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<ミャンマーで今、何が?> Vol.321
2019.8.13
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━

■ヤンゴンの歴史散歩〜その一

 ・01:ヤンゴン歴史散歩の打ち合わせ

 ・02:歴史散歩の初日

 ・03:ムガール帝国のラスト・エンペラー

 ・04:イギリスのインド支配も歴史の彼方

 ・05:中国・ヤンゴン・福岡の三都物語

 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)

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・01:ヤンゴン歴史散歩の打ち合わせ

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昨日が日本の休日とは知らなかった。
偶然だが、ミャンマーもイード・デイの休日であった。
イスラム教で9番目の月はラマダンの苦行を続ける。その苦行明けがイード・デイで、町のレストランに飛び出し、派手派手の祝宴が繰り広げられる。

単純好みの日本人にはご理解願えないだろうが、仏教国といわれるミャンマーでは他宗教、他民族に気を配り、イスラム教徒の祝日をガゼット・ホリデーにしている。

本題に入ろう。80年も昔の話だ。
インパール作戦に従軍した父上の足跡を思い偲びたい友人がいる。
安請け合いをしたが、何を準備すればよいだろう。
手がかりがつかめない。

日本人会、イギリス領事館、インド大使館には行ってみた。
それぞれに図書館がある。関連図書は何冊か見つけた。だが、満足できない。
灯台下暗しで、自宅の資料棚から『アウンサン物語2015』を思い出した。
その第5話に“ヤンゴンの歴史散歩”がある。

この友人は何十回とミャンマーに足を運んでいる。だから、ミャンマーの今は熟知している。
そこで“歴史”と“今”をワープする旅を企画した。
英語教室の学生たちが、手分けして準備をしてくれた。

全日空便で到着した“DAY1”の夜:
スーレー(パゴダは省略)近くのホテルから、ビールとBBQで有名な19番街に友人を連れ出した。雨季の19番街は旅行客も少なく、ゆったりと一週間の打ち合わせが出来た。
店内は明るく、清潔だった。

隣のテーブルにはにぎやかな男女若者グループが座り、友好的な目線が交錯した。
ひと言ふた言、言葉を交わした。
日本で働く中国人だった。



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・02:歴史散歩の初日

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“DAY2”が歴史散歩の初日である。
シュエダゴン(これ以降もパゴダは省略)北門近くの“殉難者廟”近くでタクシーを降ろされた。7月19日を真近かに控え、近辺の警戒は厳重だった。

色違いの制服組みが幾重にも取巻いている。腰にピストルの警官、両手にライフルの兵士もいた。テロリストを一発で仕留められる態勢だ。
辺り一面、空気と神経が張り詰めていた。

殉難者廟には到底近寄れない。
陽気な旅行者を装い、大げさに話しかけるが兵士はニコリともせず返答しない。
不審者と見て、大柄で目の鋭い上官が駆け足で近寄ってきた。
だが、これも英語が通じない。

逆に我々の日本語も彼らには理解できない。
制服のエンブレムを読み取り、目の前のライフル隊は兵士で、その右横は消防士、その後ろは交通警官だと、日本語で友人に説明した。
いかつい男たちだけでなく、編み上げ靴をはいた女性の制服組もかなり混じっている。

北へ通じる歩道を下りていった。
何メートルか間隔を置いて物々しい制服が立哨している。その肩越しに柵の中が垣間見える。
雨に濡れた木立と下芝はゴルフ場のように、美しいアンジュレーションを描き緑が新鮮だ。

車道は交通が遮断されたのか、パトカー、消防車、救急車など特殊車が反対方向へ坂を上っていく。幌をかぶった大型トラックが兵士を満載していく。
日本では見られない光景に遠来の客人はきょろきょろしている。撮影禁止の絵文字サインが張り出されている。カメラは取り出さないほうが無難だ。

坂を下りていくと警備が希薄となり、NLDの本部前に出た。ヤンゴンの“今”を友人に説明する。ここの写真撮影は問題ないだろう。道路を渡り、本部内を覗くと中年の男性がたった一人。旅行客らしく慇懃に挨拶した。言葉はあまり通じない。が、快く中を見せてくれた。
当直以外誰もいないようで森閑としていた。トイレも貸り、室内の撮影もOKしてくれた。

そこからタクシーを広い、シュエダゴンを半周して南門近くの秘密の場所に案内した。
この一画にはビルマの、そしてヤンゴンの歴史が、凝縮されて、眠っている。
忘れ去られたこの一画はいつ訪れても草茫々のイメージだ。雨季は特に植物の成長が早い。

コドウマインの霊廟:
憂国の詩人、あるいは愛国の詩人と慕われる“KODAW HMINE”は中国楚の詩人・屈原にも匹敵する。東洋人として最初のノーベル文学賞を受賞したベンガルの詩人、タゴールにも比肩できるだろう。
植民地時代、ビルマ人の魂を勇壮な詩に詠った。学生運動のリーダー・アウンサン青年、三十人の志士たち、反政府運動の若者たちは、コドウマインの詩で勇気を奮い立たせた。鈴木敬司大佐が最初に連絡をとった重要人物こそ、このコドウマインであった。その密会でアモイに潜むアウンサン青年のことを知った。そこから日本とビルマの近代史がはじまる。

第二の歴史がビルマ王朝最後の王妃スパヤーラッの墓である。
この真っ白な仏舎利塔は大きな建造物だが、ビルマ語の刻印のみで、外国人にはひっそりと見逃されている。『アウンサン物語』の第74話には“廃絶されたふたつの王家”というエピソードがある。

「1885年11月28日マンダレーの王宮を占拠した英国は、ティボウ王とスパヤーラッ王妃を捕らえて、同じく英国が経営するインドのマドラスに追放した。こうしてビルマ王国は終焉を迎え、消滅した」と記述されている。当時二人は26歳という若さであった。

その後、ティボウ王は祖国に戻ることなくその地で果てた。家族は乞食同然の辛酸を嘗め、王妃は数奇な運命をたどり祖国に戻った。ビルマのラスト・エンペラーは異国に眠り、王妃は草茫々の祖国の墓に眠る。ミャンマーの若者もこの悲しい歴史を知らない。

その残虐非道さの元凶は英国にあるのだが、ネウィン軍事独裁政権に摩り替えて歴史を歪曲し、老獪な英国はほおかぶりをして、事実は隠蔽されてしまった。

この一画には、もうひとつ重要な棺が眠っている。
“ドー・キンチーの墓”である。
国父アウンサン将軍の妻で、国家相談役アウンサンスーチーの母親である。
朝一番に見学したシュエダゴン北側の霊廟に夫は眠り、妻ドー・キンチーはシュエダゴンを隔てて反対側の南門近くにひっそりと眠る。その異様な取り扱いはすべて軍事独裁政権の意向でなされた。遺族のひとりであるスーチーの心境を、異邦人は思量できるだろうか?

さらにもうひとつ見逃してはいけない重要な廟がある。
ウ・タン(日本語ではウ・タントと発音)の霊廟にひっそりと棺が置いてある。ビルマが産んだ比類なき国際人で、その調整能力は第三代国連事務総長として遺憾なく発揮された。その国民的人気にネウィンは露骨にジェラシーを募らせた。その取り扱いが奇妙な霊廟である。

歴史に興味を持ち、このウ・タンの墓を探り当てるまでに、実は5-6年の歳月を費やした。
近くのハッピー・ワールドが怪しいとニラミ、この公園界隈は何度も隅々まで訪れた。シャンカン(*北京語で香港のことだ)という名前のレストランも幾度となく訪れた。

ここ南門一帯は大英帝国軍の宿営地として開拓されたところで、年長者は今でもこの地をCantonment(*もとインド駐屯の英国軍隊の駐屯所)と歴史の名残を感じさせる名前で呼んでいる。

当時、新しい植民地となったラングーンでは西洋人女性の数は絶対的に不足していた。
そこでこの地は青年将校と未婚の西洋人女性が、ボートを漕いだり、木陰の芝生でピクニックを楽しむランデブーの場所として有名となった。時にはスキャンダラスな事件も起きた。

道行く人や警官にも聞いてみた。だが、私の発音が悪いのか、頭を傾げるだけだった。ハッピーワールドの後背地を探っていたときのことだ。草茫々の地に迷い込んだ。その地は奇妙な霊気が彷徨っているようだった。核心に触れようとしたとき、道路向かいの軍事施設より秘密警察官が近寄り、写真撮影はもとより、早く立ち去れと無言の圧迫を受けた。
今はカメラ持参で近寄っても、誰にも咎められない。

歴史を読み解くと、“コドウマイン”“スパヤーラッ”“ドー・キンチー”“ウ・タン”の四名は、ひとりひとりが軍事独裁政権の厄介者で、その処分に神経をすり減らしたことが、この奇妙な一画から見えてくる。

明るく整然とした、タウッチャンの西洋式墓地とは正反対で雰囲気がガラリと異なる。
これをどうやって説明したらよいだろう。
長銀と三和銀行との間に平将門の首塚がある。道真は大宰府に流された。四名の怨念はそれに似ているかもしれない。ひとつひとつの建造物が、まるで荒縄で縛られ幽閉された怨念が今でも漂っているように感ずる。

ミャンマーに理解を示す友人が来ると、私は必ずここにお連れする。
だが、本当に理解してもらえるかどうかは、不明である。



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・03:ムガール帝国のラスト・エンペラー

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歴史散歩初日はスケジュール満載とした。
ここで、一息入れて章を改めた。
ゆっくり歩いてシュエダゴン南門を真南に下る。
左側は軍事施設の物々しい長い壁が延々と続いている。

大英帝国が築いた“カントンメン”をビルマの軍隊はそのまま引継いだ。この辺り一帯は広大な軍事施設で、近寄りがたい雰囲気となっている。インセインをはじめとした全土にある悪名高き刑務所も同様だ。英国のマスコミ操作は実に老獪である。

大英帝国はその悪行のエビデンスを、ビルマ独立後に誕生した軍事政権の所業にすべて摩り替えてしまった。大英帝国の威光は絶対的で、欧米のマスコミや、中東・アジアのマスコミは、裏づけも取らずにそれを鵜呑みにし、ミャンマー政府批判、スーチー批判としている。
“大英帝国の歴史をぶっ壊す!”気力のあるマスコミを待望したい。

話は横道に逸れた。
モノの数分でピーイー道路へ通り抜ける道が見えてくる。
右手に緩やかにカーブを描いている。

ゆったりとした道路だが、両脇は軍人家族の住むアパート群が幾棟も並んでいる。ピーイー道路へ行き着く左手前に奇妙な建物が見えてくる。アラビアンナイトの世界で、一見ミニチュアのディズニーランドかと思わせる。

1862年11月7日(金)午前5時、国事犯としてインドのデリーから移送された人物がこの地で波乱に富んだ92歳の生涯を終えた。

その人物の名前はAbu Zafar Muhammad Bahadurで、ムガール帝国最後の皇帝である。
大英帝国はビルマのラスト・エンペラーを廃絶した。だが、その23年前に、インド大陸の大半を支配していたムガール帝国のラスト・エンペラーをこのラングーンの地で葬った。
インドのラスト・エンペラーが幽閉されていたのが、奇妙なアラビアンナイトを思わせるこの一画である。

インド大使館に併設された図書館司書が相談に乗ってくれた。有能な女性だ。
そしてSYED HAHDI HUSAIN著『BAHADUR SHAH ZAFAR AND THE WAR OF 1857 IN DEHLI』という貴重な書籍を探し出してくれた。そしてヤンゴン大学図書館の責任者は友人だからいつでも紹介するとまで請け負ってくれた。
和風居酒屋以外でも、情報のネットワークは構築できる。

451ページもある大部の書籍を要約すると、こういうことだ。
中国の歴史もそうだが、インドの歴史も一筋縄では読み解けない。
横道・本流と入り混じり複雑さがさらに交錯している。さすがに世界四大文明発祥の地である。
その複雑さを活用して大英帝国は乱立王国の分断作戦を開始した。

インド史上最大にして最後のイスラム王朝がムガール帝国である。
インドという国はヒンズー教で、バラモン・クシャトリヤ・バイシャ・シュードラのカースト制度があり、と日本の教科書は教える。
外務大臣を含めて外交に弱い日本人を作り出す原因は、正にそこにある。

歴史の流れからすると、一炊の夢だけで世界を判断すると、無知を笑われるだけだ。



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・04:イギリスのインド支配も歴史の彼方

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東洋の宝石箱インドを略奪したイギリスは、インドの文化、そしてムスレム社会を、まったく理解していなかった。
話を端折ると、“セポイの反乱(*ウルドゥー語で傭兵を意味するシパーヒーから転訛)”または“INDIAN MUTINY(*インド大反乱)”が話の突端である。

イギリス軍が新しく採用したエンフィールド銃は弾薬包を歯で噛み切らねばならない。だが、弾薬包にはヒンドゥー教徒が神聖視する牛脂とイスラム教徒が不浄視する豚脂が塗ってある。そのウワサがセポイ傭兵から広まった。宗教上のタブーを犯すと兵士たちが騒ぎ、イギリスそのものに反抗するようになった。これがインド全土の大反乱となった。

イギリスは本国から多数の援軍を送り込み、強大な武力でこの大反乱を鎮圧した。

東インド会社は、イギリスが1600年、オランダが1602年、フランスが1604年に設立した。
イギリスは、初めモルッカ諸島の香料貿易を目指したが、オランダに敗れ、ボンベイ、マドラス、カルカッタを拠点にインド貿易を進めた。だが、1858年のインド大反乱の責任を問われて東インド会社は解散した。

その後はイギリス政府が直接インド大陸を支配することになった。
だが、インドはビルマ以上に複雑な国家だ。老獪なイギリスをしても、全容を把握できない。人種のみならず、宗教も、言語も、習慣も異なる。王族も、藩王も、臣下も、法制度も、徴税方法も、家族制度も異なる。

その実態の一端を覗き見るために、第55回アカデミー賞で9つのオスカーを受賞した英国とインドの合作映画「ガンジー」を是非とも鑑賞願いたい。良心的英国人であるリチャード・アッテンボロー監督が、史実をなぞって英国統治下のインドを見事に描写している。大英帝国の残虐な殺戮シーンも紹介している。
ガンジーがいかに非凡で偉大な男だったかが見えてくるだろう。

繰り返すが、イギリスはインドのムガール帝国を排斥したのみならず、ビルマの王朝も廃絶した。その背後には多くの王族が、血を受け継ぐ王子たちが、王妃たちの首が無残にも切り落とされた。その酷さは原爆にも、沖縄戦にも、日本大空襲にも匹敵するだろう。

第二次世界大戦では、昭和天皇を頂点とする日本の国体は守られ、今、マッカーサーの押し付け憲法だとかの議論が、歴史を知らない政治家によって盛んだ。
歴史にイフはない。その通りだ。

だが、マウントバッテン卿がチャーチルの指示を受け、連合国最高司令官としてお堀端のGHQに君臨していたと想像すれば、スーチーに話しかける日本の外務大臣の配慮も変わるはずだ。

スーチーは英国人と結婚し、英国籍の息子二人を得たが、英国人の残虐さと老獪さは骨身に沁みて知り尽くしている。
日本が勝ち組の後ろに隠れて、横柄な態度でアセアン諸国に経済協力を施す。中国と代わらない横柄さだ。アウンサン将軍が日本に裏切られたことを、ミャンマーの人たちは歴史から学んでいる。知らないのではない。知っているのである。だが、決して面と向かっては文句を言わない。いつも優しく接してくれる。外交官は日本の顔である。それで頬被りをして良いものだろうか。

またまた話が飛び火してしまった。
バハダー・シャー・ザファーを偲ぶ式典には、大勢の外交官、インド人、ムスレム教徒が集まってくる。昔の領土、アフガン、パキスタン、パンジャブ、バングラデッシュなどの首脳や大使館員は必ずここを訪れ、絹のカバーで覆われたラスト・エンペラーの棺に額ずく。

ここには王妃と二人のプリンセスの棺も置かれている。
そしてイスラム教らしく、礼拝堂ホールは男性と女性で別々に分かれている。

このラスト・エンペラーが特別に慕われるのは、神秘主義とされるあのスーフィー教の指導者で、詩人でもあるからだ。
恍惚となって輪舞を踊り続けるあのスーフィー教である。イスラムの中でも独特の神秘主義である。
日本で言えば空海の密教かもしれないが、日本人の想像をはるかに超えた神秘主義である。



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・05:中国・ヤンゴン・福岡の三都物語

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歴史散歩は、遅めの昼飯と、ここからシャン・ヌードルと餃子で有名な“Aung Mingalar”に行った。ボージョーマーケットの裏門から真北に歩きナワデー通りと交差した右角にある。

先ずはビールである。だが、後ろの視線が気に掛かる。ひょっとして知り合い?
昨夜19番街で出遭った中国人だった。

向こうから話し掛けてきた。
今日が最終日で今夕日本へ帰国という。当たり障りのない話題で、日本の何処と聞いた。
人生、先が読めないからオモシロイ。実は当たり障りがあったのだ。

福岡で仕事をしていると言う。友人が「福岡のどこネー」と声を挙げた。
「エッ!そこは母親の生まれたところバイ!」と声が裏返っている。

マニュアル通りでないのが人生! ガッカリするときもあれば、ハッピー・サプライジングもある。
永田町には申し訳ないが、ヤンゴンでの民間外交は実に楽しかった。Vサインの写真を何枚か撮り合った。ビールも餃子も旨かった。

まだDAY2の後半が残っている。だが、続きは明日にしたい。




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