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<ミャンマーで今、何が?> Vol.313
2019.6.24

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━

■タンシュエを分析

 ・01:基本が大事

 ・02:私の目は節穴

 ・03:もう一度分析を試みてみたい

 ・04:タンシュエの深謀遠慮、スーチーの老獪さ

 ・05:市民が祝福するスーチーの誕生日

 ・06:群盲、巨象を撫でる

 ・07:日刊新聞で読み取るスーチーの誕生行事

 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)

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・01:基本が大事

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先日の関連である。

慣れないネットカフェを何年振りかで利用した。
そこからプロバイダーに原稿を発信し、“Sent=送信できた”の文字を確認して帰宅した。
東京からは受信していないとの連絡を受けた。

発信した積もりの原稿内容に不満だったので、逆にラッキーだった。
書き直した原稿をアップロードしてもらった。それが前回のVol.312である。
迷惑をお掛けしたプロバイダー殿にはお礼を述べたい。

今回の反省は、時間とカネはかかっても自宅のPCとWiFi接続の修理が先決という基本である。

英語もそうだが、何事も“基本が大事”を再確認し、改めて肝に銘じた。



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・02:私の目は節穴

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そのVol.312で説明した、18日(火)のMT紙に掲載された写真。
全体を見ながら解説したつもりが、私の目は節穴だった。

椅子に腰掛けた、年老いたタンシュエと夫人の前に跪き、背筋を伸ばして説明している白いシャツの人物を「補佐官か将軍のひとり」と描写した。

将軍のひとりには間違いなかったが、これはなんと“元大統領のテインセイン”であった。

この写真を一目見るなり友人は指摘した。
本当かと再確認を促した。
友人は暗い室内で、スマホのフラッシュライトを煌々と灯し、断言した。

「元大統領のテインセインだ!」
そして間違いない、とダメ押しくれた。



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・03:もう一度分析を試みてみたい

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そう言われてみると、薄い頭髪、微かに見える横向きの縁なしメガネ、相変わらずの痩躯、これらから、間違いなくテインセイン元大統領だ。私も納得した。

改めて写真に見入る。
その報告を受けるタンシュエの目線も、老いた顔付きとはいえ、テインセインにピタリ向いている。確かにタンシュエもテインセインもお互いの目に照準を合わせている。

こうなると話は別だ。
もう少し慎重に分析せねばならない。
分析の見直しだ。

タンシュエは86歳と記事に書いてある。
側近あるいは若い家族に支えられて立ち、支えられて歩行するとはいえ、黒い目はまだ白濁していないようだ。すなわち、姿格好は老いたが、頭はシッカリしているということである。

さて、どこから分析にかかろう。



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・04:タンシュエの深謀遠慮、スーチーの老獪さ

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軍関係者は、といってもピンからキリまである。
ピンとはポルトガル語で数字の1を指し、キリはクルスの訛りで十字架のこと、転じて日本語で十を10と読む、と広辞苑に出ている。
西洋言語を飲み込む日本文化の歴史を感じ、鉄火場で丁半張る“ヤーさん”の教養も匂って来る。さすがに日本文化だ。コンビニ文化と対極にある本物の日本文化だ。

無知が露見しないようにと、不確かな言葉・事物・人名はすべて各辞書、百科事典のお世話になってきた。このメルマガは、私の修行の場である。英語だけでない、辞書引きの回数は、誰にも負けないと思っている。その習慣を若者たちに躾けることにしている。

話を本題に戻そう。

軍人といっても、将軍から兵卒までピンキリである。
公表された、年老いたタンシュエの写真を見て、軍人それぞれのレベルでどう判断するか、それを見極める必要がある。不用心な軍人は、私同様、どこかで尻尾を見せるかもしれない。それを見極めたい。

この国に軍国主義体制を敷いたのはネウィンである。
ネウィンは2002年に、生年に諸説あるが91歳で没した。この数字も仮置きだ。90歳まで矍鑠たる健康を誇示した。実際はその頃から老化が刻々と始まった。ネウィンを取り巻く多数の側近、担当医などから、詳細な情報を得て、老化の兆候を待った。それがタンシュエである。

当時SPDC議長のタンシュエは、怪物の目が白濁した瞬間、勝負に出た。

2002年3月4日、ネウィンの義理の息子、すなわちネウィンの愛嬢Sandar Winの夫Aye Zaw Winの謀反が露見し、逮捕された。(*以降、それぞれSWとAZWと省略)

私がミャンマーに着任して、一二年の頃である。
その関連記事が写真とともに政府系新聞に発表されるたびに、その英字新聞を辞書を片手に何週間も読み耽った。記憶は不確かだが、カバーエイ通りを8マイルに向かう右手のナワラット・ホテルが謀反の舞台だった。

短銃・ライフル・マシンガン、大量の武器弾薬、それにウォーキートーキーなどの通信機器が証拠物件として、写真に映っていた。当時は政府が管理する日刊英字新聞NLM紙に大量の証拠写真が載っていた。この他に、ロケット弾、戦車もあったかもしれない?

それらの写真は続々と報道された。
これほど準備すれば国家転覆は可能かもしれないと思った。
ノンポリの鈍い頭には、国家最高権力者の権力闘争とは、想像だにできなかった。

話を戻すと、白濁老化したネウィンと、娘のSWには即座に自宅監禁の命が出た。

そして同年9月に秘密裁判で判決が下された。
AZWとその3人の息子(*つまりネウィンの孫)ANW、KNW、ZNWは国家反逆罪で死刑が確定し、発表された。*初出のビルマ語名は長く、勝手に省略した。失礼の段お詫びしたい。

SWは2008年に自宅監禁が解かれた、と小さく新聞に出た。
ZNWとAZWは2011年に釈放。ANWとKNWは2013年に釈放された。
死刑が確定したのに、不思議な国だと思った。

怪物だったネウィンは2002年12月5日、自宅監禁中に死亡した。
政府の新聞発表はなく、新聞の死亡欄で国民は知らされた。
ビルマの一時代を独裁した怪物ネウィンであったが、国葬とはならなかった。

ネウィン時代の忠実な部下はがっかりした。
多分タンシュエの考えが大きく影響したのだろう。
近親者30名だけの寂しい葬儀となった。

監禁中の娘SWは、一時的に葬儀および火葬への出席が許可された。
SWは監禁が解かれたずっと後のことになるが、父の遺灰をHlaing川に撒布した。

当時の最高権力者タンシュエは、SPDC第一書記で情報局長官であったキンニュンに一連の総指揮を執らせた。ネウィン一家はこうやって壊滅させられた。

その後、三人の男系孫のひとりが、マスコミの話題となる小事件を起こしたことがある。
アウンサン将軍以下が暗殺された旧総督府で、若者だけによる誕生会が開かれた。孫がトゥイッターしたその写真が曝露され、一般人が簡単には足を踏み入れられない国家遺産の建物である。それを私物化したとの批難が相次いだ。

もうひとつ騒動を起こした。

アセアン首脳を招いたネイピードでの晩餐会である。ホストを務めるスーチーのメニューが発表された。その最後に書かれたのは“リプトンの紅茶”であった。
それに飛びついたのが、ネウィンの同じ孫である。

「リプトン紅茶はロンドンのコンビにでも手に入る安物だ。それを国家主催の晩餐会に提供するとはアセアンのリーダーに失礼ではないか。高級百貨店ハロッズにいけば、国家の晩餐会に相応しい紅茶はいくらでもある。スーチーは知らないのか?」・・記憶は確かでないがそんな内容だった。

キジも鳴かずば撃たれまい!! これはマスコミに叩かれた。
「成金趣味の発言は止めろ。お前の持ガネはテメエのジイさんが略奪した国家財産だぞ。カネ返せ!! ロンドンや紅茶に関しては、スーチー母さんのほうが遥かに詳しい。国家相談役は緊縮財政を実施しているんだ。テメエのジイさんとは違んだぞ!!」

弊研究所からもヒト言付け加えれば、創立者トーマス・リプトンは、当時高価だった紅茶が安くならないか思案しつつ世界旅行に出掛けた。そしてSerendipityにはセイロン島で出会った。ピンときたリプトンは広大な紅茶農園を購入した。

これが大衆の手の届く価格設定に成功した庶民派ビジネスマンの成功物語である。
歴史を知るスーチーは、ネウィンが破綻させたビルマの国家経営を、緊縮財政で賄っている。言ってみればスーチーは庶民は経営学を国家レベルで励行しただけである。

恥じ晒しは歴史を知らぬネウィンの孫で、その若者グループである。
もちろん上品なスーチーは、リプトン問題には何一つ反論していない。
“沈黙は金”を知る奇特なインテリである。

話をタンシュエに戻そう。
ここで注目したいのは、国権を私物化したタンシュエの内面が大揺れに揺れているいることだ。
最高権力者の一存で、ネウィンの男子遺族には死刑判決を下した。
もちろんイエスマンと成り下がった裁判官、検事総長を総動員しての話だ。

ネウィンが死亡しほとぼりが冷めると、考えをコロリと変えた。
仏教の教えを思い出したのかもしれない。転生後のことだ。

娘SWを含め、男子遺族全員を釈放させた。
慈悲の心はタンシュエに似つかわしくない。
国家の基準である“法律”が王様のひと言で簡単に覆される。
これでは法廷判決の威光が失墜し、理屈が通らない。

*スーチーが法の設定と遵守を第一に説くのは、ネウィンやタンシュエが自分に都合良いように弄んできたからである。と弊研究所は判断している。

国家も、人物も、最高位に上り詰めたとき、その品格が発露するのではないだろうか?

ネウィンは、国家経済を疲弊させ、女を取っ換え引っ返え6回も結婚しただけでなく、恐怖の軍事国家を造り上げた。

タンシュエはそれを見習い、さらに巧妙に改造し、恐怖政治を徹底させた。
それは国民、仏教徒、学生だけでなく、彼を取り巻く軍人組織にも恐怖の国家となった。
取り巻きが見守る中、タンシュエは命令を励行しなかった部下を、平気で射殺した。
当然、イエスマンしか生き残らない。他はすべて刑務所にぶち込んだ。何年間もである。

国家レベルでも孤立化が進み、国交があるのは、北朝鮮、ロシア、中国となった。
国交というのは、首脳が往き来するという意味である。
特に欧米が国交を渋り、経済制裁を実行している時期に、火事場泥棒のように日本はミャンマー政府に関係しているとの評判が絶えない。日本の外交はこれらの声をフィードバックしていないのだろうか。国民として非常に不安である。

スーチーが言う「木を見て、森を見ず」、そした北斎が描く「群盲、巨象を撫でる」、その意味するところをもう一度噛み締めてみたい。

スーチーが「ミャンマーは複雑です」と日本の外務大臣に語った言葉がこれを象徴している。

舞台がコロコロ暗転し申し訳ない。だが・・
キンニュンという人物はネウィンに認められ、その庇護を受けた、英語・仏語で使われるProtégéが彼に相応しい。ネウィン子飼いの超エリートである。さらにキンニュンは、国防部とは独立した情報局の新設を承認され、その長官にまで上り詰めた。それゆえに、キンニュンは欧米からはスパイマスター(*=スパイの親玉)と呼ばれる。

自分の仮親であるネウィンとその一家を始末しろと、タンシュエはキンニュンに命じた。
残忍なタンシュエは、ネウィン一家の全滅を謀るだけでなく、キンニュンを試したのである。

今回の主題ではないが、キンニュンの概略を記しておこう。
その後2003年8月25日、キンニュンは第9代ミャンマー首相に就任した。スパイの親玉のまま首相となった。

その栄光の頂点で、突然、まったくの突然だった。
2004年10月18日のことである。
「健康上の理由で、キンニュンの辞任が許可された」と新聞発表がなされた。
たった一行の公式発表である。そこにはSPDCタンシュエ議長の署名があった。

キンニュンは即座に逮捕され、官憲の管理下に置かれた。
この事件もバックナンバーに詳述したので、ここでは省略する。
No.1タンシュエ、No.2マウンエイ、No.3キンニュンとは国家権力の最高序列である。
その第三位のポストが、タンシュエのたった一行の公文署名で、摘み取られたのである。

こうしてタンシュエは慎重に自分の王国を構築していった。

前回お伝えしたとおり、その智謀の鍵は、若き情報将校だったタンシュエがソ連のKGBの特殊士官学校に派遣されたときに芽生えたと分析すべきだ。
タンシュエは権力保全の独自の秘策を“自家薬籠”中の物としていった。

広辞苑には「自分の薬箱の中の薬のように、いつでも自分のために役立て得る物や人、思うままに使いこなせるもの」と書いてある。

スーチーは見抜いた。我が祖国の国民は、恐怖政治に陥っていると。
国民だけでない、軍人組織のピンからキリまで徹底していると見抜いた。

そこでスーチーは“恐怖からの自由”を書いた。この書籍は、ブルースの王B.B.キングの“The Thrill is Gone”を聴き、バーボンでも啜りながら、読み味わって欲しい。

老いが刻々と迫まる今、タンシュエの頭から離れないのが、自分がネウィンに仕掛けた秘策である。天ツバのごとく、自分と家族に降りかかる恐怖である。
その地獄から抜け出すには・・
スーチーは一般市民で軍人ではない。そこに一縷の望を賭けた。

タンシュエとスーチーの極秘会談後、“アンティ・スー!”とタンシュエの孫が歓喜の声でSNSに流した理由がお分かりいただけるだろうか?

当時は、意味不明のメッセージであった。
が、タンシュエの老いを見て、今、謎が解けた。

このSNSはタンシュエの孫(*ネウィンの孫とは出来がかなり違う)の歓喜の声だった。
ベートーベン交響曲第9番ニ短調作品125、その第4楽章にシラーの頌歌「歓喜に寄す」が独唱と合唱で荘厳に演奏される。

日本では年末かもしれないが、この楽曲こそミャンマーの軍事独裁政権終焉を看取るに相応しい「歓喜の歌」である。

欧米の正義感および安っぽい人権論者は激しくスーチーを批難する。スーチーはタンシュエの威光を保全することで、テインセイン、ミンアウンラインを頂点とする保守派軍人族を金縛りにした。これはスーチーと軍との、Win-Winゲームである。

このスーチーとタンシュエの極秘会談には、スーチーの盟友シュエマンが仲介したとシュエマンの著書で曝露している。

話はさらに飛躍する・・
このときのタンシュエは、元禄15年12月14日江戸本所で斬殺された吉良上野介を思い出させる。
軍部としてスーチーへの権力移管を承認する。それはタンシュエがその筋に厳命する。その代わりに、タンシュエは一家の助命を懇願した、と弊研究所は分析した。
老獪な政治家に変身したスーチーは、この交換条件をすべて呑み込んだ。
さらには双方共に、この極秘協定を墓場まで持っていくと。

スーチーはG20を遥かに上回る政治家となった。
その賢明さでは、近い将来G20の指導者の上に君臨することになるだろう。



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・05:市民が祝福するスーチーの誕生日

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小雨の中15分ほど引き回され、国家相談役スーチーの誕生祝いを見学に行った。
新聞屋のオヤジとの約束だったが、連絡は来ない。
午前中は大混雑だからと、勝手に夕方に変更された。
ミャンマー人のいい加減さには馴れている。今日は中止かと、遅めの昼飯を済ませたばかりだった。

この地区のNLD政党本部前にテント村が出来、傘を差した長蛇の列が取り巻いている。
こりゃ一時間待ちだぜ、とオヤジに文句を言った。
それより早くオヤジは、スマホで連絡を取った。

NLD色の制服を羽織った役員が手招きしている。
毎朝オヤジの新聞スタンドで顔を合わせる人物である。
お互いに顔見知りだが、正体は知らなかった。
改まって挨拶すると、この地区の副会長だという。

この地区のVIPらしき人物をどういうわけか次々に紹介された。
三歳年上の詩人が私に関心を抱き、話かけてくる。

早朝からの炊き出しで、午前中はオノコースエ、午後はモヒンガーのメニューだという。
NLD政党の地区役員がスタッフ、家族総出で町の人たちに饗応している。
その副会長が混雑するテント内の食卓を避け、特別席を設けてくれた。
裏口入学みたいなものだ。

テキパキした指図で、定番のモヒンガー、お茶、ティッシューが用意された。
満腹状態だが、一杯はありがたく頂戴した。二杯目は丁寧に断った。
詩人がゆっくりした英語で、親切に教えてくれる。
こちら側は政党の饗応で、通り向かいにもテントがあると導いてくれた。

通りを渡るとスーチーを個人的に応援する婦人部隊のテントである。
こちらは政治ッ気はまったく無い。個人個人でスーチーを応援するという。
ノンポリの私は気に入った。

何人かの着飾ったご婦人が詩人に挨拶し、ついでに私に挨拶。
こちらは“イチャクイ”と甘い紅茶の饗応である。

“イチャクイ”とは漢字で油条と書き、中国・台湾名物の“ユーディアオ”である。
太った婦人が、詩人と私に席を譲り、彼は高名な詩人だと説明してくれた。
ビルマ語と英語で本も出版しているという。彼女はこのテント村の親方のようだ。

派手な紅を引いた別の婦人が、この詩人はスーチーの誕生日には毎年、スーチー賛美の詩をスーチーに献上しているという。それが毎年地元紙に掲載されるそうだ。

雨にも負けず、スーチーの大きな顔写真をプリントしたTシャツの銀輪部隊が、縦一列で通り過ぎる。その数の多さに驚いた。通り過ぎるたびにテントと銀輪部隊でエールの交換。ヤンゴン市内を一日中、雨にも負けず、駆け巡るという。スーチー人気を再認識した。

後姿を目で追いかけ、ミャンマーは確実に変化すると予感した。

かなり先行してミャンマー入りした目先の利いた投資家やビジネスマンは大勢いる。
目先が利きすぎたのだろう。何人かはすでに挫折するか、撤退していった。

その最大の原因は、机上の空論か、外国製マニュアルを、持ち込んだことと分析した。
彼らに欠けているのは、ミャンマーの実態を勉強せず、甘く見下したことにある。
気候風土を含めて、表面とは違い人間も厳しい。ミャンマーは老獪な国である。

このメルマガは目先の鋭いビジネスマンからは振り向きもされない。
購読キャンセルをお願いしている。

ミャンマービジネスを分析すると、これから参入を企画してもぜんぜん遅くない。
好機は、やっと到来した。
英語で言えば“Walk, Don’t Run”。
音楽なら、ベンチャーズの♪テケテケテケ・・でいきたい。

NLD本部の饗応よりも、このオバサマ連の饗応が気に入った。
政治臭さがなく、スーチーを個人的に応援するという熱気に、スーチー人気がタダモノでないことが分かった。

高名なこの詩人も婦人部テントが気に入ったようだ。ニコニコしている。
入れ替わり立ち代り、詩人に敬意を払う婦人が寄ってくる。
貧相な身なりのヒンズー教徒の老婦人まで彼に跪こうとする。
詩心のない私は、この詩人の名前を記憶せぬまま別れた。



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・06:群盲、巨象を撫でる

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私が住む町だけで、スーチー人気を判断するのは、危険だ。
前にも述べた“群盲、巨象を撫でる”である。北斎漫画の教訓だ。
そしてスーチーが外交官、メディアに語った“木を見て森を見ず”の精神にも反する。

当然ミャンマー全土を眺めて、スーチー人気の実勢を分析すべきだ。
英文日刊紙GNLMおよびMT紙の翌6月20日版はすべて目を通した。

英文2紙だけでは“群盲”で“森を見ず”である。その批難は甘んじて受けよう。
このメルマガの限界だがが、限界ギリギリまでは挑戦し続けよう・・

話を先週金曜日に戻す。
午前中、停電の瞬間に原稿を発信した。
結果として金曜日の原稿締め切り時間にはプロバイダー殿に到着しなかった。
またしてもWiFi失敗である。

週末の土日がもったいないので、失敗原稿に継ぎ足して、特に老獪なスーチー作戦をこうやって分析しているところである。だから、書いていて嫌になるほど話が長い。
それでも月曜日中に、新原稿が配信できればありがたい。
とキーボードを叩いている。

ところで、“盲”は、弱者を傷つけると言葉狩りの対象になっていると聞いた。だが、私には目の前すら見えない目明きの愚かさを挙げつらう屁理屈も用意してある。構うものか。
それから、取り上げる人物は、歴史のヒトコマと判断し、肩書きはもちろん呼び捨てにしている。例えばスーチーのように。形式には囚われたくない。
この辺りの事情はご賢察願いたい。不愉快なら購読中止をクリック願いたい。

スーチー誕生日の翌朝、例の詩人から詩作英語版を今度献上したいとのメッセージを受け取った。ありがたいことである。
それにしても詩心の無い、自分が情けない。
♪巷に雨の降るごとく・・、♪ビオロンの・・と支離滅裂な詩篇が思い起こされる。



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・07:日刊新聞で読み取るスーチーの誕生行事

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翌6月20日、スーチーの誕生日関連記事を整理してみた。

GNLM紙によれば、ネイピードの議事堂ホールにおいて、ウィン・ミエン大統領とチョーチョー夫人列席の下、国家相談役スーチーの第74回誕生日が祝福された。

その他の主だった出席者はティンチョウ前大統領とスースールウィン夫人、バンディオ副大統領シュエルワン夫人、T.クンミャット下院議長で両院合同の国会議長、マーンウィンカインタン上院議長と同ナンキンチー夫人、下院副議長夫妻。連邦政府事務所の担当大臣夫妻、平和委員会議長夫妻、ネイピード委員会議長夫妻、国会議員その他国政の上層部が大勢出席した。

同紙第一面には大きな写真が掲載され、すべてを物語っている。
スーチーがケーキカットすると、取り囲んだ大勢の出席者の拍手が紙面からも聞こえてくる。それにしてもバースデーケーキが、中途半端なサイズではない。

中華レストランの丸テーブルの大きさもあり、しかも三段重ねだ。
二段目には『ドー・スー74歳の誕生日、オメデトウ』の文字がバラのツボミに囲まれている。
最上段にはスーチーの顔がパティシエの手で入念に描かれている。

スーチーはカットしたスライスケーキを出席者全員に配り、その後で昼食会を主催した。
軍事政権時代は暗黙のニラミで、列席させられたが、今は違う。
支持者のほうから最高権力者のスーチーに擦り寄ってくる。
本日はそう感じたが、最近の新聞情報では、特に海外のスーチー詣では半端ではない。
新聞情報のD.トランプの一日、シンゾー・アベの一日のスケジュールを比較しても、多分多分である。スーチーの方が遥かに中身が濃く、多彩であるように思われる。

新聞の第三面には、もう一枚の写真がある。
スーチーが議事堂前で大勢の出席者に祝福され、誕生日の功徳としてスーチーが平和のシンボル白い鳩を空に解き放った。

このありふれた記事ではあるが、情報部がシッカリした欧米露中などの各国大使館では、その行間を読みとる分析をしている筈だ。

USDP内部のクーデターで前大統領テインセインから党首職を奪い取られたトゥラ・シュエマン下院議長は、次回の選挙で敗北し、惨めな“タダの人”となった。その骨を拾い、シュエマンに新民主政権下の“連邦国家法制関係特別問題査定委員”という長い名前だが強大な権力を持つ特別職を設置し、その委員長に据えてくれたのが大統領の上に君臨するスーチーその人であった。

その素直な感謝の気持をシュエマンは自著「The Lady, I and Affairs of State」に詳しく書いている。
ところがシュエマンは今年初め、自身の政党を立ち上げ2020年の次期総選挙に立候補するという。スーチーに挑戦状を叩きつけたことになる。シュエマンに勝ち目はまったく無い。だが、どうして?

その経緯は各国大使館が、すでに掌握している事実である。
スーチーの誕生日の祝賀会にシュエマンが欠席した。
そのシュエマンとの古くからの同盟者である現下院議長のT.クンミャットはスーチーの誕生日に馳せ参じている。

スーチーがミャンマーは複雑なんですと言うのは、まさにコレである。
この辺りの綾を読み取り、見極めるのが、各大使館の仕事である。経済だけに絞ってというのは、今の時代通用しない。政争に無関心だと、当研究所同様に偏った見方しか出来ない。
読者はそれを心して購読を継続するか、停止するか、お決め願いたい。

新聞ニュースを続けよう。
ヤンゴン市庁舎前のマハ・バンドゥーラ公園には早朝7時40分に740名の支持者が集合して、手に持ったパネルでスーチーの肖像画を大きく描いた。
両紙に共に掲載されたが、これはMT紙の全体写真がより鮮明だ。
見物人も周りに大勢傘を差しながら集まっている。

主催者によれば、これは市民の自発的な集まりで、スーチーの母親の名前を冠したドー・キンチー財団に一千万チャットの浄財が寄付されたという。
夕方にはボータタウン・パゴダに集合し、ヤンゴン市議会の副議長や副知事が出席し7400個のオイルランプに灯を灯し、スーチーの74歳の誕生日を祝福した。 

同様に、食事の無料饗応がヤンゴンの各町区全域で実施され、スーチーの誕生日を祝福した。

MT紙も第一面写真はNLDの政党色、赤色を背景にビルマ語で「74」と大きく書いた写真が掲載されている。

*ここで東西南北の余計な注釈を入れると、ほんの数年前までは、スーチーの写真が日刊紙、週刊ジャーナル、月刊マガジンの表紙に掲載されることはご法度だった。タンシュエ政権は異常なほどそれを嫌い、情報局や秘密警察は徹底的に撤去し、罰則を厳しくした。

*言論自由な国からやって来た正義感ぶった若造が、自国の巻尺でこの国を計測しても、何ら現実味を帯びていない。
壁に耳あり、障子に目ありで、この国の人たちは、本当に心を許せる親戚、友人にしか本心を語らなかった。
友好的な外国人であろうと、優しい上司であろうと、本心は決して語らなかった。それを読み取れず誤解した外国人経営者は多数いる。

だが。このGNLMおよびMT紙が証明する通り、スーチーの写真が堂々と第一面を飾るようになった。ミャンマーが天動説から地動説に変る瞬間が「今」である。
スーチーの新政権発足後、わずかに3年しか経過していない。

だから、ミャンマーの躍進はこれからだ。今から、その醍醐味がスタートする。
GNLM氏には記載されなかったが、MT紙の記事に注目したい。

上下両院合同議会で行われたスーチーの74回誕生祝賀会でスピーチを行った。

「自分自身にとって最も大切なことを為しなさい。そして同様に他の人の為にも。時は年々過ぎ去っていきます。そして一年を振り返り、自分自身にとって、そして周りの人にとってもアナタはどれだけ大切なことを成し遂げたか、省みましょう。そして次の年にはさらに善きことが出来るよう決心をなさい。これが私の誕生日へのプレゼントです」

これはキリストの言葉にも似ている。
スーチーが自宅監禁時代から励行してきた瞑想の結実である。
老練なスーチーの言葉は、政治家を超越して、宗教の言葉にも似て、仏教国の国民の心に響き渡って行く。

ミャンマー全国の中心地には父親アウンサン将軍の銅像も建てられるようになった。広場や道路名にも父親の名前が採択されていく。

スーチーが自分の精神的なバックボーンとして慕う母親ドー・キンチー財団への支援運動が全国津々浦々で広範囲に起こっている。

全国の民衆や、地方政治家、軍人組織による自発的な現象である。
ネウィンやタンシュエ時代には、強制的な全国運動しかなかった。
ミャンマーのダイナモが大きく変化しているのが、見て取れないだろうか?

経済発展面、およびロヒンギャ問題だけにスポットライトを当てて、ミャンマーを把握しても、木を見て森を見ずの故事に陥るだけだ。この国は既存の尺度ではなく、国際ルールを度外視した、ミャンマー独自の農村ルールで発展していくべきではないだろうか。

そうだ忘れていた。
スーチーの誕生日にはスーチーを慕う全国各地の人たちが、スーチーの長寿と国家の平和を願って、植林事業を全国的に展開した。

このメルマガはその「木」すらも忘れていた。

雨季が終了する10月には、マングローブ植林を20年にわたって継続している仲間たちが、東京・佐賀・ベトナムからやってきてくれる。
彼らとも、このヤンゴンで出会った。

その話が、談論風発でオモシロイ。
彼らも経済発展には縁のない、そして国境にも拘らない、地球人である。




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