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<ミャンマーで今、何が?> Vol.8
2012.8.28

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar


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■スーチー議員のアメリカ訪問
・テインセイン大統領の苦悩
・自宅軟禁から自由への解放
・能ある鷹
・そして君子豹変
 ・スーチー議員アメリカへ
 ・ノーベル平和賞受賞の裏話
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・ミャンマーで今、何が?

■スーチー議員のアメリカ訪問


<テインセイン大統領の苦悩>

ミャンマーは大げさな言い方をすれば、アインシュタインの時間の観念を追い越すスピードで変革している。これはどの国も成し遂げたことのない民主化達成短時間記録となるかもしれない。しかし、その実態は不慣れな国会での討議が不十分なままで法案が準備され、実際に法制化されていく。しかも、その速度は遅い。


米国の巨大資本はすでにCEOレベルのトップ経営陣をミャンマーに送り込み、先ず自分の目での確証を掴もうとしている。欧米の投資グループもとっくにフィージブル・スタディを完了している。先行組みのタイやシンガポールも今では裏口から出入りする必要はなく、実業団のグループを引き連れ表玄関から堂々と入ってくる。中国は中国で自分の縄張りを侵されないよう、これまでたっぷりと手なずけていたそれなりの権力者に警戒を要求する。

それぞれがミャンマーの実態を見極めたうえで、投資環境に対する要望書をミャンマーの商工会議所、各省の政府高官、主だった国会議員、上院・下院議長に提出し、そして大統領にまで直接その緊急性を切々と訴える。

ミャンマー政府が送り出した経済使節団がシンガポールで、バンコクでと海外の投資者を呼び込むセミナーを開催する。どこでもミャンマー情勢を反映して会場は立ち見も出る盛況である。ミャンマー投資を真剣に考える出席者からは具体的な質問が矢継ぎ早に出される。マスコミ関係からも政治状況を含めた厳しい質問が飛び交う。このような局面に不慣れな経済使節団は時には質問を無視し誰でも知っている一般情報で口を濁す。あるいは調査した上で回答すると紋切り型の逃げに入る。

だからこそテインセイン大統領は、今までの首脳が決して口にしなかった、ミャンマーの民主化、政治改革、経済改革を成し遂げるには役人の官僚主義、ものの考え方を変えることが不可欠であると、外国の首脳に面子をぬぐい捨てて語っている。それゆえに、大統領が誠実であると信頼され、その苦悩が伝わってくる言葉でもある。

日本の新入社員が習う基本的なビジネスマナーすら監督官庁である彼らの机には内部留保していない。今までの軍事政権であれば、いかつい顔付きと不遜な態度で、自分の面子のみ維持して外国の圧力を無視すればよかった。そしてお役所でも高級官僚から下っ端役人までそれぞれのランクによって個人的な利益の多少で認可を小出しすればよかった。


<自宅軟禁から自由への解放>

しかし、2011年という新年を迎える頃から何となく風向きが変わり始めた。これまで残虐非道な仕打ちにも屈せず抵抗してきた大量の政治犯が釈放され、そのシンボルとされチャンピオンとされたスーチーさんまでが正式に自宅軟禁を解かれた。と欧米系のマスコミは簡単に書き流す。否、アジアも含めて世界みな一緒かもしれない。

自宅軟禁を解かれるというこの重大な意味は、先ず第一にスーチー邸を厳重に囲っていた有刺鉄線が取り除かれ、無言で周囲を圧迫していた銃を構えた警備兵が去り、秘密警察らしき何となく胡散臭いロンジー姿が完全に視界から消えるということで、その上で、スーチーさん自身が自宅から一歩外へ踏み出せるということである。新鮮なフルーツを求め近くの朝市に出かけることも、朝もやの早朝散歩で新鮮な外気を胸いっぱい吸うことも、外部の人間が訪問してくることも、スーチーさんが事務所に友人宅に訪ねていくことも、往来が自由になったということである。当然ながら自宅内への電話の設置、そしてインターネットの設置が許され、国内だけでなく海外との電話・メールでの双方向による直接交信が可能となったことを意味する。

日本であれば、小学生の児童たちが当たり前のこととして携帯を片手にアサ・ヒル・バン謳歌しているその自由を手に入れたということを意味している。その当たり前のことを手に入れるのに、この児童たちの年齢よりも遥かに長い年月を軟禁状態で過ごしたのだ。だからスーチーさんは現代に生きている岩窟王であり、ガンジーでもある。しかもあの凛とした上品さを失わずに。というよりは、その凛とした上品さは年齢とともにますます輝きを増しているように見受けられる。


<能ある鷹>

この話になると切りが無い。話を渋面の大統領に戻そう。テインセイン大統領はビルマ・ミャンマー唯一の絶対権力機関である軍内部で、大佐→参謀本部勤め→麻薬撲滅を標榜するタイの軍関係からは嫌悪されたシャン州黄金の三角地帯司令官(少将)→中将→第2書記→第1書記→首相→大将と上り詰めていった。そして軍から完全に退くと噂されていたタンシュエ議長が自らの手で大統領に選抜したのがこのテインセイン大統領である。

忠実で議論を好まず、タンシュエ議長のイエスマンとして勤め、物静かな態度は決して目立たず、それだけに他の高級将校からは尊敬もされず、特に最近の交代劇で引退した上級副大統領は露骨に軽視したと噂され、首相の地位にはあまりにも軽すぎるというのが軍内部での評価であったといわれる。そして経済実務面の知識に欠け、軍の取巻きと噂されるテイザーおよびゾーゾーのアドバイスをしばしば求めたという。他の将軍たちとは異なり、軍内部でも‘ミスター・クリーン’と言われるほど手は汚れていないとされている。

‘ヨッシャ’のどこかの首相でなくとも、立身出世した大物は故郷に錦を飾りたくなるのが人間の性、ミャンマーのトップも例に漏れず、新幹線とはいわず、道路が整備され、学校が建ち、仏塔が建立され、僧院が改築されとあちこちで金ピカが目立つようになる。テインセイン大統領の生家を訪れたニューヨークタイムズの記者は、土地の人たちに若かりし日のエピソードなどを取材する。しかし、他の同僚の将軍たちとはまったく異なり、生真面目すぎるくらい物静かで穏やかな性格。それだけに残忍性は同僚よりも遥かに少なく、妻や娘が夫の権威や富を鼻にかけたり見せびらかすのを極力避けてきたことから読み取れるように、これまでの権力者の家族ともまったく異なると批評家も語っている。

この能ある鷹は爪を隠してきたがゆえに、内部のライバルからは軽くあしらわれ、脚を掬われることもなく、タンシュエ議長自身からも自分の背後を襲う危険がより少ないと見ての選抜だったのでは。

前大統領顧問で大統領のスピーチライターでもあった人物は“野心がなく、強圧的な命令を避け、カリスマ性は持ち合わせていない、だが非常に誠実である”と同大統領を評している。そして大統領にインタビューした多くの人が“誠実で謙虚である”とコメントしている。

今の民政内閣および議員の大半が自国民に銃を向けた軍の出身である。これはテインセイン大統領を含めてその履歴は消すことも書き換えることもできない。だから、表面的には引退したとはいえ軍最高職にあったタンシュエ元議長を激怒させれば大統領の一人や二人、簡単に首を挿げ替えられると国民の誰もが思っている。そのカラクリは軍人が25%の議席を付与されている憲法にある。それを加味して制定されたのが六法全書ということになる。スーチー議員がそれを吟味しなおす肝心要の国内法実施委員会の委員長に任命された。

それだけに前回お知らせした、スーチー議員と大統領の8月12日の第3回目の秘密会談がこの国の舵取りには非常に重要な意味を持つものと思われる。極秘であるだけに余計そう想像してしまう。



<そして君子豹変>

今はミャンマーのマスコミ出版業界、海外を含むジャーナリストへの規制が緩和され、ジャーナリストビザでのミャンマーへの取材活動も自由となり、インターネットでの海外情報閲覧などは、中国の自由化を追い越してしまったのではないだろうか。それだけに欧米のジャーナリストは、タンシュエ元議長の忠実で右腕の部下だったテインセインという男を本当に信じられるのか、そして元ボスとの関係を本当に断ち切ることができるのかとしつこいほど何度もこの謎を解こうと挑戦している。

これまでの改革を高く評価しながらも、それには言葉ではなく行動で判断する必要があると注意を喚起する。

では、大統領の生の声を聞いてみよう。今年3月、大統領は国営テレビで就任一年を振り返って国民に語りかけた。その第一声が“我が祖国の父・母であるミャンマーの皆さん”と呼びかけている。外国人にとっては、別に代わり映えのしない文句だが、ミャンマーの国民にとっては実は実に意義深い表現なのである。これまで軍のみが国の父親で、軍のみが国の母親であるという文句を何度聞かされてきたことか。この標語を何十年にもわたって聞かされてきたのだ。この1月に釈放されたばかりの元学生活動家までが、詩人が語るように美しい言葉だと正直にその感情を述べている。この演説には政治的に必要なエッセンス、政治改革、民族問題、一般の人々の生活まですべてが盛り込まれていると元活動家は語る。大統領は市民の毎日の生活を理解している。それだけではなく、携帯電話やインターネットの問題までカバーしている。少数民族の若き兵士が武器の代わりに自分もラップトップを手にしたいと希望を述べたという話に、私は大いに心を痛めたと大統領は本心を吐露し、自分の任期中にやるべきことの決意を固めたと語っている。

そして当時、大統領とシュエマン下院議長との間でいくつかの不一致があると噂さされていた時期に、政府内部では強硬派と改革派の対立があると観測されているようだがその事実はないと国民の前で正直に語っている。このような噂は頭から無視するのが当たり前だったので、国民には新鮮で誠実な大統領と受け止められた。

このような流れとかなりの数の記事を読み解いていくと、大統領の内面ですでに“君子豹変”という化学反応が発生したのではないのだろうか。

すでに大統領に就任して1年半。最初はタンシュエ元議長の忠実な右腕。だが、軍人には珍しい学者肌の性格。スーチー議員とは違う見方で憲法を徹底的に学習する。彼を補佐する大統領顧問団は法律の、そして司法のミャンマー最高の学者たちである。大統領の権限とは何か、その権限はどこまで許されるか。その一方で、現憲法は軍人制定の憲法である。ということは軍人の、軍人による、軍人のための憲法である。

ことを急いてはいけない。“君子豹変”は慎重に慎重にとり進めねばならない。スーチー議員と策を練る。そのための極秘会談ではなかったのか。もちろんスーチー議員の独断で法制度が簡単に変わるなどありえない。だが、少なくとも国内法実施委員会の委員長に任命された。その権限と責任は大きい。


<スーチー議員アメリカへ>

前にもお知らせしたが、スーチー議員は9月に米国訪問の旅に出る。9月21日、米国の大西洋審議会というシンクタンクからニューヨークで“世界市民賞”をスーチーさんに授与するというのが表立っての理由である。

9月という月はニューヨークが騒がしくなる季節でもある。

国連年次総会がニューヨークの国連本部で9月18日から開催され、世界の首脳が集まってくる。スーチーさんは結婚前の1969年から3年間ニューヨークの国連本部に勤務している。蛇足だが、同じビルマのウ・タント第3代国連事務総長がニューヨーク滞在の時代だ。したがって、国連では破格の歓迎式典を行う筈だ。

だから、英国のオックスフォードだけでなく、米国のニューヨークもスーチーさんにとっては第二の故郷なのである。

そしてこの国連年次総会にあわせてクリントン元米国大統領は彼の名前を冠した“クリントン・グローバル・イニシャチブ”を2005年に立上げ、世界が解決しなければならない問題について世界の著名人を招き毎年ニューヨーク市でフォーラムを主催していることは週刊メルマガ第1号でお伝えした。

賢明な読者諸氏はあのヤリ手のヒラリー国務長官が今何を企んでいるのか、想像をたくましくされていることと思う。お馴染みの“クリントン・グローバル・イニシャチブ”のゲストスピーカーは当たり前、当然自分のボスであるバラック・オバマ米国第44代大統領に世界の首脳たちだけでなく米国歴代大統領、ハリウッドのセレブ、いやいやビル・ゲイツ夫妻など実業家・慈善家も忘れてはいけない、ホワイトハウスに正式招待して、マスコミ受けする異例の超豪華晩餐会を画策しているかもしれない。スーチーさんにスポットライトが当たるということは常に横に立つヒラリーさん自身が目立つということでもある。英国議会でのスーチー演説を意識しているのは当たり前。鼻息の荒いヒラリー国務長官なら共和党・民主党に話をつけ両党協力して民主主義のチャンピオンを迎える派手派手のお膳立てを演出することだろう。

これ以外にも米国の大学からの名誉学位授与式も追加されるかもしれない。あるいはスケジュール調整ができないか。

隣国のカナダは当然米国と緊急折衝に入り、スーチーさんに授けた特別名誉市民の正式栄誉礼を挙行したいと主張するだろう。

したがって、今後はテインセイン大統領とスーチー議員との仕事分担がより明確になっていくものと予測される。海外の協力を得るためにはスーチーさんの支援が必須で、特に米国に支持を取り付けるためにはスーチーさんはなくてはならない人物であり、微妙な中国とのパワー・バランスを考慮するとその重要性を思い知らされる。



<ノーベル平和賞受賞の裏話>

7月17日、国会開催中のスーチー議員はネイピードのホテルでチェコの外務大臣一行と夕食を共にした。その席でガラスのケースに埋め込まれた黄色いバラの花がスーチー議員に外務大臣から寄贈された。‘ハベル大統領のバラ’である。

ハベル大統領は元々チェコの劇作家で、人権擁護運動で何度も投獄され、政治家となりチェコスロバキアその後チェコの大統領にまでなった人物である。その不屈の活動でノーベル平和賞を受賞し、その後スーチーさんをノーベル平和賞候補者に強く推薦した本人としても知られている。だが、昨年12月に亡くなった。その葬儀にミャンマーの民主化活動家たちが参列し、バラの花をその棺に捧げた。

一人のチェコの芸術家がこのバラをガラスのケースに保存したのが‘ハベル大統領のバラ’である。

ハベル大統領の友人で前のヤンゴン駐在チェコ大使が同行し、記者団にこの異例のプレゼントの秘話を披露した。

2005年、当時自宅軟禁中のスーチーさん宛てにハベル大統領はバースデーカードを送り“もし直接お目にかかりあなたに一本のバラを捧げることができたらどれほど幸せなことでしょう”と書き残している。二人は直接会ったことは一度もなく電話と手紙による交流だけである。スーチーさんは一度毎日新聞のコラムに寄稿し“これはハベルさんの力強く、しかも個人的に暖かい励ましの言葉で、民主主義と人権に対する支援を表明するもので理解しあうもの同士の強い絆を感じさせるものでした”と回想している。そして“お目にかかる機会を永遠に失くしたということは本当に悲しい。彼の手紙が何年間もの闘争中のわたしを導いてくれたのでハベル大統領のことは非常に身近に感じています”と語っている。

スーチーさんは自宅軟禁という座敷牢で外界との接触を断たれていたにもかかわらず、それに反比例するように世界中にその支持者が増えていった。

ヒラリーさんのマスコミを活用しての演出でスーチーさんのカリスマ性はさらに高まることが予想される。ひょっとしてスーチーさんの活躍する舞台は真にグローバルな舞台ではないのだろうか。一方で、国内では彼女を必要としている。テインセイン大統領との仕事の分担がより鮮明となる段階が近づいているのかもしれない。


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