******************************

<ミャンマーで今、何が?> Vol.266
2018.7.27

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

******************************

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■シュエマン著「レディと私、そして国家問題

 ・19: シュエマンの最終回

 ・20: “Thura U Tin Oo”って誰?

 ・01: タイ洞窟の少年たちが仏門入り

 ・02: 一年間有効のマルチビザに70日ルールは適用されるか?

 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


======================================

19: シュエマンの最終回

======================================


シュエマンの著書に関しては今回で終わりにしたい。

間が空いてしまったので、もう一度英語版「レディと私、そして国家問題」を読み直して見た。その中で、落としてはいけない記述がある。

それは一人の人物についてである。

シュエマンは同書のなかで、唯一敬意を払ったタンシュエについては“Senior General(上級将軍)”という肩書きで一貫している。どうして敬意を払ったのか?それは軍隊組織の中で、その頂点に君臨した上司で、この国の運命を握っていた唯一の最高権力者であったからだ。

この書籍の中で、実は敬意を払った人物がもう一人いる。だが、彼に関する特別の章もエピソードも設けていない。すなわち彼に関する記述は何一つ無いといってよいだろう。だが、重要な会議、秘密会談、この国の歴史的な転換点で、無言でスーチーの隣に座り、あるいはスーチーのすぐ背後でニラミを利かせていた人物である。シュエマンは掲載した写真のキャプションで彼の名前を記述しているだけである。

だが、その名前には常に”Thura + U”の敬称を用いて敬意を払っている。タンシュエに対する敬意とはまったく異なる。そこにはアウンサン将軍に対する敬慕の念に似た感情が籠っている。

彼はもともと軍人あがりで、将軍の位にまで上り詰め、国防大臣まで務めた男だ。



======================================

20: “Thura U Tin Oo”って誰?

======================================


シュエマンがこの書の中で、軍人としての勇猛さを示す勲章名“Thura”を常に頭に冠して敬意表して呼んだのがこの“トゥーラ・ウ・ティンウー”だ。いまどき、この人物に“トゥーラ”を頭に冠して呼ぶのは多分シュエマンぐらいだろう。普通はみな、“ウ・ティンウー”と呼ぶ。若い世代は彼がエライ軍人だったとは知らないかもしれない。だが、彼は筋金入りの軍人である。

シュエマンが語ってくれないので、当研究所の資料室からこの人物を紹介したい。

2017年5月17日午後11時、ティンウーはヤンゴンのバハン町区自宅浴室で滑って転倒し、意識を失った。即座にSSC病院に搬送され、5月19日午前2時ヤンゴン総合病院神経科で外科手術を受け、引き続きICUで厳重な監視下に置かれた。当時ティンウー91歳。心臓病と高血圧症を患い、高齢でもあるので、15名の専門医からなる特別医療チームが組まれた。
5月22日には同病院の首席担当医からティンウーの病状に関する公式発表があり、翌23日にはGNLM紙にその全文が発表された。

高齢者の発症は珍しくないが、ティンウー氏も大脳に通じる血管で血液が凝固し、麻痺性の発作を起こした。これは心臓の尋常でない鼓動のためである。入院5日目の時点で、患者の容態は入院時に比較して驚くほど快方に向かい、当時より症状は回復している。

患者はまだ言葉が明瞭に話せず、左半身は麻痺したままである。だが、意識はシッカリしている。現時点で、心臓の鼓数、脈拍、呼吸の回数はノーマルである。

当時、スーチーや大統領夫妻が見舞ったときの写真では、マヒ状態の顔つきから、彼の人生もこれまでかと思われた。だが、リハビリに勤めたのであろう。現在は昔のように背筋を伸ばし矍鑠としている。

1943年、アウンサンの率いるビルマ義勇軍に16歳で参加した。まもなく頭角を現し出世コースをまっしぐらに歩む。戦功により勲章を二度も受けた。その一つが“Thura”勲章である。1974年には国防大臣になった。ネウィン軍政の中で、最も人気のある軍人だった。だから、群集はネウィンの辞任と、その後任をティンウーにと、叫んだ。その二年後、ネウィンに疎まれ、解任され、投獄された。

出獄後、二年間僧院生活を送り、その後で法学士の学位をとった。古い軍人仲間は政治家になることを薦めてくれた。だが、当時はビパッサーナ(内観)瞑想の静かさと安らぎが気に入っていたので、何度も進められたが都度断った。国中からほとんど全部の退任仕官がティンウーの自宅に、何か手伝いたいと申し出てくれた。

あるとき、一人の仲間がシュエダゴン西広場で行ったスーチーの有名な演説テープを聞かせてくれた。この人の言葉は力強く明瞭であった。長く外国で暮らすとキチンとしたビルマ語をしゃべるのはムツカシイが、この人は慣れたビルマ語の言い回しで流暢に話していた。

稀有な人物だと思った。当時ビルマではいろんな反体制運動が噴出していた。ティンウーの老兵士仲間は、その反体制勢力を一つにまとめられる人物が不可欠だと考えていた。スーチーこそ、ご婦人だが、ビルマの民衆を統一して導ける人だと思えた。

ティンウーが一人で会いに行くということが決まった。屋敷に着くと、スーチーはひとりで応接のソファーの角に座っていた。老兵と司令官の娘との最初の会話は、自分たちの国がおかれている状況について率直に語り合った。スーチーのしゃべり方、様子、特徴、しぐさはビックリするほどその父親に似ていた。ほとんど全部が父親を思わせるもので、女性版の複製ではないかと思った。

そこで、話しかけた。「アナタの初めての演説を聴きました。われ我はひとりでは上手くいきません。人権と民主化を求める闘いには団結が必要です」と言ったら、スーチーは「分かりました。では、一緒に進みましょう。一緒に仕事をしましょう」と言った。それだけだった。軍隊流の簡潔さと、効率に満ちた出会いだった。

以上はPeter Popham著「The Lady and the Peacock」の一節である。

この後、今日までスーチーに変わらぬ忠誠を尽く、NLDの後ろ盾となってきたのは、この背筋をピンと伸ばした老兵ティンウーだけである。さすがのシュエマンもこの二十歳も年上の先輩には頭が上がらないどころか、尊敬の念を抱いている。

言葉は不適切だが、スーチーがタンシュエ率いる伏魔殿の軍部を攻略するのに、まずはティンウー、そしてシュエマンを自分のフランカーとして左右に配する、そして伏魔殿に対峙する。ティンウーとシュエマンが目を光らす中で、面と向かって口を聞けるのはタンシュエぐらいである。だが、老獪なタンシュエは自分からは口を開かない。

憲法上はスーチーの配下にないものの、三軍の最高司令官ミンアウンラインも副大統領のミエンスエも、今ではすっかりスーチーの指揮指導下に入ったような行動をとっている。
今では上級将軍であるミンアウンラインは国軍側のトップを務めている。だが、外国の使節団と会見するときも、軍隊の式典で演説しても、記者会見の席でも、法の精神、透明性、国内の平和統一協定、の三点セットを繰り返し述べている。この三点セットはスーチーが口を酸っぱくして言い聞かせてきたことである。

日本のマスゴミは、スーチーは軍部に屈したと言うが、今ミンアウンラインがスーチーのマウスピース、すなわち広報官に成り上がったと言うべきではないだろうか。

そして副大統領のミエンスエは、ご承知の通り、国軍側から大統領候補として推薦された人物である。だが、議会で多数を占めるNLD党員の議決で、大統領にはなれず、次席の上級副大統領に納まっているという事情がある。そのミエンスエも、7月19日の殉難者国民の休日の中央委員会委員長に任命され、昨年の第70周年記念、そして今年の第71周年記念を見事に務め上げた。繰り返すが、彼は国軍側の代表人物である。

そのミエンスエが、過去の独裁者であるネウィン、およびタンシュエから不当な扱いを受け続けてきたアウンサン将軍に関する式典の最大パトロンにスーチーから指名された。一方では、アウンサン将軍は自分たちミャンマー国防軍の生みの親である。だが、ネウィンおよびタンシュエにとってはスーチー憎しのネジレ現象の結果としてアウンサン将軍まで古い物置に仕舞われたままであった。それを国軍を代表するミエンスエが、すっかりきれいにお化粧直しをして、国民一般大衆に、小学生から大学生にまで、そして海外の代表団にも、それから記者団にも公開したから、国軍内部のすっきりしなかった連中にまで、ストンと納得がいった。それが、去年から今年にかけてのアウンサン人気である。

これらの風向きの変化を敏感に感じ取るのがマスコミの本来の仕事ではなかろうか? そしてスーチーが言うとおり、軍隊内部ひとつをとっても単純ではない。複雑なのである。スーチーが今、ブルドーザーの迫力で遂行していることは、並みの政治家では出来ない。今の時代、利権で動くポリティッシャンはいるが、国家を指導するステイツマンはいない。ただ一人、東南アジアの最貧国をひっぱるステイツウーマンがいるだけである。

シュエマンが言いたいエピソードはまだいくつかあるが、彼の書については、ここで一旦筆を擱きたい。



======================================

01: タイ洞窟の少年たちが仏門入り


======================================


ここでタイトルを一旦(01)に戻す。

7月26日付ミャンマータイムズ情報。実際はバンコクポスト紙からの採録である。

クリスチャンの14歳の語学の天才Adul Sam-on君を除いて、12人のWild Boarsメンバーが7月25日(水)9日間の仏門入りにはいった。コーチのEkapol君は、すでに8年間の仏僧生活を経験しているが、今回はさらに数ヶ月間僧院に留まり、魂の旅を続けたいと語った。

少年たちは、最初は元SEAL隊員の冥福を祈ると言っていたが、今回は、それに加えて、彼らを救出してくれたタイのダイバー、そし手救援に駆けつけてくれた海外のダイバーすべての方たちに感謝を表明するために僧院で過ごすと語っている。

もう一人僧院生活に入った人がいる。救出作業の途中で亡くなった元SEAL隊員の妻Waliphon Kunanさんも同僧院に籠るとのことである。



======================================

02: 一年間有効のマルチビザに70日ルールは適用されるか?

======================================


一年間有効のマルチビザを所有する日本人から質問を受けた。

ビザ本体そのものには滞在日数70日間と明記してある。

問題は、彼が入国したときにヤンゴン空港の移民官からは、航空便名、入国日、滞在期間が70日ではなく一年間限度一杯の日付が記載されている。

彼の質問は、これまでの70日ルールが適用されなくなったのでは?との疑問である。

今回はミャンマー人ではなく、日本人スタッフをパンソダン大通りの移民局に派遣した。
窓口で確認したら、制服組二人の女性係官が相談し合いながら、新ルールでは70日ルールはもう適用されないと言う。別の言葉で言えば、70日を過ぎて滞在していても一日3ドルの課徴金は納付しなくてよいと言う。それではそのルール変更を明記した書付は在るかと質問すると無いと言う。

心配だったので、別建物の2階にある移民局事務所、しかも事務員の奥に鎮座する年配で小太りの制服を着た責任者らしき上司に念押しをした。

70日を過ぎて滞在してもオーバーステイのペナルティは間違いなく課金されないと言う。だが、書面によるルール変更のアナウンスはないと言う。

それでもダメ押しを粘ると、日本人パスポートの新ビザを確認して”ノープロブレム”と一言いって、アナタもウルサイ人ネと奥へ引っ込んでしまった。

この説明では所長は納得しない。何も証明するものがないからだ。

最近スーレー・空港間のシャトルバスが運行していると聞き、所長がじかに空港の移民局に問い合わすことにした。閑中閑ありの所長なので、今回はジックリと新空港見物もかねて、行って来た。

至る所にセキュリティが歩哨していて、航空券・搭乗券のない外国人は中の移民局へは入れてくれない。こわっぱ警備員を引き連れて、空港はずれにある警備事務所で英語の達者な責任者に事情を説明したら納得してくれた。込み入った問題はトップに話をするのが鉄則だ。

責任者はオドオドした警備員にビルマ語で指示した。そしてこの警備員に付いて行けという。これからが、ミャンマーお役所のたらい回し巡業と楽しみにしていたが、意外とあっさりと、空港内部にある移民局事務室にまで連れて行ってくれた。胸にはしっかりと警備事務所からのビジター入館証が留めてある。教えてくれたデピュティ・ダイレクターに面談するつもりだったが、カーテンを開けると事務室内一杯に白い制服を着た係官たちが集まり、その高官のレクチャーを受けている。セミナーの途中だった。

まずい時に来たと思ったが、首を突き出したままにしていると、制服を着た頭の薄いオヤジが出てきて事務所外に連れ出された。英語は出来るかと、先ずは失礼な質問をぶつける。一から順を追って丹念に説明する。余分な質問も無しに、一言“分かった”と言って奥へ引っ込んだ。

責任者と言う年配の白い制服を着た女性が出てきた。ニッコリ笑って愛想も良く、しかも懇切丁寧に説明してくれる。親切そうだ。だが、それに騙されてはダメだ。

これまでの担当官はすべて口頭でOKだと言う。だが、70日ルールが変更された書面での確認がほしいと粘ると、数秒考えた上で、書面はない。だが、移民局のWebサイトでは明記されていると自信たっぷりに答えた。

移民局は特にそうだが、女性のお偉いさんが結構多い。いつもだと、こういうキーパーソンとはもう少しおしゃべりを楽しみお友達レベルにまで踏み込むのだが、彼女もレクチャーの授業中を抜け出して親切に対応してくれた。あまり迷惑をかけてはいけない。そこで複雑な通路路を逆に戻りシャトルバス乗り場にたどり着いた。今回はDVDで学習したジェームス・ボンドのテクニックを残念だが何一つ実践できなかった。

帰宅して、教えられたhttpsを開くと、マルチ・ビジネスビザ一年間有効欄の最下段に「70日間滞在後、出国の必要はなし」と明記してある。疑り深い所長としては、このサイトをアップロードした、あるいは更新した日付が明記されていないのが不満だ。だが、ここはミャンマー。それでOKとしようではありませんか、日本国籍の皆さん?

所長としては購入してあった7月25日の日本行き全日空便を使用せず、チャーミングな移民局係官を信用することにしました。

おんぼろ所長は人生最後の貴重な半日をこのように過ごしたが、いまどきの優秀な読者諸氏は、そんなの最初からネットを調べりゃ分かるジャンなどと、軽く片付けられるのでしょうね。お粗末でした。



======================================

公式ツイッター(@magmyanmar1)

======================================


<ミャンマーで今、何が?>の公式ツイッター(@magmyanmar1)をはじめました!


今月よりアカウントを取得し、<ミャンマーで今、何が?>の
公式ツイッター運用を開始いたしました。

公式ツイッターでは読者のみなさまからの感想などをツイートしていただけると
嬉しいです。

ツイッターをご利用の方はぜひ『フォロー』をお願いいたします。

現在のところリプライには対応しておりませんので、
質問等は下記メールアドレスまでご連絡ください。

お問合せ:magmyanmar@fis-net.co.jp 

公式ツイッターをぜひご覧ください。


■公式ツイッターはこちら

https://twitter.com/magmyanmar1




東西南北研究所




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ご意見、ご感想、ご要望をお待ちしております!
 magmyanmar@fis-net.co.jp 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


=================================
- ご注意 -
このメールマガジンは情報提供を目的としたものであります。
なお、内容につきましては正確であるよう最善を尽くしておりますが、その内容
の正確性を保証するものではなく、内容についての一切の責任を負うものではあ
りません。
=================================


▽このメールマガジンは等幅フォントでご覧ください
 表示がズレる場合はお使いのメールソフトのフォントの設定をご確認下さい
 ※MS Outlook Expressの場合
 「表示→文字のサイズ」を選択、「等幅」にチェック


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※「ミャンマーは今?」の全文または一部の文章をホームページ、メーリングリ
スト、ニュースグループまたは他のメディア、社内メーリングリスト、社内掲示
板等への無断転載を禁止します。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※登録解除については下記のページからおこなえます。
 ○購読をキャンセル: http://www.fis-net.co.jp/myanmar/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 発行元:ミャンマーメールマガジン事務局( magmyanmar@fis-net.co.jp )
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━