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<ミャンマーで今、何が?> Vol.267
2018.8.21

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■スーチーのモノの見方

 ・01: スミマセン、メルマガ発行がまたまた遅れました!

 ・02: “AUNG SAN OF BURMA” by Aung San Suu Kyi

 ・03: 根本敬著「物語 ビルマの歴史」

 ・04: 人生イロイロ

 ・05: さらばコフィ・アナン!!

 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)


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01: スミマセン、メルマガ発行がまたまた遅れました!

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メルマガ原稿を作成しているデスクトップの大型画面が突然、ブラックアウトしてしまった。ケーブルの両端差込口など素人点検はしてみた。グリーン・オレンジ・レッド色の点灯ランプで各ユニットへの通電は確認でき、左右スピーカーの音源も繋がっている。だが、画面だけが真っ暗で、文章保存も、ウィンドウ画面の終了もクリック指示できない。強制終了し、再度PCを立ち上げる。だが、スクリーン画面が真っ暗で何も見えない。さあ、困った・・

自宅からメール原稿を発信どころか、原稿そのものが作成出来ない。当事務所で問題発生すると、若手レスキュー隊に連絡した上で、DVD鑑賞でもしながら一杯飲り、次善策を考える。だが、今回はこの手が使えない。

DVD以外にも、書籍資料と大量のスクラップブックがある。月刊「文芸春秋」も10年以上にわたり断続的にとってある。昔の事件を再読すると、今だからこそ俯瞰的に見えてくるものもある。最近号のみだと目先のことで手一杯、問題の核心を見逃しがちだ。あ〜ソウだったのかと、今になって納得することが多々ある。まさにスーチーが口を酸っぱくして言っている多角的なモノの見方である。

レスキュー隊も忙しいのか、すっぽかされた。メルマガが気になる。何日かして、念のためにPCを立ち上げる。何事もなかったように初期画面が立ち上がる。どうして?と理由は問うまい。ミャンマーのMは、マジックのMでもあり、ミラクルのMでもある。しばらく経つと、またもや同じ症状。どうして? あっという間に一ヶ月が過ぎた・・



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02: “AUNG SAN OF BURMA” by Aung San Suu Kyi

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初版が1984年で、第2版が1991年となっている。共に出版元は英国だが、異なる出版社のようだ。この書籍を手に入れたのは数週間前のことだ。書店のオヤジもお手上げだった。絶版の可能性大と脅かされた。それではと古書店巡りが始まった。このところの豪雨は中途半端ではない。半ズボンに雨傘で、あちこちの新書・古書店街を何日間も徘徊した。
ある古書店が紹介してくれた下街37番街の小さな書店を訪ねた。期待はしていなかったが、“確か一冊残っていたはずだ”と、言われたとき、それはSerendipityだった。薄い66ページの英語の新書を、5,000チャットで手に入れた。高いか安いかはアナタ次第。ミャンマーでの買い物のコツはある時にゲットすることだ。躊躇すると、チャンスは二度と巡ってこない。

真冬のダウニング街10番地前でアトリー首相と立ち話している例のオーバーコート姿のアウンサン将軍が表紙だ。真冬の英国を訪問する途次、立ち寄ったインドで、涼しげな夏服しか着用していないアウンサンに呆れ、ネルー首相が特別にプレゼントした例のオーバーコートである。

この幻の名著は、娘であるスーチーが記述した父親の伝記である。伝記というほど綿密な内容ではない、薄っぺらなエッセイと言うべきか。スーチーは2歳一ヶ月のときに、父親を失った。だから、実際には父親の記憶はないはずだ。だが、将軍の学生時代の仲間、三十人の志士など、将軍の同志や部下などが母親のサロンを頻繁に訪ねてきた。それらの話を聞くたびに、父親の偉大さを自覚するようになった。そしてロンドンや京都大学で父親の足跡を追跡する行脚を開始した。それをまとめたのが、このエッセイである。最も注目すべきは、スーチーが世界の注目を集める1988年、それ以前の1984年に出版されていることだ。

父娘の関係ではあるが、身内びいきの記述はない。アウンサン自身の自叙伝同様に、簡潔に要点を絞って記述している。あっけないほどだ。資料はミャンマー、英国、日本、三カ国で収集したものだ。当然言語も三ヶ国語だ。

話し方、態度だけでなく、文章によっても、その人のキャパシティは量られる。その意味で書き手であるスーチーの能力に感心させられる。この初版は逆算すると、スーチーがまだ37歳のときの出版である。

スーチーが公の場所に姿を現したのは、1988年8月24日のことである。母親ド・キンチーが入院していたヤンゴン総合病院前で短い演説を行った。その2日後の8月26日、シュエダゴンパゴダ西側広場でのスピーチが、100万人の民衆を惹きつけた。シュエダゴン東西南北の入り口には対のチンテ(巨大なライオン像。日本では狛犬に成り下がったが、シンガポールの国名そのもの、スリランカのシンハリ族をはじめ、この地ではライオンが最強の象徴である)が無言でニラミを利かせている。だが、少女とも見られかねない細身の女性が、軍事政権の圧政に対して、チンテの代わりに獅子吼した。マスコミが騒いだ。最初は国内のマスコミが、そして世界のマスコミがアウンサンスーチーという女性を見直した。1988年のことであった。それから3年後の1991年に、スーチーに対してノーベル英和賞の授与が決定した。

2018年の今、スーチーの見据えるミャンマーは、すでに1984年以前に学習済みで、醸成されていたことになる。日本の図書館ならば、このエッセイは多分閲覧できるはずだ。行間にはスーチーの今後の次の一手を予感させる何かが無言で眠っている。それに気づくには、何度も何度も繰り返し読む必要があると思った。



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03: 根本敬著「物語 ビルマの歴史」

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48番街に住む友人の本棚に未読だったこの名著を見つけた。そこにスーチーが著した上記の本の表表紙が写真となって掲載されている。それをスマホに撮り、ヤンゴンの新古書店を歩き回った。

少し長くなるが、根本敬著を引用したい。

「彼女(*スーチー)は博士論文執筆の前から、機会あるごとにオクスフォードやロンドンで父(*アウンサン)に関する書籍や公文書館所蔵の資料を精読していた。また、ビルマに里帰りするたびに、ビルマ語で書かれた父の業績に関する本や資料の入手に努力した。父アウンサンのことを調べるうちに、彼女はアウンサンと日本との関係についてより深く知りたいと思うようになった。しかし、本格的に父親と日本の関係を調べようとすれば、どうしても日本語の能力が必要となってくる。

彼女はそのためオクスフォード大学で日本語の勉強を開始する。

そして三島由紀夫の小説を原書で読めるまでの力をつけると、1985年10月、40歳のとき、日本国際協力基金の招きで念願の日本行きを果たす。約10ヶ月間、京都大学東南アジア研究センター(現東南アジア研究所)に客員研究員として迎えられ、そこを拠点に、東京の外務省外交資料館や当時の防衛庁戦史部図書館、国会図書館などに通って日本側資料の収集・調査に励んだ。また、各地をまわってアウンサンと交流のあった元日本軍関係者に対する聞き取り調査も行った。日本での滞在は、夫を英国に残したまま二人の息子を連れての生活だった」

最近のマスゴミは著名人とのインタビューを安易に考えすぎてはいないだろうか。インタビューするならば、徹底的に本人の事前調査を行う。そして本人の記憶などから探りを入れ、問題の核心に迫っていく。言ってみれば、大宅壮一の人物鑑定法で、世相判断法である。ところが、聞き手が著名人スーチーとの対談を果たしたことで舞い上がり、セルフィーの自撮りのような結果レポートで満足している。

スーチーは、日本語は忘れてしまったと言うが、その実力は三島由紀夫なのである。日本の報道陣が、そして政治家が大きく誤解している点はソコにあり、スーチーを素人の主婦と見下しているが、彼女のモノの見方はかなりジャーナリスティックである。スーチーを老獪だとこのメルマガで繰り返すのは、そこのトコロである。

時間と場所をワープしたい。

我が祖国を振り返えると、日本独自の歴史、文化、現状を、あるいは日本人のモノの見方を、西洋人に直接伝達できた人物は非常に少ない。残念ながら、それは今も続いている。国内で大口を叩く政治家は大勢いる。だが、21世紀の今、変化の激しい海外の風向きを読み取って世界の指導者との話し合いとなると、からっきしダメに見える。

指折ると、新島襄、内村鑑三、岡倉天心、新渡戸稲造、南方熊楠など、アノ時代の数名しか思い浮かばない。英語が達者だと言われたアノ漱石先生ですら、ロンドンで神経衰弱になってしまった。アノ時代を過ぎると、“日本”を英語で語れる人物は極論すると皆無となった。

だが、スーチーには非凡なその能力が備わっている。その能力に気がつかず、迂闊にも経済援助してあげると、高飛車の態度に出る海外の外交官・首脳・政治家がウヨウヨいる。老獪なスーチーはそれを真の友人と、ソウでない人種に区別している。その辺りのニュアンスはGNLM紙の行間に書いてある。

スーチーの登場は、実に稀有な例だ。ラテン語の「幸福なアラビア」を引用してMyanmar Felixとでも呼びたい。その100年に一度しかないチャンスを潰す動きがSNSを通じてIS国、欧米、英国の一部から、そして日本からも発信されているのは判官びいきとしては実に寂しい。

そう思わせるのが、スーチーの「アウンサン伝記」である。



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04: 人生イロイロ

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今、ミャンマーは、モンスーン雨季の真っ最中である。旅行案内では、この時季は避けるべきと余計な勧告をしてくれる。分厚い書籍を数冊カバンに詰め込み、ワザワザこの時季に閑散としたミャンマー西海岸を訪ねる変わり者もいる。そういう旅行者はおおむね欧米人に多いようだ。彼らこそ、時間と場所と味覚を、思索と共に楽しむ人生の達人のような気がする。

そして閑散とした海辺のゲストハウスを訪ね、1週間でも2週間でも過ごす。そして読書三昧の休暇を楽しむ。海は荒海だが、Beachcomberの楽しみがある。魚介類の水揚げは少ないが、珍種が時折手に入る。それを宿のオヤジに相談して、酒蒸しにしたり、ブイヤベースで楽しむ。シーズンではないので、オヤジも話に付き合ってくれる。パック旅行とは異なる、アナタだけの思い出がつくれる。ガイドブックが奨励するお仕着せのコースの裏を読むのが本物のバックパッカーの歩き方である。

団体旅行で名勝地を駆け巡り、同じ土産物屋で同じTシャツを買い、スマホで自撮りして、食事もセットメニューで済ます。旅行までが画一的でコンビニ化してしまった。
個人旅行の醍醐味は芭蕉にあり、「蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと」。陰鬱な故国イギリスを捨て、南欧の陽光に遊んだロード・バイロンを追いかけるのもよし

雨季のヤンゴンに住むと、人生の醍醐味が味わえる。ただし、時間にリッチでないと無理だろう。トタン屋根のはじける音を聞きながら、自宅に閉じこもる。電気が通じていれば、読書も良し、DVD鑑賞も良し。停電なら、ローソクを灯し読書三昧だ。酒類とツマミも用意したい。思いがけずの知己も大歓迎だ。イヤな上司や冗談を解せぬ連中とは一線を画したい。ムリな付き合いは健康に良くない。笑顔の魅力的な女性も大歓迎だ。人生は生きているうちに楽しみたい。

先日は新潟の友人から、寺泊魚市場の“さんま味醂干”と自家製のキムチを届けてもらった。茨城の友人からは水戸の“百年梅酒”を頂戴した。大分の焼酎同様にガルシア・マルケスの「百年の孤独」を想い出すネーミングだ。佐賀県の友人は、以前から探し求めていた「林子平の伝記」を持参してくれると言う。彼らからは、会食、飲酒と共に、豊富な話題を提供してもらえる。今の時季だからこそ、是非ともミャンマーを訪ねてほしい。避暑も兼ねて!



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05: さらばコフィ・アナン!!

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8月18日(土)早朝、妻と三人の子供に看取られスイス・ベルンの病院で亡くなった。享年80歳。アフリカのガーナ出身のコフィ・アナンは国連事務職員として外交官生活をスタートし、最高位の事務総長職にまで上り詰めた。歴代の国連事務総長としては、ビルマのウ・タントとともに、国際紛争の偉大な調停者であった。スイス・ジュネーブ郊外の小さな村で引退後の生活をおくっていたという。

ミャンマー関係で語れば、ノーベル平和賞仲間であるスーチーからのたっての願いで、泥沼化していたラカイン問題という火中の栗を拾ってくれた大恩人でもある。

2016年9月から調査委員メンバーを引き連れて、ラカイン州の現場で聞き取り調査を開始した。現地調査は何度か繰り返された。そして一年後の2017年9月には、正式な調査報告勧告書をミャンマー政府に提出した。その問題解決策の勧告項目は合計88点に上った。スーチー政権はその勧告書を尊重し、即座に専門中央委員会、サブ委員会、現地委員会を設置して、それぞれの項目の実行に着手している。その成果は都度、お馴染みの記者会見で公表されている。

テロ組織であるARSAは、コフィ・アナン報告・勧告書を怖れたのだろう。昨年アナン委員長のミャンマー入りを狙って、ヒンドゥ民族大虐殺を実行した。


今回のメルマガはまずプロバイダーへの送信が上手くいくかどうかの実験である。
上手くいったら、続きの原稿を考えたい。



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