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<ミャンマーで今、何が?> Vol.478
2022.01.24
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━

■ アグロ大国への妄想

 ・01: マスコミが報じない下街事情

 ・02: 下街最新情報

 ・03: ヤンゴン農学校

 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)

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・01:マスコミが報じない下街事情

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この一、二週間に起こった最新の出来事である。
下街とは英米で言うダウンタウンのこと。ヤンゴンは英国の影響を強く受け市庁舎から旧総督府を中心とした東西に長く伸びる繁華街を下街と称する。これまでは郊外での暴力沙汰が、この下街に押し寄せてきた。もちろん国軍による暴力沙汰である。無理が通れば道理が引っ込むで、市民は泣き寝入りをするか、蹴散らされて逃げ惑うしかない。

1月4日の独立記念日には、大通りに面した商店は国軍関連行事反対、そして反政府の意志表示として閉店を予定していた。ところが国軍の手下である市庁舎(*都庁に相当)の下っ端役人が4-5名で押し掛け、当日はムリヤリ書面に署名させ開店を迫り、拒否すると店舗没収の脅しを掛けた。その結果、独立記念日当日は大通りに面する雑貨屋・菓子店舗などは強制的に開店させられた。
反体制側の戦術はその裏をかいた。市民に自宅閉じ篭もりを訴え外出を控えた。開店させられた商店は閑古鳥が鳴いていた。叛乱軍の大将は小者らしくこれを根にもち逆恨みを抱いた。

下っ端役人はその制服で簡単に見分けられる。真っ黒のカンカン棒、シャツ・ズボンも全身黒ずくめ、そして素足にスリッパ履きが異様である。小は4-5人、大は10名ほどのチームで行動する。リーダーが店主に発布されたばかりの軍令を読み上げる間、その手下は勝手気ままに停車中のタイヤに片足を乗せ、その辺りの椅子に腰掛けたり、ニタニタ笑ってあたりを威圧する。チンピラそっくりの風情である。だがポリ公に次ぐ権力を持つので始末が悪い。市民にとってははた迷惑で不気味な存在である。そういう現場では通りすがりの物売り・女子供までもが敬遠する。見て見ぬフリをするのである。

ヤンゴン版Men in Blackが、旧総督府近くのナンバーストリートを素足にスリッパで急襲した。ヤバイのでナンバーストリート名は記さない。
前回は閉っている店舗をムリヤリ開店させた。今回は通りに面した屋台はすべて撤去せよとのお達しだ。屋台とは移動可能な簡易店舗で、この商売はキンマ屋、路上喫茶、モヒンガー屋などが代表格である。昼休み時間には外資系大手企業勤務の地元スタッフが大勢押しかける。ビル内のレストランは値段が高く手が出ない。下街では大規模な建築現場の塀の外に屋台村が出来やすい。パンデミックとクーデターの二重苦で建築が延び延びになっているからだ。

朝食時と昼飯時は大繁盛で、歩道のみならず車道にそして向かいの歩道にまで低いテーブルと椅子が進出する。小さい子供も手伝う家族総出の商売である。最近はビーチパラソルを設営して雨季の豪雨と夏の猛暑から救ってくれる。その片隅に座り、アンテナを広げると、ミャンマーの世相、歴史、そして地元ビジネスの推移まで見えてくる。

横道に逸れるが、キンマとはコショウ科の蔓性低木で、その葉っぱはハート型で芳香がある。この葉でビンロウの実と石灰を包んで噛むと、タクシードライバーの嗜好品で眠気覚ましとなる。その唾は飲み込んではいけない。ペッペッと吐き出す。口内は真っ赤となり、血を吐き出しているようで、外国人には非衛生的と不評だ。だがキンマはビルマの王朝貴族の間で発達した。豪華な漆塗りの箱に入れ、シガーを振舞うように客人に薦めた。この漆塗りは日本にもたらされると茶道具として発達するようになった。
このキンマを噛む風習は灼熱の南洋諸国、インドからアフリカにかけて根強い人気がある。話によると覚せい剤的効果があるため中毒になりやすく、長年使用すると石灰で歯がボロボロとなるようだ。

話を戻すと、素足にスリッパのチンピラ集団が、横丁の屋台をすべて撤去しろとのお達しを触れ回った。それは突然だった。
しかも用意周到で幌つきの大型貨物トラックを横付けし、素直に応じない屋台は屋根・柱と分解し、片っ端からトラックにぶち込んでいった。パラソルも畳んで投げ入れ、プラスチックのテーブル・椅子も次々に投げ込んだ。余談となるが、これら押収物件はほとぼりが醒めた頃、チンピラ連中が横流しし彼らの副収入となる。

細々とした商売で小銭を貯め購入した中古屋台を没収された庶民は堪ったものではない。逃げ惑う屋台を押す母親の姿、そしてプラスチックの椅子を手一杯抱えて必死に追いかける年端も行かない子供たち。この光景を目撃すると、現政権が続く限り、永遠にこの国に平和は訪れないような気がする。

日本にはその悲惨さは伝わらないし、決して分かってもらえない。だが当地では文字通りの死活問題である。
商売道具を奪われ、その日から日銭が稼げなくなった。家族や子供たちに食わせるモノもなく、親族や友人を頼り借金が嵩むばかりである。そして伝があればマイクロファイナンスというサラ金に手を出す。その結果、郊外にひっそりと確保した粗末な住居が身ぐるみ剥がされる。
農村の荒廃、子女の身売り、夫婦と家庭の破局、子供の放棄、などなどが現実問題として重くのしかかってくる。
日本でもはるか昔に同様の出来事があった。でも今となっては歴史物語だ。だがミャンマーでは今現実に起こっている問題である。

日本の友人からは元気を出せと激励のお年賀をたくさん頂いた。だが生徒たちから聞かされる物語はあまりに悲惨である。それにプラスして身の回りの人間が次々に死亡して行く。理由はハッキリしないが、安酒の飲み過ぎも数人いる。彼らの境遇を想像すると、酒を飲める身分ではないが、飲みたくなる気持がヒシヒシと伝わってくる。ということでヤンゴンでは新年を祝う気分はまったく無い。頂いたお年賀には返事を書くつもりだが、旧暦の正月中には何とかするつもりだ。お許し願いたい。



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・02:下街最新情報

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気を取り直して最新の下街情報をお届けしたい。
近くの朝市だけは人混みでごったがえしていた。だが物価は確実に上昇している。
注目は自然発生的に出来上がった屋台村のことである。強権的な市庁舎(*YCDCのことで都庁に相当)の脅しで、屋台は一夜にしてべて片付けられていた。市当局が政商に売却した開発現場で、コルゲート状の鉄板が境の壁となり延々と1ブロックも続いている。あまりにもスッキリとして拍子抜けするほどだった。無断駐車も消え去っていた。

そこへ情報通の別の生徒から連絡が入った。
来週から屋台が復活するという。それが明日24日の月曜日からなのか、いつからかは判然としない。
手付金3万チャットの支払いを条件に、屋台はその場所に置き去りにして構わない。料理用コンロは2個まで持ち込み可で、料理を置くテーブルは一卓に限られる。客用の椅子は都度片付けること。客は例えばモヒンガーなどのドンブリは常に手に持ち、テーブルに置くことは許されない。客用のパラソルは2本まで設置可能。
細かいが、細かいルールはいつかは破綻する。それがチンピラグループの意図するところである。幾らでも言い掛かりをつけられるからだ。
そしてもう一つ重要な規則が提示された。
3万チャットはあくまでも手付金。それにプラスして毎日千チャットをチンピラ軍団に支払うこと。

もう少し詳しく説明すると、これは暴力団の見かじめ料で結構な小遣いとなる。市庁舎とは言え、高級幹部はもっと旨味のある権益を握っており、下っ端が勝手にヤッタと後で言い逃れできる仕組みになっている。下っ端は下っ端で何軒かの屋台が割り当てられ、難癖をつけては小遣いをせびれる蟻地獄方式である。
白い制服を着た交通警察も同様だ。下街を出て郊外に差し掛かったところで待ち伏せし、カネをせびれそうな車両を見つけては停止させて難癖をつける。運転手も慣れたもんで、千チャットほどを握らせ、何事もなかったように立ち去るのがヤンゴン通というものだ。

スーチーはこの悪習を断ち切ろうと汚職・腐敗防止のキャンペーンをスタートさせたが、軍部のみならず一般ビジネスマンからもブーイングの不評を買った。
例えば移民局など政府系申請窓口に行けばソレがよく見えてくる。申請書類の下に千チャット紙幣を忍ばせれば、書類は受け付けてくれる。無くても受け付けるが、その申請書類は下へ下へと潜って永遠に処理されない。そして移民局の部屋には汚職追放などという間抜けなスローガンが貼ってある。

だがミャンマーだけを笑っていられない。東洋の島国にも最低300年の伝統がある。「白河の 清きに魚も 棲みかねて 元の濁りの 田沼恋しき」が雄弁に物語る。奥州の白河藩主・松平定信は寛政の改革を断行した。倹約質素を徹底的に励行したため、贈賄・増収の汚職が蔓延した田沼意次時代を懐かしむ七五調の落首である。



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・03:ヤンゴン農学校

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ずば抜けて出来の悪い若い男が生徒として応募してきた。仕事もなくぶらぶらしている。個人データーを確認した上で週3回面倒を見ることにした。
植民地時代の遺物Matriculation試験が高校10年生で実施される。これは大学入学の全国共通試験である。出来の良い順番で医学部、コンピュータなどの技術系大学への入学が許可される。その上位合格者はOutstandingといって特別に表彰される。今回引き受けたのはその対極にあるずば抜けて成績の悪い二十歳そこそこの青年である。三年間連続して全国共通試験に落第した。母親も最近失職し、肥満体が目立ちつ。非常に危険な兆候だ。複雑な理由はありそうだが、手作りの人間形成に挑戦することにした。

私の武器はパソコンと英語である。それに“農業”という骨太の哲学が最近加わった。これにはインド発の『旱魃との闘い』が大きな切っ掛けとなっている。
繰り返すとパソコン+英語+農業の三本柱である。安っぽい「三本の矢」ではない。
2022年は新年まで生き延びることができた。生きがいを見出したので、80歳・90歳といわず、地獄の底まで生き延びるつもりだ。

狡猾な老獪学に従い、“Boys be ambitious”で有名なWilliam Smith Clark博士の“札幌農学校”を盗窃することにした。
“ヤンゴン農学校”と名付けた。だが政権が不安定な今、学校法人の申請など通る訳がない。ひと捻りすることにした。『Yangon “NO” School』と堂々と名乗ることにした。
MAHやYCDCから文句が出ても、学校じゃないと強弁できる。
それでいて学生たちに“農業”を通じた全体教育を行う。ミャンマーで行われている高校、専門学校、大学などの高等教育などクソ喰らえだ。
これには梁山泊で試行錯誤中のシュシ学が大いに役に立ちそうだ。
漢字では種子学と書く。

ここヤンゴンはロンドン・日本・ニューヨークと異なり、年間3シーズン制を採用している。植物が落葉し冬眠する冬季がない。
その特質を学び、活用すれば、世界の市場に供給出来るアグロ大国となれる。
そのヒントは『旱魃との闘い』から学んだ。
先日はヤンゴン在某大使館のライブラリアンと久しぶりに旧交を温めた。有能な女性だ。知的訓練を積んでいるので話が早い。強力な助っ人となりそうだ。
危険なので大使館名は記さない。

気が狂った最高司令官にかかわっているヒマはない。
ずば抜けて出来の悪い生徒も巻き込み、『Yangon “NO” School』のとてつもないグランドデザインを描いてみたい。

ただいまのヤンゴン時間、2022年1月23日午後12時15分。

東西南北研究所




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