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<ミャンマーで今、何が?> Vol.31
2013.2.13

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar


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■空軍最高司令長官が通信省の新大臣に

・01:AAA:(政治)
・02:BBB:(経済)
・03:CCC:(生活一般)

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<AAA:(政治)>

○A1:空軍最高司令長官ミャットヘイン将軍が通信省の新大臣に

テインセイン大統領は、1月に突然辞任した前通信大臣の後任として現役の空軍最高司令長官ミャットヘイン将軍を任命した。通信省の正式名称は“通信情報技術省”である。同省は現在、ミャンマー全土での携帯電話ライセンスに関する内外の入札希望を募っていることと、前大臣を含めての汚職疑惑の調査が大々的に行われていることで注目を集めている。この汚職疑惑に関してはすでに8名の逮捕者が出ているが、詳細はまだ発表されていない。もうひとつの話題は国軍を引退するか民間人を大臣および副大臣に起用する方向で進めていたが、今回は現役の将軍が問題の通信大臣に任命されたことである。しかし、新大臣は軍属とはいえ海外での留学経験もあり改革派と見る識者もいる。


○A2:昨2月12日はユニオン・デー(国民団結の日)で国民の休日

シャン州のパンロン町でアウンサン将軍が各民族の代表と平和協定を締結したのが1947年2月12日である。これは通常パンロン協定と呼ばれるが、この歴史的な記念日をユニオン・デーとして国民の休日に指定され、各地で記念行事が行われる。

首都ネイピードでもテインセイン大統領夫妻の主催で盛大な夕食会が開催された。今朝13日の“The New Light of Myanmar”(国営の日刊英字紙)の第1面で象徴的な写真が大きく掲載された。もちろんカラー写真である。正式の民族衣装に独特の帽子を被った政府のお歴々が立ち並ぶ前をテインセイン大統領が最前列の代表者たちと言葉を交わし握手をしている。握手をしている相手はスーチー議員で彼女が笑顔で大統領と話をしている瞬間である。大統領はじっとスーチー議員の眼を見つめている。スーチー議員がたぶん何かしゃれたことを言ったのであろう。横一列に並ぶお歴々がその横で白い歯を出して笑っている。大統領の一歩後ろに控えるファーストレディのDaw Khin Khin Winまでがやさしそうな笑顔で映っている。

写真のキャプションにも本文中にもスーチー議員の名前は出てこない。国会の上院・下院の議長名、司法長官、国軍の最高司令官等の名前が連綿と続くがスーチー議員の名前は出てこない。だが、この写真一枚でミャンマーが明らかに変貌していることを雄弁に語っている。実に良い写真だ。

ミャンマーではインターネットの使用者よりも噂のネットワークが伝統的に発達してきた。ヤンゴンでもユニオン・デーは至るところで祝われている。その式典の場でセミナーを主催するレベルの人が元国軍のトップNo.1とNo.2が1ヶ月ほど前に一族郎党を引き連れ全財産を国外に持ち出したとの噂をつぶやいたとの極秘風説を耳にした。現在は裏づけが無いので話はここまででストップとするが、ミャンマーウォッチでの楽しみはこれが現在の大統領の汚職絶滅キャンペーンにつながっているのかと裏読みするところなどにある。



<BBB:(経済)>

○B1:中央銀行が大改革に着手

88年のデモのわずか2年後の1990年に軍事政権が制定した中央銀行法をスクラップにして、独立した機関としてミャンマーの中央銀行を大改革する法案が現在議会で審議中である。

この新法案の起草には日本・タイ・IMF・世界銀行・アジア開発銀行などが関わったと伝えられ、大統領は来月これに署名する予定となっている。

これまで中央銀行には国軍の高級将校のみが指名され、軍による管理方式の訓練しか受けていない。今必要とされるのは金融政策、民間銀行の管理、経済発展の専門家である。このようなスペシャリストを探し出すのが緊急の課題とされる。そして独立した機関として紙幣の発行を管理していかねばならない。

内部にいる首脳までが、中央銀行内の多くは銀行家ではないと明言する。銀行家でなければここで働くべきではない。これから訓練しても彼らにはムリなことだ。専門家に取って代るべきであるとまでレポーターに応えている。

色んな困難と痛みを伴うがここでも変革が起きはじめている。



<CCC:(生活一般)>

○C1:ミャンマータイムス内紛続報

2月11日発行のミャンマータイムス紙左右見開き第2-3ページにロス・ダンクレー社長の赤裸々な心情が独占インタビューという形で発表された。

前回お伝えした両者のいがみ合いは別にして、今回はミャンマータイムスの生い立ちから紆余曲折の部分を主にお伝えしたい。

ミャンマータイムス紙の親会社は持株会社MCMで、創立された2000年には外国人は過半数の株式を所有できずU Myat Swe(通称Sonny)が共同創立者として51%を所有し、オーストラリア人であるダンクレー氏は同胞の鉱山会社経営者の資金援助を得て49%の株式を所有した。そしてCEOとしてミャンマータイムス紙の経営を任された。

同社は情報省の全面的支援を受けて設立されたと噂されていた。事務所も情報省ビル内に設置し、他では入手できない情報も特権的に得ることができたからである。その最大の根拠は共同経営者のSonnyがキンニュン第1書記の懐刀といわれた当時の情報省トップの息子がであったからだ。

ところが、その後首相にまで上り詰めたキンニュンが2004年に失脚し、2005年に逮捕されるとキンニュンにつながる情報省の一派は一網打尽に逮捕され情報省は解体された。当然Sonny親子も逮捕された。それと同時にダンクレー社長の共同経営者はSonnyの妻名義に書き換えられた。

ここからダンクレー社長の赤裸々な告白となるが、2005年末同じ建物内にある情報省での会議に召喚され、その一室にはミャンマータイムス社を監督する情報省検閲局公社の社長を務める大佐のみがいた。その大佐は、前にもお伝えしたが泣く子も黙るといわれた上司であるチョウサン元情報大臣の名前を出し、Sonnyの妻はもはやミャンマータイムス紙の共同経営者ではなく、相応しいパートナーを見つけたと大臣が言っていると告げた。彼らは有名なドクターで、良く知られた雑誌発行人でもある。その名前はDr Tin Tun Ooと言い、隣の部屋で待機している。是非会ってみるべきだと大佐は言った。それに対して同社長は、私は一度も会ったことも無い相手と結婚する趣味は持ち合わせていない。このような最後通牒は真っ平だ。もしその男をこの部屋へ連れてくるのなら、私は直ちにこの部屋を出て行く。その男と話をする気などまったくない。私のパートナーになりたがっているのは他にもいるし、私の株主も法的権利を主張すべきだと言っている。私はその男と会いたくないと応えた。その後、同大佐は隣にある情報省の事務室でDr Tin Tun Ooを再度紹介しようとしたが、強制されるのであればその義務は無いので私は出て行くと再度回答した。

その後、情報大臣であるチョーサン准将と初めて会ったとき、同大臣はDr Tin Tun Ooは英語の能力に優れ発行人でもある。だからあなたのパートナーに相応しく彼以外に選択肢はないと語り、彼を受け入れればすべては上手く行き、細かいことも話そうじゃないかと語ったとしている。これは旧軍事政権時代の話であり恫喝以外の何物でもないという暴露話ともなっている。ダンクレー社長がここまで述べているということはテインセイン大統領の透明性・説明責任・腐敗汚職のキャンペーンが追い風になっているものと思われる。
ダンクレー社長はその後テイザーを始め何人かの共同経営者の候補を当たり、本来のパートナーであるSonnyが出所したら買取った時と同じ金額で売渡すとの条件付きで同意したパートナーを見つけた。しかも、Dr Tin Tun Ooが51%の株式買取に支払った2倍の金額である。その金額を大臣に告げるとそれは妥当ではないDr Tin Tun Ooの金額が公正であると大臣は一方的に押し付けたとダンクレー社長は述べている。

最終的に大臣室で情報大臣に対して、いまだもって嫌々だが、私が毎日の実務をこなし会社を運営すること、Dr Tin Tun Ooとその妻は私の許可なしでは事務所の建物に近づかないこと、その代わり両者には役員レベルの肩書きは用意し報酬も支払う。これが呑めないならば事業そのものを放棄すると応えた。大臣は即座にこれを同意し、Dr Tin Tun Ooを部屋に呼び込んだ。そして同氏は3ヶ月ごとに分配金を受取れるのであればその条件で構わないと返事している。

最後に駄目押しとして、ダンクレー社長は1年チョット前にDr Tin Tun Ooと事務
所で会ったことを述べ、ミャンマーは今変化しつつある。Sonnyも間もなく出所
するだろう。その前に持株を買取った時とまったく同じ値段でSonnyのファミリー
に売り戻すとの声明を出すようにアドバイスした。そしてこれを法廷闘争や路上
の喧嘩と同じような見苦しい争いに持ち込んでも到底あなたには勝ち目がないと
話すと、お偉いさんと話してみると言ったままその後何一つ音沙汰無しである。

その後、驚くべきことに彼は持株をUS$2百万で売却すると発表したが、これは買値の2倍で、同氏はこの8年間に現金で約US$1百万の報酬を受けている。

そして、肝心のDr Tin Tun Ooがミャンマーに不在の間に、これも仕組まれた感がするが、その妻が問題のスキャンダルを起こしている。

一方、ダンクレー社長はミャンマータイムスを創刊する時点から非常に野心家で、欧米のマスコミからも軍事政権に寄り添った事業形態だとして批判されるとおり、それを利用して外国人としては数少ないミャンマーでの事業成功者となり、セレブともなっている。当然のことながら、同氏を応援する知恵袋は政権の内部を含めて潜んでいるものと思われる。

そして今回自分の主宰するミャンマータイムス紙を通じて元の情報大臣およびDr Tin Tun Oo氏に堂々と反撃を開始したということはかなりの勝算があるものと推測される。

そして、ここに政府の直接的な介入はないとしても、何らかの援護射撃は無いとは言えまい。例えば、ダンクレー社長が何度か口にしているSonny親子の大統領特赦による釈放なども考えられないことはない。すでにその親分であるキンニュン元首相は2012年の1月に自宅軟禁を解かれている。

この問題は単に一社内のスキャンダルではなく、現政権のテインセイン大統領が今年の重点目標とする透明性・説明責任・腐敗汚職キャンペーンとの兼ね合いで面白い展開になるかもしれない。


○C2:The New Light of Myanmar紙がパートナーを探す

旧軍事政権のマウスピースと言われたThe New Light of Myanmar紙が政府のメディアに対する締付けを緩和するにしたがい民間のパートナーを物色中であるとバンコクポスト紙が伝えている。

詳細は不明であるが、長いこと反体制派や海外勢力に対して敵対路線を維持してきた編集態度が後退しており、これによってこの可能性が出てきた模様である。“我々は同紙英語版を運営していくパートナーを招き入れることで情報省と合意した。人的資源に限度があり、日刊新聞を効率的に運営していくことは難しい。一般大衆に尽すメディアとしてクオリティペーパーに変えていきたい”と同紙の主要メンバーは匿名を条件にAFPに語った。

同紙は陳腐な標語でBBCなどの海外メディアを厳しく非難してきたが、最近はハリウッドのゴシップ記事を採用するなどして昔の攻撃的な態度をかなり緩めている。

週刊のミャンマータイムスもダンクレー社長は同紙と提携することに興味を示している。

昨年8月には、政府は発行前の検閲制度を廃止し、今年4月1日から民間ジャーナルが日刊新聞を発行することを許可すると発表している。

一連の劇的改善のお陰で、ミャンマーは2013年‘世界報道自由指標’ではこれまでの179カ国の内で第151位へと順位を上げているとパリに本部のあるメディア監視を行っている‘国境なきレポーター’は語っている。





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