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<ミャンマーで今、何が?> Vol.262
2018.7.17

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■シュエマン著「レディと私、そして国家問題」その5

 ・14: ワタシの新設メルアドを公開します

 ・15: 日本西域での大洪水にお見舞い

 ・16: 総選挙後初めて、シュエマンとスーチーが会談

 ・17: (引退した)上級将軍タンシュエとの会談

 ・18:シュエマンの語りを検証

 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)


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14: ワタシの新設メルアドを公開します

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以前使用していたメルアドはここミャンマーでは開封できなくなりました。関係連絡先のメイルA/Cも参照出来ず困り果てています。

そこで新規にGmailアカウントを登録しました。読者を含めみな様からの直接のご連絡をお待ちします。

東西南北研究所新規EメールA/C:club60yangon@gmail.com です。

よろしくお願いします。



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15: 日本西域での大洪水にお見舞い

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20018年7月14日付GNLM紙の囲み記事; 

ミャンマー連邦のウィンミエン大統領およびド・アウンサンスーチー国家相談役は、日本国の天皇と、総理大臣それぞれに宛て、日本の西方広域を襲った大雨被害で起こされた洪水・山崩れの被害者・亡くなられた方々へお見舞いのメッセージを送り弔意を示した。ミャンマーは今や、国際社会の一員として、特に日本に対する関心は強い。



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16: 総選挙後初めて、シュエマンとスーチーが会談

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2015年11月19日、予定通りシュエマンとスーチーは下院議長執務室で会談した。ということは、勝者のスーチーがシュエマンに敬意を表し彼の事務所を訪ねた。

このエピソードにはカラー写真3枚が挿入されており、そしてこれは二人だけの一対一の会談ではなく、双方共に随行者がいたことが分かる。ウィンミエン(現在の大統領=当時からスーチーの懐刀だったことが分かる)、Dr.ゾーミエンマウン(下院議長事務所の広報担当官)、さらにはシュエマンの懐刀で、現在の下院議長であるT.クンミャットも写っている。

会談後、両者で合意した5項目が共同声明として公式発表された。内容は省略するが、この時点から、二人はすべてをオープンにする方針を貫く。



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17: (引退した)上級将軍タンシュエとの会談

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シュエマンが暴露したエピソードの中で、非常に興味を引くのがこの部分である。ジャーナリストではないマスゴミ連中は、ミャンマー国軍というと、一緒くたにして野卑で残忍なイメージで一括りにするが、このエピソードから読み取ると、奥行きが深く、バラエティに富んでいる。そこにミャンマー・ウォッチングの面白みがある。公式には引退したことになっているタンシュエが、事実はどうなのか、そして老獪なスーチーがタンシュエをどう料理するのか、気になるところでもある。スーチーの戦略がついに口火を切った。

野党NLDの大勝利は日が経つに従い確固たるものとなった。すると次に残された最大の重要課題は国内の統一で和解と思われる。ザ・レディも同様の見方をしていたようだ。スーチーは(引退した)タンシュエ上級将軍と是非とも会いたい。彼こそ重要なキー・パーソンですから、と語った。お会いしたい理由は、彼の経験から、国内統一のための和解と新生国家建設の助言を学びたいからです。

そこでスーチーは私に、タンシュエに会って、手短に私の用件を伝えてもらえないかと、頼んできた。その際、年長者としての名誉と尊厳を汚さないように十分気をつけてと、念押しされた。(そのとき、初めて耳にしたのだが、スーチーはタンシュエのことを“アンクル”と呼んだ) そして話をするときは注意深く言葉をひとつひとつ選んで使用してネ、とまで言った。

*蛇足ながら説明すると、ミャンマーでは英国流で年長者に対し、男性には“アンクル!”、そして女性には“アンティ!”と呼びかける。この言葉には尊敬の念と、親しみが籠められている。マスゴミはスーチーとタンシュエは犬猿の仲として扱っているが、スーチーは親しみを籠めて“アンクル”と表現した。シュエマンも予想外だったのだろう。この“アンクル”をブロック体で印刷している。

私は早速、(引退した)上級将軍タンシュエのアポを取り付け、指定された日時に会った。いつも通り、和やかな挨拶を取り交わし、私は訪問の趣旨を手短に10分間で説明した。

ド・アウンサンスーチーが上級将軍にお会いしたいと願っていること。どうすれば、この国の将来にとり、ベストの仕事が出来るのか、是非とも将軍のお知恵を拝借したいと願っていることを説明した。さらには、私はスーチーのことはよく知りませんでした。だが、スーチーが国会議員となってから、彼女の発言・行動が論理的で、理屈の分かる人だと感心しました。多分これは、年齢・時間と共に考え方が成熟したのだと、私は推測しました。しかもスーチーは本当にこの国を愛しており、彼女の言葉は誠実で、自分の言った言葉を守る人です、と将軍に語った。

将軍は満足げに頷き、「多分・・お前の言うことは真実なのだろう。それを聞けて嬉しい。今や、彼女はこの国のリーダーとなった。われ我は、その事実を認めねばならない。それは今回だけに留まらず、2020年の総選挙で国民から再選されたら、今後も同様だ。彼女がこの国のために働く限り、私はこの手を貸そう」と語った。私は続けた。もし将軍がお会いいただけるなら、今すぐにでもスーチーをここに呼び寄せます。スーチーには待機するよう言ってありますから。そこで将軍は応えた。「間違いなく私はスーチーに会う。だが今すぐにではない。オマエもスーチーとの会談に応じるとのことだが、大統領と最高司令官にも事情を良く説明しておけ!そうだ、私との会談日時は追って知らせよう」 そのとき、私はジックリと将軍を観察した。将軍は行動を起こす前に、すべての観点から注意深く思いを巡らし、シャープに頭と心を働かせていることを知った。

私と将軍の話は、実際のところ二時間半も続いた。将軍からの質問には逐一説明した。それだけではない。質問はされなかったが、将軍の関心を持たれそうな話題もタイミングを見てお話した。会見が終わった後、将軍の表情が晴れやかになるのを、私は感じた。将軍は安堵して、爽やかな心持で、力が漲っているようであった。

この会見で、私が話し、見聞きしたすべてのことを詳細にスーチーに語った。この結果はスーチーとタンシュエの二人にとってだけでなく、新生国家のスタートにとり明るい未来を予期させるものだったので、私は大いに満足した。

スーチーの将軍訪問が実際に実現するまでに、私は二度将軍にお会いした。

全国的和解を心に抱きながら、ザ・レディは正に尊敬と謙譲の態度で将軍に臨んだ。それは殊勝な考えで、賞賛に値いする。

私は、その後再び将軍に会った。成功裏に終わった会見の後で、この二人の指導者が国家の利益のために協力してベストを尽くすことになったのは喜びに堪えない。



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18: シュエマンの語りを検証

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シュエマンが書いた「レディと私、そして国家問題」、特にこの“上級将軍タンシュエとの会談”のエピソード部分を検証してみたい。これは世界共通の話だが、政治家の書いた回想録は自画自賛が多く鼻持ちならない。当研究所の悪い癖は、この手の本を疑ってかかることである。素直に読まないのである。遠のいた記憶を辿るために、バックナンバーを片っ端からチェックして見た。

Vol.173(2015.12.09)およびVol.174(2015.12.17)で、ほぼ完璧に当時の実況中継、そして分析がなされている。重複するが、それらから拾ってみよう。ここまで書き終えたところで、恒例の停電だ。慌てず、懐中電灯を手元に引き寄せ、原稿を保存して、パソコンの電源を切る。そしてベッドに横になる。2018年7月16日午前4時・・・

目が覚めたのが午前6時、そこから再開。

このエピソードをドキュメンタリー風にまとめれば:

2015年11月08日 ミャンマーの国民総選挙が25年ぶりに施行された。

2015年11月10日 スーチー率いるNLDの大勝が判明。すかさず、敗北したテインセイン大統領、国軍の最高司令官ミンアウンライン、および引退したタンシュエ将軍との個別会議をスーチーは手紙で申し入れた。(*タンシュエについては今回のシュエマン回想録で判明)

2015年12月02日 スーチーがテインセインと午前、ミンアウンラインと午後に個別会談。
2015年12月04日 スーチーとタンシュエ元国家元首との秘密会談。
となる。

なお、タンシュエ将軍とスーチーの会見は、シュエマンひとりの活躍によって実現したように書かれているが、当時のメルマガを読み直すと、そこにはタンシュエの孫である当時24歳のネイシュエトゥエイアウン(以下NSTAと略)がスーチーとタンシュエの間の仲介役として暗躍していたのが分かる。それはNSTAが現代っ子らしく、フェースブックに載せた「自分が今、ネイピードにいて、今夜は歴史的なものになるだろう」という文言がウワサとなってミャンマー中を駆け巡った。それが11月19日のことである。詳しくはVol.172(2015.12.02)を参照願いたい。

かといって、シュエマン回顧録の価値が薄れるということではない。シュエマンはタンシュエにスーチーは理論的で、自分の言葉を守る人間で、信頼にたる人物だと納得させた。だから、シュエマンの役割は意義深いものがあった。

その一方で、スーチーとの会談日時をタンシュエとミンアウンラインとの二日後に設定したのはタンシュエである。これによってタンシュエはスーチーの言葉をたっぷりと事前調査したのだろう。念には念を押すタンシュエの慎重さと研ぎ澄まされた頭脳が読み取れる。

それにもまして、すでに政治家として熟成したスーチーの配慮が凄い、日本のイエローペーパーであれば、老人殺しのスーチーと大見出しを書くことだろう。だが、それとはレベルがまったく異なることが当時のメルマガとシュエマン回顧録で判断できる。

これらを分析するには、シュエマンの回顧録が大いに役に立った。9000チャットの定価は決して高くない。

急に眠くなってきた、ここらで筆を擱きたい。今、2018年7月16日午前6時52分。



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