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<ミャンマーで今、何が?> Vol.87
2014.03.26

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar


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■タミン・ジャイ

・01:チベットとカカボラジ

・02:インパール

・03:タミン・ジャイ

・04:ダッバワラ(Dabbawala)

・05:ミャンマー人は見てくれの良さで決める

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Thant Myint-U著「WHERE CHINA MEETS INDIA」の初版が2011年に英国で出版され、その後欧米では大評判となった。タイミングもミャンマーの新政府による民主化とシンクロしている。日本では秋元由紀訳が「ビルマ・ハイウェイ」-中国とインドをつなぐ十字路-として2013年9月に発行されているのでお読みになった方も多数いらっしゃるだろう。

著者のタンミエンウーは米国のハーバード大学卒業後、英国のケンブリッジ大学で博士号(歴史)を取得した。元国連事務総長のウー・タン(日本ではウー・タント)は祖父に当たる。原題は「中国がインドと出会う場所」となっており、まさにビルマと両隣国との歴史的なかかわりを物語ってくれる名著である。是非一読をお勧めする。

東西南北研究所ではこの日本語版を先達から寄贈されたが、あまりにも面白いので本来の英語版を入手して再度読み比べを開始したところである。

その顰に倣って、今回はミャンマーとインドの関連話としたい。


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01:チベットとカカボラジ

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ミャンマーは、北から時計回りで、中国・ラオス・タイ・バングラデシュ・インド5ヵ国と国境を接すると説明されるが、これを鵜呑みにすると肝心なことを見逃す。今の中国に配慮した政治地図ではその通りなのだが、この中国の部分は(チベットと雲南)と括弧書きで併記したほうがより正確なイメージを呼び起こしてくれるだろう。

ミャンマーの最北端はヒマラヤ山系の東端にあたるチベット高原とインド最北東端が微妙に絡み合った険しい山岳地帯で万年氷河に覆われている。だから中国と一言で済まされると知識として了解し、納得してしまうところが恐ろしい。ミャンマーの最北端はチベットだと声を大にして叫びたい。

まさにその分水嶺にあたるのが、ミャンマーの最高峰・カカボラジ(5881m)である。ヒマラヤ山系では中背だが、日本の最高峰を2000mも越えている。この未踏峰は登頂不可能とされていたが、1996年9月15日に尾崎隆とカカボラジの麓にある地元タフンダン村出身のナンマー・ジャンセンによって初登頂された。その感動の物語は尾崎隆著「幻の山、カカボラジ」を読んでいただきたい。

ミャンマーを北から南に縦断する悠々たる大河イラワジ川も最初の一滴はこのヒマラヤの氷河に源を発する。

という訳で、ビルマは歴史的にチベットとの交易は物理的に不可能な山岳地帯であったが、丘陵地帯となる東側の雲南省とは人々が交易していた。だが、今回は話を反対の西側に振ってみたい。



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02:インパール

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そのカカボラジから南西約528kmにインパールがある。たまたま3月24日付けNLM紙で「インパール戦開始の記念集会」と題した共同通信電が掲載されているのでこの記事をお伝えしよう。若い読者には歴史のおさらいとして読んでいただけたらと思う。

大英帝国の歴史で壮絶な戦いとして記憶されるインパール戦開始70周年を記念する集会が3月23日(日)インド・マニプル州の州都インパールで多くの人々が参加して行われた。
日本帝国陸軍と連合軍がインパールで戦った戦闘は1944年の3月から7月まで続いた。

我々の祖先が証人となった非常に貴重な歴史を今後も保存していきたい。平和というものの真の価値は憤懣やるかたない戦争に対する激怒を身をもって体験した人々を理解することによってのみ理解できると記念集会の主催者は語っている。

英国の支配下にあったインド軍は英国と同盟を結んだ。一方、日本軍はインド独立の闘士チャンドラ・ボースが指揮を取るインド国民軍(INA)と手を組んだ。戦闘期間中、近くの村々の民族は英国・日本そのどちらにも味方しなかったために、甚大な被害をこうむった。

戦闘に従事した元退役軍人ヤーシシャク(83歳)は「自分は英国軍の伝令係として働き、その後はINAの捕虜となり、藤原少佐の個人通訳となった」と昔を振り返る。「英国軍の給料は日本軍よりはるかに高かったが、藤原少佐が自分をどれほど厚遇してくれたか今でも思い出す」と語った。

この集会の前夜にはマニプル州の人たちが大勢集まり、この戦闘で命を亡くした人々の冥福を祈った。

いまヤンゴンの地で歴史を振り返ると、平和に生活していたであろうこのインパールの人々も、同様にのどかで親切なビルマの人々も、血で穢れた軍靴で突然侵入してきた英国軍と日本軍の一方的な犠牲者である。インパール作戦の敗残兵が辿った白骨街道で、日本兵を匿い食料を恵んでくれた反対給付を求めないビルマ人の親切さにはいくら感謝しても仕切れない。これは英国軍将兵についても同じことが言えるだろう。だから、いま、日本・英国のみならず世界中がこの最貧国に援助の手を差し伸べようとするのは仏教のいう因果応報なのではないのだろうか。



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03:タミン・ジャイ

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話はがらりと変わる。三段重ねの弁当箱はお役人だけでなく、路上喫茶で昼食を取る人もこれを持参する。例のステンレス製の円筒形三段重ねである。下段に炊立てのご飯をたっぷり詰め、中断がおかず、上段がスープと完全にフルコースだ。そして約250チャットの紅茶かコーヒーを注文して、テーブルの中央にある無料のミャンマー茶を何杯もお変わりする。

会社の事務所でも昼食時には同様の光景が見られる。持参したおかずを同僚と分け合って噂話の交換会である。上司の悪口が、不在時に限られるのは世界各国共通だ。
実はこの円筒形三段重ね弁当箱は日本へのお土産として、定番の人気商品でもある。そこでこの弁当箱はミャンマー独自のものかとの質問を受けたので、今回はそれに触れてみたい。

ミャンマー語では、“タミン・ジャイ”という。直訳すると“炊立てご飯・携帯箱”という意味らしい。ミャンマー人に聞くとミャンマー独自の弁当箱で、昔からあったという。だが、インド系ミャンマー人に聞くと元々はインドの方式だという。ミャンマー人でもかなり好い加減な人も多く、こういう人に道を尋ねるととんでもないことになる。そしてこういう人をスタッフに採用すると会社が存続する限り苦労することになる。



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04:ダッバワラ(Dabbawala)

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この三段重ね弁当箱は実に便利でインド人がアジア各国に広めたといってよい。アジア各国のインド人街をランチタイムに散策すると、必ずどこかで見かけるはずだ。バンコクでも、クアラルンプールでも、シンガポールでも、スリランカもボルネオ島でも見かける。これはインド商人が船乗りと同義語いう証でもあり、海上からアジア一帯を攻略していった。だから、海上かなたのバリ島にもヒンドゥー文化が到達し、メコン川を遡ったカンボジアのアンコール遺跡群もヒンドゥー文化である。

話を先に進めよう。

この弁当箱は元々インドではブリキ製、アルミ製であったが、最近はもっとスマートなステンレス製がミャンマーで普及している。そしてインド、特に商業都市のムンバイ(旧ボンベイ)でこの弁当箱の配送・回収システムが洗練されたビジネスとして発達し、現地では“ダッバワラ”と呼ばれている。直訳は“弁当箱の配達人”となる。

この配送・回収システムが実に優れモノなのだが、ミャンマーではこの素晴らしいソフトウェアは導入されずにハードウェアの弁当箱だけが採用された。これはミャンマー人の特質でもあるので別途説明したい。

もう少し旧ボンベイの話に付き合っていただきたい。

この仕組みのネットワークはこうだ。毎朝、各家庭手作りの何段重ねかの温かい弁当箱が各家庭から集められ最寄の鉄道駅に自転車で配達される。専属の配送員が仕向け駅ごとに分別し鉄道に乗せる。各到着駅でも専属の配送員がその駅担当の分別された弁当箱を受取り、自転車でご主人の勤務する事務所へ、あるいは子供の通う学校へ個々に配送する。そして昼食時間終了を見計らって、今度は逆に事務所で、あるいは学校で、その空になった弁当を回収して、反対方向のルートを通って各家庭に返却する。

このビジネスではパソコンも、表計算も、GPSも使用しない。近代的な兵器といえば、足漕ぎの自転車と鉄道輸送くらいである。それでいて誤配はまず起こらない。あったとしても2ヶ月に一件あるかないかで、8百万件の配達で一件という数字になる。配達員の大半は読み書きもできず、使用するマークは色分けと特別の印だけとのことである。

この驚異のビジネスはハーバード大学のMBAコースのケーススタディで取上げられ、インドのトップクラスの大学でこの配達員は客員講師として招かれている。英国のチャールズ皇太子がインド訪問の折にこの流通業界を視察したが、ダッバワラの配達時間が非常に厳格なために、皇太子の方がその時間帯に合わせざるを得なかったというエピソードが残っている。それが話題を呼び、英国国営放送のBBCや米国のテレビ局がこのインドの流通業界を取材している。おまけのエピソードとして、2009年4月9日に皇太子とカミラ・ボウルの結婚式が行われたが、チャールズ皇太子はインドからこのダッバワラ配達員をロンドンでの結婚式に招待した。



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05:ミャンマー人は見たくれの良さで決める

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話をミャンマーに戻そう。

ミャンマーの国営日刊英字新聞NLM紙を見ると、たびたび“入札の公告”を目にする。その中味はというと、政府の何々省がこれこれの重機、運送機器を必要としている。型式・スペックはこの通り。応募者は何月何日までに密封した封書でどこどこ宛に提出のこと、となっている。

通常シールド・テンダーといって、公開ではない。いかにも公平に同型式の入札から一番安い応札を採用するように見せかけているが、実際はその後の密室交渉でキックバックの多寡を話し合い入札価格が決定してきたのがこれまでの軍事政権であったと言われている。そして今でも同様のスタイルが継続していると欧米のマスコミは非難する。

何を言いたいのかというと、今回は汚職の暴露ではない。

そうではなく、ミャンマーでは何かを採用する場合に、歴史的にハードウェアにだけ目がいき、ソフトの重要性をないがしろにして、それが今でも続いていることが問題だと言いたいのである。

今回のインドの弁当配達システムのすごさは欧米先進国でも驚異のビジネスとして評価している。だが、ミャンマーが採用しているのはその容器だけである。

確かに、日本製品はすごいと言って日本製の自動車に飛びつくのは良い。だが、その製造ノウハウを盗んでやろうとか、工場の製造システムをコピーしてやろうとかの意識がほとんどない。盗むとかコピーとかは穏やかな表現ではないが、最新の日本製自動車を購入して、ひとつひとつ部品に解体してその入念な図面を作成し、材質を研究して、自力で同質の製品を製造してやろうという発想がない。それが、この“入札の公告”である。

日本が長いことかかって達成した同じ道を歩めと言っているのではない。

中国も同様のことが言われた。ミャンマーの東隣の中国である。ここでは目に見えるハードウェアが重要で、その製造理論など関係ないというのだ。だから、中国では石炭を焚き火を吐いて走る汽車を「火車」と書き、日本では蒸気という仕掛けに注目して「汽車」と書くと何かの本で読んだ。その点でもミャンマーは中国の影響をDNAとして受け継いでいるのだろうか? もう一度「WHERE CHINA MEETS INDIA」を読み直してみたい。



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