっていない。

ミャンマー人と日本人なら尚更だ。

ミャンマー人と中国人、ミャンマー人と欧米人、それぞれに苦労している。


ヤンゴン不在の2ヶ月間に日刊英字紙"GNLM"が溜まってしまった。
だが、部屋のカビ退治で、閲覧どころではない。
日本の友人からも、ラカイン州が大変なようだねと心配してくれる。

心配なのは日本側の報道姿勢なのだが、この件に関しては、2ヶ月分を吟味した上で言及したい。
保管された2ヶ月分に追加してGNLM紙は毎日配達される。
その中から目についた記事を紹介したい。

インドのモディ首相 (ヒンドゥ教徒)が国賓としてミャンマーを訪問したが、公式行事以外にシュエダゴン北口の殉難者廟、カーリー・ヒンドゥ寺院、アウンサン将軍博物館(スーチーが特別に案内)、インド史上最大のムスレム帝国でその最後の皇帝が眠るシャーザファー霊廟。特に最後の霊廟はインド・バングラ・パキスタンの高官にとっては必見の霊廟である。(9月8日付)

マニラのケソンシティで開催されたアセアン+日本の情報相会議で最近流行の偽造・虚偽ニュースに関して話し合いが持たれた。(9月10日付)

ラカイン州情勢に関する記者発表: アラカン・ロヒンギャー救世軍(ARSA)として知られる過激派が8月25日にラカイン北部でテロ行為をエスカレートさせ地域社会に多大の脅威を拡散させ、政府としても国際社会と同様に懸念を共有する。これは30カ所に分散された出先警察施設を同時に攻撃する組織的なテロ行為で、その犯罪資金は海外で調達され、国内で同調する組織が実行したことが判明し、ARSAも犯行声明を発している。

全く同様の事件が2016年10月9日にも発生したが、この事件もARSAが犯行声明を発している。2017年8月の事件は、コフィ・アナン指導のラカイン州調査委員会勧告の調査報告書の提出日(8月24日)と時を同じくするもので、過激グループは地域社会および国際社会を虚偽のニュースで不安に陥れるのが目的である。(9月12日付)

駐緬中国大使が、北ラカインの問題はミャンマーの内政問題で、国連がスーチーを非難するのは当たらない。中国の起業家グループは迫害された地域社会に援助の手を差し伸べる、と語った。(9月14日付)

米国上院多数党派ミッチ・マコーネル議長がスーチーを非難するな、と語った。政府におけるスーチーの立場は非常に難しく、実質上、軍部に対しては何一つ権限を有していない。ここでスーチーの立場を弱くすれば、ン10年にわたる軍事政権から民主化移管が阻害されると、昨日スーチーと会見したマコーネル議長は語り、スーチーはこのテロ暴力で被害を受けたラカインのムスレム地域に援助物資を届けたいと語ったことも付け加えた。(9月15日付)

ロンドンのミャンマー人社会が、スーチーと共に闘うと、英国外務省前で平和なデモ行進。英国の外務大臣がラカイン問題でスーチーを非難したことで、ミャンマー人社会が声を上げた。(9月16日付)

最後に9月17日付GNLM紙日曜特別版G・Hページに掲載された、元米国外交官で現在は米国平和研究所アジア地区上級アドバイザーのプリシラ・クラップ女史がパリのTVネットワーク、フランス24、から受けたインタビューの全収録文である。(9月17日付)

Pクラップ女史は過激派テログループの海外メディアを通じた巧妙な宣伝工作に惑わされずに、冷静にラカイン州の現状を分析している。「ミャンマーで今、何が?」でお伝えしたことと同じ趣旨である。時間を見て、全文をお届けしたい。

今回はご無沙汰報告なので、細かく検証しない中身のないメルマガになってしまった。
ご了解いただきたい。


東西南北研究所





━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ご意見、ご感想、ご要望をお待ちしております!
 magmyanmar@fis-net.co.jp 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


=================================
- ご注意 -
このメールマガジンは情報提供を目的としたものであります。
なお、内容につきましては正確であるよう最善を尽くしておりますが、その内容
の正確性を保証するものではなく、内容についての一切の責任を負うものではあ
りません。
=================================


▽このメールマガジンは等幅フォントでご覧ください
 表示がズレる場合はお使いのメールソフトのフォントの設定をご確認下さい
 ※MS Outlook Expressの場合
 「表示→文字のサイズ」を選択、「等幅」にチェック


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※「ミャンマーは今?」の全文または一部の文章をホームページ、メーリングリ
スト、ニュースグループまたは他のメディア、社内メーリングリスト、社内掲示
板等への無断転載を禁止します。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※登録解除については下記のページからおこなえます。
 ○購読をキャンセル: http://www.fis-net.co.jp/myanmar/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 発行元:ミャンマーメールマガジン事務局( magmyanmar@fis-net.co.jp )
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━