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<ミャンマーで今、何が?> Vol.69
2013.11.6

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar


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■2015年の大統領選挙

・01: 2015年の大統領選キャンペーンはすでにたけなわ

・02:スーチーの胸の内

・03:スーチーは戦術を変えた

・04:シュエマンの読み

・05:賢明なシュエマンだが、ひとつ見逃していることがある。

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熱心な読者の方から、ティンセイン大統領の不出馬が気になります。続報を期待していますとのメールを頂きました。ありがたい限りです。このような反応があると俄然ヤル気が出てきます。今回は東西南北研究所が無い知恵を絞ってこれにお応えしていきたいと思います。

ミャンマー未経験の方も大歓迎です。ミャンマーに関して何か疑問、あるいは不明のことがあれば、メールをください。極力そのテーマに沿ってお応えしていきたいと思います。
ということで今回は2015年の大統領選挙をテーマとして分析しました。


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01: 2015年の大統領選キャンペーンはすでにたけなわ

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主役は二人。最大与党USDP党首および下院議長トゥラ・シュエマンと野党NLD党首アウンサンスーチーの2名だ。

だが、2008年憲法が改正されない限りスーチーには大統領選に出馬する資格は無い。このまま憲法改正が進展せずタイムアウトとなれば、シュエマンは何もせずに一国の最高権力者の地位が転がり込む。何もしないことで、その確率は高くなるとシュエマンは判断し、その戦術に切り替えたのでは。

だが、政治は一寸先は闇だ。何時、とてつもないダークホースが現れないとも限らない。政治状況が急変するかもしれない。今は自然現象ですら異常気象の時代だ。



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02:スーチーの胸の内

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スーチーは先週3度目の欧州訪問を実現した。フランスのストラスブールに所在するヨーロッパ審議会(欧州議会)で監禁中の1990年に授与された思想の自由に対するサハロフ賞をその手で受け取るためである。これ以外にも英国でチャールズ皇太子夫妻とパレスで親しく歓談し、ローマ教皇にもバチカン宮殿で謁見している。それだけではない。英国のデビッド・キャメロン首相をはじめ、各国政府首脳・高官との会談が今回も目白押しとなった。

国内でのスーチーに対する熱気が醒めるのと対照的に、海外での彼女に対するフィーバーは天井知らずである。15年間、耐えに耐えて非暴力で残虐な軍事政権に立ち向かったスーチーを正当に評価して彼女の大統領実現に神輿をあげる声は国内では聞こえてこない。それに比較して海外での彼女に対する名声は高まるばかりである。

スーチーとすれば、“わが胸の燃える思いに比ぶれば、煙は薄き桜島かな”の心境であろう。

旧軍事政権時代、最高権力者のタンシュエが自分の指でピックアップして一国の首相に据え、軍服から民間服へと衣装替えをすると同時に、新政府の舵取りを任されたのがテインセイン大統領である。そのテインセイン大統領が熟慮に熟慮を重ねた末に最初に融和を図ったのが国民的英雄のスーチー女史であった。一対一のその会談内容は漏れ聞こえてこない。それは超極秘会談だった。だが、スーチーはレポーターに問い詰められて、テインセイン大統領は信頼の置ける誠実な人柄だと語った。その言葉がミャンマーの歴史を変え、ミャンマー民主化の第一歩が動き始めた。

ミャンマーの現在史を変えたのは間違いなくヒラリー・クリントン米国国務長官とスーチー女史の邂逅である。これで世界がミャンマーを応援し始めた。米国と欧州の経済制裁が解除され、世界中のミャンマー支援が始まった。そして世界の首脳がミャンマーになだれ込んだ。だが、そのヒラリー国務長官をミャンマーに派遣するに当たっては、米国のオバマ大統領は湖畔の自宅に直接電話を掛け、米国がミャンマーの民主化を推進するに当たって、最後までゆるぎなく米国を支えてくれるね?と執拗にオバマがスーチーに確約を求めている。このあたりの事情は、この週刊メルマガ創刊準備第一号に詳しく書いた。

だから、このスーチーの“イエス”の答えが無かったら、ミャンマーの民主化は遠い先のことで、果たしていつそれが実現されるのか、だれにも分からなかっただろう。

現在のミャンマーの変貌に賛意を送るならば、スーチーの果たした役割は偉大で、彼女こそ歴史を変えた女性である。それだけに、国会内での憲法改正の動き、自分が代表を務める政党NLD内での憲法改正の運動などが遅々として進まず、マスコミの応援歌も聞こえてこない。
スーチー本人とすれば、自分が大統領になれれば、民主主義という壮大なカンバスの画竜点睛を仕上げることができるとの自負があろう。そしてその悲願は自分でしか達成できないとの宿命を感じているかもしれない。

第三者の野次馬としてみれば、27年間の岩窟王から南アフリカの初代黒人大統領となったネルソン・マンデラとその年にワールドカップを制覇した南アの弱小ラグビーチームの1995年の奇跡を描いたクリント・イーストウッド製作、モーガン・フリーマンとマット・ダモン主演の名画「INVICTUS・インビクタス」とオーバーラップするものがある。時代はカリスマ的・ヒーローに渇望している。であれば、一度はこの細身のヒロインを大統領にしたいという気がするが、外国人として深入りするのは止めておこう。



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03:スーチーは戦術を変えた

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スーチーには時間がない。これがスーチーの現在の心境だろう。スーチーはテインセイン大統領と同じ1945年の生まれで、シュエマンより2歳年上である。年齢からの焦りもあるだろう。

今回の欧州訪問で、スーチーは世界のトップ・リーダー、首脳たちに訴えた。だから、英国のデビッド・キャメロン首相が、自分はスーチーさんの大崇拝者だ。彼女が大統領選に出馬できるように国際的なプレッシャーをミャンマー政府に掛けるように世界の首脳に呼びかけたい、とまで言わせている。

確かに、これまでの国際的な圧力で民主化は促進され、新政府は大量の政治犯を釈放してきた。というよりもテインセイン大統領の海外訪問の手土産、そして海外の大物首脳のミャンマー訪問に会わせて何人もの政治犯を釈放した。どうもミャンマー政府はこの政治犯釈放のシステムは有効だと学習したようだ。そして外圧がミャンマー政府に対しては有効だということを欧米の首脳たちも学習した。スーチーさんはその双方を学習したはずだ。
だからこそ、今現在、国内で、国会内で、何一つ進展しない状況に焦りを感じ、スーチーは外圧利用に方針転換したようだ。吉と出るのか、凶と出るのか、誰にも分からない。果たして有効なのか、効果が無いのか予測するのは難しいだろう。だが、とにかくスーチーは戦略を変えた。ある新聞はスーチーは危険な賭けに出た、と書いている。



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04:シュエマンの読み

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シュエマンは実に頭の切れる将軍だ。それだけにタンシュエはミャンマー新政府の大統領にシュエマンをピックアップしなかった。彼を恐れたからだ。最高権力者は頭の切れる側近を活用するが、最後まで気を許せない。だから、最終選考ではむしろ愚鈍と言われる側近を選ぶ。

その結果、テインセインがミャンマー新政府の大統領に選抜された。誰によってか?もちろん、タンシュエによってだ。そしてシュエマンには新政府下院議員の議長の席が用意された。これもタンシュエの差配だ。当時シュエマンは軍事政権内では第3位の実力者で、年下であるにもかかわらずテインセインの上席であった。

ミャンマーの現代史を読み解くと、かっての最高権力者の身体が弱り、肉体的にも精神的にも衰えが見えると時の実力者が、その一族郎党を駆逐した事実がある。1962年から1988年までのビルマ型社会主義でビルマの政治・経済を不幸のどん底に陥れたにもかかわらず、その後も院政を敷いた陰の実力者ネ・ウィンの末期がそうであった。現場でそれを指揮したのがキンニュンで、それを指示したのがタンシュエだとされている。

タンシュエも高齢である。その輪廻が自分に、そして自分の家族に及ぶことを極度に恐れた。シュエマンよりも、テインセインの忠誠心を買い、その担保となっているのが2008年憲法である。そして2011年3月にテインセイン大統領の新政府が誕生した。欧米のマスコミは軍服を市民服に着替えただけの偽の民主政権と繰り返し非難した。

だが、テインセインは保守・固陋派で四面楚歌の中、スーチーとの和解、信頼関係を構築すると、側近を改革派で固め、次から次に改革を推進していった。最初は疑惑のまなざしであった欧米のマスコミまでがサプライズする改革に次ぐ改革であった。

テインセインの一途さはスーチーの信頼を勝ち取り、そして海外の疑惑を賞賛に変えていった。賢明なシュエマンはそこから重要なことを学んだ。そして保守・固陋派とは一線を画し、自分は改革派だとして名乗りを上げるようになった。すなわち、テインセインとスーチーの味方となったのである。同時にスーチーの国内外における人気のほども思い知った。このままいけば、2015年の大統領はこの人気者に奪われてしまう。

だから、シュエマンのワシントン訪問ではスーチーとの連立も考慮に入れたいと発言している。最大与党の人数とスーチーの人気を合体させるとの荒業だ。

しかし、先月火祭りの10月19日にシュエマンとその家族は元最高上司であるタンシュエの自宅に親しくご機嫌伺いをしている。そこでタンシュエが現在の民主化に不満を漏らしているとの情報をレポーターに語り、さらには同日タンシュエ宅を訪れたテインセイン大統領の二期目出馬断念の情報もレポーターに語っている。

タンシュエの不満は明らかにされていないが、民主化の速度が速すぎることと、元最高権力者とその家族を護る2008年憲法の改正が、逆鱗に触れた模様である。これを逆手にとってシュエマンの国取り物語がスタートしたと見るのはどうであろう。

すなわち、テインセインをレイム・ダックに陥れ、スーチーの憲法改正キャンペーンをチンタラ議会に委ねるという方法である。後は時間を掛けて柿が熟すのを待てば良い。
このシナリオはあくまでも東西南北研究所の仮説である。予測とは外れるものだ。さあ、そこでどういう結論にもっていくか?



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05:賢明なシュエマンだが、ひとつ見逃していることがある。

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それは後世から見た場合の歴史的視点である。米国や日本の真似をして、国の指導者となる人物が票の計算などをすればタダのミャンマーになってしまう。今のミャンマーは歴史的激変の中にある。他に例の無いミャンマー維新のときを迎えているのだ。

テインセインは大統領職の一期目だけで勇退すれば、確実にミャンマーの英雄となれるだろう。だから、タンシュエに引導を渡されたとはいえ、現在の一期目で潔く辞めることだ。最後の2014年のアセアン諸国会議のホストとして自分の持てる力を燃焼させれば、再度ノーベル平和賞などの候補となるだろう。受賞しなくても、軍人としての前科がどうであれ、ミャンマーの現代史の中でその名前は燦然と永遠に輝き続けるだろう。

スーチーの実績はノーベル平和賞のみならず、サハロフ賞、ネルー賞、ガンジー国際賞など、世界的に権威のある委員会から数え切れないほどの賞賛を受けている。それに、ミャンマーの国父アウンサン将軍の愛娘という血筋が彼女のカリスマ性に更なる彩を加えている。したがって、スーチーもミャンマーの現代史に鮮明に描かれる人物である。

そこでシュエマンだ。票固めは別として歴史上の視点からは見劣りがする。もしシュエマンが旧日本軍が関係したミャンマー国軍の最高司令官ならば、武士道精神をもう一度学習する気持ちは無いだろうか。英国魂であれば、昔の騎士道精神である。すなわち自分より弱いものにはやさしく手を差し伸べ、女性に対してはさらにもう一歩引き下がる。

憲法改正は選抜された議員が現在検討中である。国民が望むならば、憲法改正の手続きがとられるだろう、などと女々しいこと(差別用語なら失礼)は言わずに、シュエマンの手持ちの影響力をフルに活用し議会に圧力を掛け、憲法改正を自身の手で実現するのである。そしてスーチーには公正な選挙で大統領選を闘おうとエールを送るのである。

シュエマンは陰険な方法で国内外の人気を下げる必要は無い、むしろスーチーにチャンスを与えることで、国内外の喝采を勝ち取るのである。彼の人気が一時的に上回るかもしれない。そこで彼が米国旅行で提案したスーチーとの連立内閣が意味を持ってくるのである。そしてスーチーと密約を交わし、最初の2年間はスーチーを大統領に据え、残りの6年間はシュエマンが大統領として君臨する。そこでスーチーを国連事務総長の椅子に推挙するのだ。このためにはミャンマー政府にとって圧力団体であった海外首脳のプレッシャーを順風に変え、スーチーの国連事務総長就任キャンペーンを国際的な声をバックに展開するのである。

いまどきのお役人と化した国連の連中は、国連事務総長は各地区からの持ち回りで、すでにウ・タント事務総長を輩出したミャンマーに二人目を出す権利は無いなどのマニュアル回答を持ち出すかもしれない。だが、スーチーには一国を超えた大役のほうが相応しいようだ。

そしてシュエマンの大仕事は、かっての上司を自宅に訪れ延々と諭すのだ。「オヤジさん世の中は変わっとります。お釈迦様も言うたではないですか、諸行無常の鐘の音、盛者必衰の理を顕わす、と。スーチーも東洋の哲学には過去を許す寛容さがあると言うてます。安心してツカワサイ」

どうも最後はミャンマービールが入りすぎたようです。酔生夢死の戯言になってしまいました。



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